1979年制作の 「チャイナ・シンドローム」 という
アメリカ映画(原題:The China Syndrome)がありました。
もしも、アメリカの原子力発電所がメルトダウンを起こした
としたら地球の裏側の中国までもが溶けてしまうという映画
の中でのジョーク話がタイトルとして採用されたのです。
しかも、この映画が公開されたのは1979年3月16日のこと
で、それからわずか12日後の3月28日にペンシルベニア州
のスリーマイル島原子力発電所で原発事故(炉心溶融)が
起こり、映画は現実のものとなって大ヒットを記録しました。
劇中で 「もう少しのところで燃料溶融物が原子炉の床を
溶かし地殻も溶かして進み、地球の裏側の中国までいって
しまうところだったよ」 と言うセリフまわし(ジヨーク)は
炉心溶融によって圧力容器が破壊される現象を示す俗語が
「チャイナ・シンドローム」 だったからでしょう
ところで、いつの間にか、この 「チャイナ・シンドローム」
(炉心溶融)状態が収束に向けた作業が最も順調だとされて
きた福島第一原発の1号機内で起こっていたことが、きのう
(5月12日)になって唐突に発表されたのです。
それも、さも、あたりまえのように サラ っ とした感じで
私たち国民に知らされました。
例えて言えば、都合の悪い情報については国民の反応を
窺(うかが)いながら、小出し小出しにしているように感じて
いるのは私だけではないでしょう。
これまでに1万トン以上を注水しながら、わずか360トンの
圧力容器を満たすことが出来ずにいたわけで、素人目にも
燃料棒が露出・溶融していただろうことは容易に想像できる
ことです。
すでに事故発生の翌日(3月12日)には、1号機について
原子力安全・保安院は 「炉心溶融が進んでいる可能性が
ある」 と発表 しましたし、4月18日には1号機、3号機で
燃料棒の溶融が起きたと原子力委員会に報告しています。
その時の発表担当者はその後、直ちに交代させられて
しまいましたが …。
5月12日になって東京電力は、1号機のメルトダウン
を認めましたが、圧力容器から格納容器に溶融燃料の多く
あるいは全部が落ちたとは言わずに 「今のところ格納容器
までの落下はないとみている」 としています。
東京電力がメルトダウンを認めたとしても、これまで
<圧力容器から溶融した燃料が格納容器に落ちている
可能性や事実> を東電側が否定してきたにもかかわらず
、ここにきて漸(ようや)く認めることになったという印象は
どうしても拭(ぬぐ)い去れません。
事実を事実として認めることと、可能性に言及することと、
否定しないこと … とでは意味がまるっきり違ってきます。
事実がどうあれ、最悪から最良までのすべての可能性を
政府や国民に公表するべきでしょう。
そのリスクを政府や国民が選択し、
どのように判断するのか
が、これから先の出来事についても肝要かつ適宜な事で
政府はその旨を東電に厳しく糺(ただ)す必要があります。
その意味から言えば、
イソップ物語の 『オオカミ少年』 に登場する主人公
でもある羊飼いの少年は、事実がどうあれ危機が迫っている
と感じたからこそ、オオカミの襲来を最悪の可能性 と
して告げていたわけで、それを聞いた村人たちが、その情報
をいかに選択してリスク管理として判断するのか
… に尽きるのであって実際に村が襲われるまでの出来事
については、たとえ面白半分の要素があったとしても少年の
軽率さによる誤認なり、誤報だったとするべきところで、もし
そうであれば、最悪の事態は最小の被害に抑えられていた
でしょうし、村の共有財産でもある多くの羊たちを失うことも
なく、また羊飼いの少年の運命も変わっていたでしょう。
『オオカミ少年』 の物語が、世間一般の解釈通りに
「嘘をついてはいけない」 という話なら、わざわざ村の財産を
喪失させる必要性はまったくもってないと思うのですが …
ところで、
今回の東日本大震災での大量の犠牲者の死について、
「なぜ、こんなに惨(むご)いことが起きるのですか」
「なぜ、神さまはそれをお許しになるのですか」 と問う
日本人の少女に、ローマ法王は 「私には分かりません。
私も 『なぜなのですか』 と神さまに問い続けています」
と答えたという新聞記事が目にとまりました。
偶然なのか意図したものなのかはともかく、人類の生存に
危険を及ぼすものとして、近年の科学技術(コンピューター
技術・遺伝子工学・ナノテクノロジーetc)の急発展にともなう
反対給付的な欠陥や反動が挙げられると思うのです。
突き詰めれば、本質的な問題は私たちの 心 の内側に
巣食う 我欲 です。
原発に関して言えば、「原発には反対だけど、今の便利な
生活は失いたくない」 という傲慢かつ強欲な人間の 心 が
事故を誘発させたのだと言えなくもありません。
不謹慎の謗(そし)りと非難を覚悟の上で敢えて言えば …
物質至上主義的な価値観からモノの足るを知り、精神的な
心の豊かさを享受するような社会を新しく創造 しなさい
という厳しい 神の啓示 だったのかもしれません。
(それにしては、あまりにも 惨酷 すぎるけどね …)
そうなれば、経済成長至上という大義名分は無くなり
電力供給の切り札としての原子力発電を正当化する必要性
もなくなります。
『オオカミ少年』 の悲痛な叫び声は、現代の村人に
そのことを 警告 したかったのではないでしょうか
果たして、
その辺りのところは、いかがでしょう
『オオカミ少年』 の 謎 と 推理 と 探求 を
現在進行中の福島第一原発の事故の顚末と東日本大震災
の被災状況に絡めて、透明人間 1号、2号、5号 の
3人が輪番で解き明かそうとしていますが …。
はてさて、次回はどうなることでしょう
「キタ~ッ」 って、オオカミでしょうか
いいえ、織田裕二 です
事故は会議室で起きているんじゃない
現場で起きているんだ !!
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