警護するSP(セキュリティー・ポリス)のような勇姿 …
それが 透明人間たち の事務所の二階から望む
愛鷹連山(あしたかれんざん)の風景です。
少なくとも、
沼津の市街地から見える富士山の姿は、足高山=愛鷹山
(あしたかやま)に警護される VIP の如くにそのからだは
隠されていて後方にスクッと現れる頭だけが白い冠のように
雄々しくも聳(そび)え立っているのです。

(事務所2Fよりブラインド越しに見る富士山と愛鷹山)
愛鷹山は富士山の南に連なる幾つかの連山全体の名称
で最高峰は越前岳(1507m)ですが地元では連峰の南端に
位置する愛鷹山(1188m)を指してそう呼称しています。
初夢に見ると縁起がいいとされる 一富士、二鷹、三茄子
の由来は 我々の地 ―。
沼津市の観光関係者が、こんな触れ込みで地元、沼津を
盛り上げようとしている。
静岡新聞に載った 「由来はわがまち―沼津観光をPR」
<一富士、二鷹、三茄子> の記事を偶然にみつけるまで
沼津の地に生まれ育ったにもかかわらず迂闊(うかつ)にも
そのことには、とんと気づかなかったのです。
記事によれば 「一富士、二鷹、三茄子」 については …
① 駿河の国の名物を単に列挙した。
② 徳川家康が、駿河で取れた初ナスの高値に驚いて
「第一に高きは富士なり。その次は足高山(愛鷹山)
なり。その次は初茄子なり」 と言った。
― など諸説あるなかで、沼津市の旧楊原村(香貫地域)
の沿革誌にナスが特殊農産物と記されていることなどから
沼津観光協会が採用したのが②の説というわけなのです。
ですが、どうにも合点がいかないのです。
一に富士山、二に愛鷹山なら、三番目も当然のことにして
山ではないのか

何故に茄子なのか といった素朴な疑問です。
そこで数ある由来の中から 透明人間1号 の考える
真説 に迫ってみることにしました。

一富士は、いうまでもなく富士山。 二鷹は、富士山麓
から出る鷹が唐種で素晴らしく 「こまかえり」 と呼ばれる。
三茄子は、駿河産のナスが他国に先駆けて採れる名産品
であること。
江戸時代の国語辞典 『俚言集覧』 には、駿河の名物を
「一富士、二鷹、三茄子、四扇、五煙草(たばこ)、六座頭」
とするとある。

徳川家康が駿府城にいる時、初ナスの値段があまりに
高額な為に、それをたとえて 「まず一に高きは富士なり、
其の次は足高山(愛鷹山)なり、其の次は初ナスなり」 と
言い表したという。(東京堂刊 『故事ことわざ辞典』より)

家康が好んだ景色としての富士山、趣味である鷹狩り、
食べ物としての初ナス、それを夢に見てあやかろうとでも
いうことか。

日本一、高くて大きい富士山。 賢くて強い鳥である鷹は
獲物(願い)を掴み取る。 茄子は大願を 「成す」 に通じて
縁起が良い。

「富士」は不死、無事に通じ、その姿かたちが末広がりで
子孫や商(あきな)いの繁栄を、「鷹」は、空高く舞い上がる
ことから、高みにのぼる=出世や商売が極まる、功なり名
をとげる、位、人臣を極める。 「茄子」は、事を成すに通じ、
毛が無いので 「怪我(けが)無い」 で家内安全を表す。

一富士は、曾我兄弟の仇討ちの場所が富士。 二鷹は、
赤穂浪士(忠臣蔵)の主君 浅野家の鷹の羽の打違いの
家紋。 三茄子は、荒木又右衛門の伊賀上野の仇討ちと
して有名な(鍵屋の辻の決闘)の地がナスの産地だとか。

江戸時代における最も古い富士講組織のひとつがある
駒込富士神社(東京都文京区本駒込)の周辺に鷹匠屋敷
があった事や駒込茄子が名産物だった事などから縁起物
として、「駒込は一富士二鷹三茄子」 と川柳に詠まれた。
… 等々、諸説紛々 です。
このなかでは、

有力で 「一富士、二鷹、三茄子、四扇、五煙草、六座頭」は
いちふじ、にたか、さんなすび、しおうぎ、ごたばこ、ろくざとう
と語呂もよく、富士と扇=末広がり、鷹と煙草=鷹も煙も立ち
昇る(運気上昇)、茄子と座頭(琵琶法師や按摩などで生計
を立てた剃髪の盲人)=どちらも毛が無い(怪我ない)と個々
に対応している事も、この説を裏付ける根拠のようです。
でも、1号 としては、異論、反論、オブジェクションです。
一富士、二鷹、までは、まあいいでしょう。
日本最高峰の霊山(富士山)と鷲に比肩する空の王者
(鷹)ですから、めでたく縁起もいいことでしょう。



ナスは古くは奈良時代以前に伝わり、早くから東北地方の
北部地域以北を除いた日本全土に広まって、江戸時代には
全国各地で広く栽培されていましたが、外皮が弱く傷が付き
やすいこともあって、遠方へは運びにくく日持ちも悪いので、
土産(みやげ)物や名物には不向きでした。
確かに、駿府のお膝元の三保地区でナスの早出し栽培が
行なわれていましたが、決して三保地区だけの名物ではなく
それをもって駿河の国の三大名物に数えられるのだとしたら
、おこがましい限りでしょう。
さて、ナスが名物たり得ないとしたら、

俄(にわ)かに揺らいできます。
個人的に 1号 が推すのは、駿河の国の高いものを順に
並べたとする

他の説の検証をしておきましょう。
まず、


全体のバランスと一貫性に欠けています。
ナス と 「成す」 の関連もあとづけの感は否めませんね。

いますが、無理やりのこじつけ疑惑がどうしても拭えません。
なぜなら

言える言葉遊びの互換性が、反(かえ)って

させ、


大願を成就したことに懸けているのでしょうが、伊賀上野は
ナスの名産地とはいえませんし、この諺(ことわざ)自体が
江戸時代の初期から使われていたようですので時代的にも
疑問が残ります。

「一富士、二鷹、三茄子」 が全国的に流布していたからこそ
川柳において 「駒込は ― 云々 ― 」 と詠まれたのでしょう。
結局のところ消去法から言っても残るのは

ことになりますが、その理由というか根拠としては …
やはり、三茄子 にあるのです。
ナスは野菜のなかでも特に高温に適した種類で、寒さには
極めて弱く旬は夏になります。
江戸時代には温室栽培されるようになったのですが、現代
のようなビニールハウスや温室装置はなかったので、油紙を
張った障子で囲って促成栽培をしていました。
ですから、初物として冬にナスをつくるのは、相当の手間と
労力が必要で、当然、初ナスの値段は高く、一般の庶民に
とっては 高嶺の花 で初ナスを食べることは夢のまた夢
だったようです。
つまり、
ナスの初物は非常に値が張り、なかなか手に入らなかった
ことから好物だった家康も大変に驚いて 「一に高きは富士、
次に鷹(鳥でも愛鷹山でもかまわないが)、その次が初ナス」
だと嘆いたというのが真相に近いのではないでしょうか
やはり、名物を挙げたというよりは、高いものの譬(たと)え
として、引き合いに出したと考えるのが妥当でしょう。
もちろん家康が言ったというのも怪しい限りですが、そこに
ある程度の権威付けは必要だったのかもしれませんね。
まあ仮に、どこの誰が言い出したにしても富士の高嶺に、
高根を見下ろす鷹と高嶺の花ならぬ高値の初ナスといった
構図だったのではないでしょうか
さすれば、冒頭の 沼津語言説 もあながち馬鹿には
出来ないのかも …
そう思ってさらに調べてみると
沼津のローカル紙である1月6日付けの「沼津朝日」には
「沼津に語源がある」 として以下のように解説しています。
― 前略・中略 ―
語源については諸説あるが、『甲子夜話』 によれば、
家康が自分の住んだ駿河国の高いものを順にあげた。
鷹は鳥ではなく愛鷹山のこと、茄子は初物(その年の最初
の収穫品)の値段の高さをいう、と書いてある。
『楊原村沿革誌』(楊原村は現在の沼津市香貫地域)には
特殊農産物として「楊原胡瓜と香貫茄子」と書かれている。
これらの胡瓜・茄子は、初物として世上に賞翫(しょうがん)
されていたとあります。
つまり、世間における沼津産の香貫茄子の評価の高さは
『甲子夜話』 の記述とも合致するわけで沼津語源説は
より磐石にして堅固となったのです。
さて、これにて一件落着と言いたいところなのですが、
一に富士山、二に愛鷹山なら、三番目も山でないと整合性
がとれないのでは … という疑問がまだ解決していません。
そこでナス畑が香貫にあったのなら香貫山かと思いきや
そこからは何の関連性もみつけられませんでした。
香貫のナス畑の付近から遠く愛鷹山を望み、その後方に
威風堂々と聳(そび)える富士山を仰ぎ見て言ったとすれば
、それに相当する山は牛臥山(うしぶせやま)でしょう。
沼津のひょこりひょうたん島としても有名になりつつある
牛臥山(下香貫)は、元々は島でした。
なるほど上から見たらひょっこりひょうたん島のようだけど、
横から見たらまるっきりナスのようなかたちをしています。
ならば、まさに、一富士、二鷹、三茄子ではあるけれど
このことを視覚的に実証するポイントが沼津にはあります。
下記URLをクリックすると 一に富士山、二に愛鷹山(手前)
三に茄子のかたちをした牛臥山を左に見ることができます。

ところで、駿河の国で2番目に高いのは愛鷹山じゃないし、
ましてや 牛臥山(70m)は標高も僅かで牛が寝そべっている
ようにみえることから付いた名前だよね

だからそれは、あくまでも、もののたとえ …
ひょうたん島が牛臥山になるんだから、
取り付く島もないよネ!!
だからもう、誰が何と言っても …
これにて 一件落着 です。