[嘘から出た真] [嘘から出た実] [嘘から出た誠] など
と書きますが、常用漢字表に 「誠」 以外に 「真」 も 「実」
にも 「まこと」 という読み方は載っていません。
意味からすると、「嘘が(多くの場合、偶然の結果として)
真実になること」 ですから 「真」 や 「実」 でもよさそうです
し、「嘘から出た真実(まこと)」 と読み書きしても誤りでは
ないような気もしますが …
それでは、
「誠」 の意味はどうでしょう。
本当のこと、偽りのないこと、つまり、真実と同義ですね。
さらには、誠実で偽りのない心、飾りのない情、欺かない
こと、つまり、誠意や誠実なる真情につながるものです。
世界大百科事典 第2版の解説によると、
中国思想の概念では、「誠」 は 「偽(いつわり)」 の対語で
、嘘や偽りのない言行をいいます。
哲学的概念として登場するのは、『大学』 及び 『中庸』に
おいてですが、『中庸』 を例にとれば、前半では 「中庸」 が
説かれていますが、「誠は天の道なり、これを誠にするは
人の道なり」 という有名な句にはじまって、後半は 「誠」 を
中心にして議論が展開されているようです。
その有名な句に類する言葉として、孟子に 「誠は天の道
なり、誠を思うは人の道なり。 至誠にして動かざる者は
、未だこれあらざるなり。 誠ならずして、未だよく動く者
はあらざるなり」 とあります。
さらに孟子の師とされる孔子にいたっては、「万物は誠で
始まり誠で終わる。 誠がなければ何も存在し得ない」 と
まで言っているのです。
なんだか、そうなると、もう 「嘘の対語」 と言うよりも
「真理の淵源」 のような気がしてきて、余計に易々と
は 「嘘から出た誠」 などと表記できない思いに
駆られてしまいます
ちなみに『中庸』 は、孔子の孫である子思の作である
と伝えられていますが、現在では 『中庸』 の前半部分などの
「礼記」 の内の数編が 『子思子』 から転載されたものである
とされています。
なお、『子思子』 は、子思とその一派の著作で、孟子
は子思の学派から儒学を学んだとされます。
そうなると、孟子は孔子の孫弟子や曾孫(ひまご)弟子か
、はたまた、玄孫(やしゃご)弟子なのかもしれません。
さて、
「誠」 という漢字は [言]+[成] で構成されていて、字の如く
に 「言ったことを成す」 との行動規範を表すもの
で武士道における至高の徳のひとつとして、武士(もののふ)
の真髄であるとされました。
そこから 「武士に二言はない」 という言葉が
生まれたわけで、その対極にある嘘をつく人や不誠実な者
を人間として最も卑しき者として忌み嫌ったのです。
「慇懃無礼」 という四字熟語が示すように、むやみ
に丁寧すぎるのは誠意が感じられず、かえって無礼であり、
そこに心がなければ、たとえ 「形式」 がどうであったとしても
「礼」 として認めなかったわけです。
表面上では極めて丁重でも、その裏にある尊大な態度や
形式(かたち)ばかりが見え隠れする 虚礼の類よりも 「誠」
を優先させたのは、「誠」 と 「名誉」 は不可分のもの
だったからに違いありません
「まこと」 とは、[事(こと)] や [言(こと)] に接頭語の
[真(ま)] が付いたもので、[本当の事柄] や [真実の言葉]
という意味です。
かつては事と言は未分化だったので、「まこと」 は、
その事と言のいずれにも通じる言葉として 「偽りない心」
や 「誠実」 という意味で用いられていたのです。
これは、あくまでも個人的な感想ですが、どちらかと言う
と現代においては 「真実」 を意図しての使用よりも、後者
のニュアンスで 「誠」 を用いるケースの方が大半のようで
、「嘘から出た誠」 よりも 「嘘から出た真実」 とした方が
実(まこと)に都合がいい上にすっきりもするのですが …
どうでしょう
大辞泉 では、「実」 と表記していますが、広辞苑
では、「まこと」 と平仮名(ひらがな)を使っていますし、その
他には 「誠」 もあって、どれが正解なのかわかりません。
まあ、何事も不明な時は平仮名にしておくのが無難という
ことでしょうか
ところで、
戦国時代の奥州の覇王、かの独眼竜 伊達政宗 も、
「礼儀も度を過ぎると嘘のようになる」
と 「慇懃無礼」 や 「虚礼」 を説いていますが …
嘘とまことの境界線とは、どこにあるのでしょうか
嘘をタイトルに使っている記事は、専(もっぱ)ら 2号 の
専売特許のようで …
『いろいろな色の嘘』
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/146.html
『嘘、うそ、ウソの話』
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/149.html
『無意味な嘘』
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/152.html
などがありますが、嘘と本当の境界や虚と実の間(はざま)
で、嘘が本当になったり、本当が嘘に反転したり、逆転する
リバーシブルな瞬間や境界についての言及はありません。
「嘘から出たまこと」 が、偶然に左右された結果であった
としても 「嘘が本当になる」 ような出来事は思いのほかに
多いのかもしれません。
善と悪とは人間の心のうちで分かち難く、虚も実も実相の
世界では表裏一体のものです。
どちらも同根にあるもの、そして相対して働き合うものだと
すれば、「悪人から出る善行」 や 「嘘から出る真実」 も …
また、
「善人から出る悪行」 や 「真実から出る嘘」 もいくらでも
ある筈なのです。
探せば、きっと、そこら中から見つかるくらいにありふれた
ものではあっても、その 境界線 は、非常 に 微妙
で 繊細 にして、見えにくいものなのかもしれませんが …
多分、私たちのような 透明人間 ほどでは
ないにしても … ネっ
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闇の逃亡者
江戸川ドイル
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