透明人間たちのひとりごと

カタカナ語ノイローゼ

 無理やりつながりで言うなら、まだ、こんなのもある。

 耳朶(ジダ・みみたぶ)の「朶(ダ)」という漢字を多用した
次の一文がそれです。

    「朶れる朶を朶朶かす」

 完全なる日本語の文章表現ですが…。

 これで、「しだれる えだを ひとふさ うごかす」と読むのだ
そうで、訓読みのすべてを表現しているのだとか… question2question2question2

 一体全体、何人の日本人が読めるというのでしょうか。

カタカナ語だけの話ではなく、 日本語だって怪しいのです。
 
 いま、使っている漢字の多くは、いにしえより伝わった
中国語(漢語)であることは否定できません。

 現代でいう外来語(カタカナ語)とは、おおむね、欧米系の
言葉をさす場合が多く、日本に紹介された時期や経緯にも
よりますが、人によって感覚はまちまちです。

 代表的な言葉を時代的に比較してみても、中世末期の
ポルトガル語からは、タバコ。 江戸時代のオランダ語から
は、ガラス。 明治時代に入ってからは、ドイツ語のガーゼ
フランス語のルージュ、イタリア語からはフィナーレ等々…

 さてさて

 フィナーレが出たところで、

 そろそろ、オアトがヨロシイようで…

 てなわけにも参りませんので、つづけますが、外来語の
80%以上はどうやら英語のようですね。

 英語からのテレビラジオは、もちろんのこと、タバコ
ガラスなども、すでに日本語といって差し支えないでしょう。

 微妙なのは、ガーゼですが、ルージュフィナーレ
なると、まだまだ日本語としては馴染めません。

 要は、会話や表記する場合の使用頻度と認知度の問題
なのですが、現状では、口紅や最終場面などの表現の方が
頻度も認知度も高く、また、リップスティックラストシーン
など、別のカタカナ語への言い換えが可能なわけですので、ルージュフィナーレは、当分の間は外来語扱いでしょう。

 とは言え…

 100年先の日本語となると、到底、想像も及びません。

 以前に書いた「気疎い(けうとい)」という古い日本語が
使われなくなった背景には、けうとい風景がなくなり、不夜城
のような都会の夜に、不気味さも厭(いと)わしさも恐ろしい
ような寂しささえも消え去って…。

 ただ、ただ、喧騒たる雑音(ノイズと無用な情報過多)の
時代となってしまったからに違いありません。
 
 事情は地方都市や田舎でも大差なく、コンビニショップの
明るさとインターネットのつながりで、時代はますます以って
気味悪くも不思議なけうとましいばかりの空間は失われ…

 今時分ともなると、クリスマスのイルミネーション(電飾)で
花盛りになるのです。


 けざやかに 耀(かがや)く、この時代には、見えない
はずの(け)の怪しさや危うささえも、明るくポジティブで
パワーのある(き)というイメージへと大きく変貌したよう
に感じます。

 残された(け)は、「気配」と「気高く」、そして退廃的な
現代にはびこる「けだるい」気分とともに、妖しくも鮮やかに
耀くあざといばかりのけざやかさくらいでしょうか…


 極論すれば、けうといなどの日本語が消えてゆくかわり
として、現代をイマジネーション(想像)できる新しい概念を
含んだ日本語が必要で、それが、氾濫するカタカナ語だと
いってしまってもいいでしょう。

 
 そして、テレビやコンピューターなどに代表されるように
、過去の時代にはなかったあらたなテクノロジー(科学技術)
から誕生したものを称するときなど…

 例えば、テレビ=映像受像機、ラジオ=音声受信機、
 コンピューター=電脳式映像音声分析万能計算機器

 ちょっとムリがあったかase2nose4ase2

 これでは、いかにも言いにくいですよね。

 でも、日本にはなんとも便利なカタカナがあったのです。

 お隣の中国では、外国語はすべて自国の漢字表記に
置き換えなくてはなりません。

 テレビ=電視機、モデル=模特児、ビタミン=維他命、

 などですが、漢字は表意文字ですので意味が理解できる
漢字をあてなくてはならないのです。

 どうやら、数字やアルファベットはそのままのようですが… 

 ビタミンB1=維他命B1、ビタミンC=維他命C、 などと
表記するようです。

 なんだか、とても大変そうです。

 でも、皮肉なことに、日本では…

 カタカナのおかげで、既存の概念がなく、翻訳に苦労する
ような言葉や、訳のわからない面倒な言葉も、全部まとめて
表音文字であるカタカナ語での表現ができてしまうために、
大量に入ってくる外国語の波に、いま、伸吟(しんぎん)して
いるわけですが…

 同様に、

 明治期にも、数多くの言葉が海外から押し寄せましたが、
この時代の人々は、それこそ懸命になって翻訳しました。

 特に概念の存在しない語彙については、軽々に、カタカナ
表記に逃げずに、エコノミーに「経世済民」からとった経済
の文字をあてたり、権利という新しい言葉と概念を創り出し
たりもしました。

 先人たちの苦労が偲ばれるというものですnose3ase


  明治以前からの言葉としては、パンだとかズボンだとか
ズックなど、現在ではすっかりと日本語として定着している
言葉はたくさんあります。

 いまは、なんだか怪しくて意味不明のカタカナ語でも
何年か何十年か先には、立派な日本語として通用している
のかも知れませんよ。

 だから、
 横文字アレルギー さんに お願い なのです。

 ヒステリーを起こさずに、カタカナ語の嵐のなかでも

 決して、ノイローゼなどにはならないようにclap
 

 将来
日本語予備軍なのかもしれないのです
から…



 …とある会社での風景…

 「ところで、お前どうするquestion2 シスアドの資格試験…」

    (シスアド=システムアドミニストレーター) 

 「んっ、コンピューターのシステム管理者の資格試験か!」

 … … …


 …同じ頃、某デスク前では…
 なに~ぃシスアドだとぉ 誰が何と言おうとexclamation2
たとえ、何千年かかろうと絶対に日本語にはさせんわexclamation2

 …透明人間2号nose6angerが、喚(わめ)き散らしていた…


  
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「ひとりごと」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事