ウサギとカメが …、キツネとツルが …、北風と太陽が …
そして、アリとキリギリス(セミ)が …
このような書き出しの決まり文句で始まるべき物語が、
本当の意味での 『イソップ物語』 なのですが、もちろん、
そんな書き出しはあり得ませんし、そのことに気づく人も
少数です。
移ろい易き人の世に、移ろい難き誠としての普遍の心理
が、そのまま 「未来記」 として予言的な寓話仕立てに脚色
されて集められているのが 『イソップ物語』 という箴言集
なのです。
この場合の箴言とは戒めの言葉や格言的なものではなく
より実践的な処世訓としての先人たちの知恵の書のような
意味合いです。
そうした名もない先人たちを代表するのが先哲イソップ
であり、珠玉にして慧眼の予言書的なメッセージ集として
人類共通の知的財産となっているのです。
ところで、
「むかし、むかし、あるところに … 」
このような語り出しの「昔話」 が、必ずしも昔のことを
話しているとは限りませんよね。
むしろ大抵の場合 「昔話」 は現在進行形の 真実 か、
過去完了形の 事実 を嘘っぱちの 「お話」 として語る
かたちで存在していると言えるでしょう。
抑圧された世界での内なる苦しみと、その精神的ストレス
を抑制し浄化させるための抑制剤や鎮静剤としての役割が
「むかし、むかし、あるところに云々…」
という書き出しで始まるせめてもの 《レジスタンス》
にあったことは想像するに難くありません。
つまり、過去の多くの時代は 「寓話」 や 「昔話」 でしか、
真実を伝えることができなかったということなのです。
いつの時代のどんな政治体制化にあっても、権力者に
とっての 《不都合な事実》 を公然として語ることは
憚(はばか)られます。
身の危険のみならず一族郎党に及ぶあらゆる意味での
リスクが大きすぎて、そう簡単には暴露できないのが実情
だったのです。
そこで、「この話はフィクションですよ」
「子供向けのたわいのない物語です」
と 「嘘」 を前面に出してカムフラージュしているわけです。
《嘘っぱちの話》 だからこそ、安心して 「真実」 を語ること
ができたというわけなのですね。
もしも、それを取り締まるようなことにでもなれば、そこに
《真実がある》 ことを、それこそ逆に証明するようなもので
権力者としてもなかなか手が出せなかったわけです。
『竹取物語(かぐや姫)』、『ガリバー旅行記』、『裸の王様』
あたりもそういった類なのかも知れません。
興味があったら調べてみるのも面白いでしょう。
さて、こうして、
寓話などに託された 真実 が フィクション として
語られ、世のなかに出回っていくうちに時代や地域ごとに
加筆修正が繰り返されるようになると、いつしかストーリー
が大きく変化していくものがあります。
概して、前提や結末といった重要な要件や核心場面に
手が加えられ真意が歪められてボカされるケースも多く、
『イソップ物語』 のなかのいくつかも例外ではありません。
殊に、日本国においては甚だしいばかりの改変ぶりで、
原文とは真逆の結末も珍しくありません。
そうなるとアレンジを通り越して改悪・改竄(かいざん)の
謗りは免れませんが、文化や道徳観や国民性などの違い
から致し方ない結果であるとも言えなくもないのです。
そんな代表例のひとつが、次回に予定している超有名な
「アリとキリギリス(セミ)」(原題では蝉と蟻たち)
の物語なのですが …。
日本人に予備知識や先入観なしに尋ねたとしましょう。
アリとキリギリスのどちらの生き方を選びますか
きっと過半数の人は、「アリ」 と答えるような気がします。
日本人の国民性や倫理観、道徳観に合致するからです。
では、現実問題として実際の現状はどうですか
私も含め、大多数の人は 「キリギリス的」 かな … と
答えるのかもしれませんね。
どうしても計画性のない、その場しのぎの刹那的な生き方
に終始しやすいのも人情というものですし …
ところが、
近頃では、なんでもハイブリッドばやりで、働くだけのアリ
でも、遊び呆けるばかりのキリギリスでもなく、いまを楽しく
過ごしながらも未来に向けての準備を決して怠らないような
アリとキリギリスのハイブリッドである 「アリギリス」
に注目が集まっているようです。
究極には、
仕事が遊びで、遊びが仕事といったスーパーハイブリッド
タイプの 「アリギリス」 も出現しているとか
私には、到底、真似できそうにもありませんが …、
そんな 「アリギリス的な生き方」 を模索して
みるのも悪くないのかもしれません。
それでは、私、1号 による次回のご案内です。
未来版 「アリとセミ(キリギリス)の物語」 …、
「未来、未来の、ある日こと、働き者のアリの娘と怠け者の
キリギリス(セミ)の青年が恋に落ち … 云々」
いかん、いかん、いかんよ !!
これじゃ、アリギリスが産まれてくる話になっっちゃうよ
『未来記 イソップ物語』 でも、アリギリスはあり得ない。
アリエルスならあり得るスけど …ってか
そういうのを 「語るに落ちる」 ダジャレっていうんだよ
なにぃ! 語るに落ちずに死んじゃったってぇ~
じゃあ、「語るに死す」 ようなダジャレってことだね。
そうか、それで スッキリ と(浄化)したんだ!
カタルシス (浄化作用) なんちゃって
えっ、スッキリと 落ちてないって !!
それじゃあ、仕方ないから …
液体洗剤アリエールで洗濯しましょう
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