ご先祖様を西方浄土に送った翌日は、何だか疲れているいる。
朝ごはんは、しっかり食べている。
「夫婦の時間」
妻に、昨日、疲れたねと・ありがとうの労いの言葉をかける。
何もしないけれど疲れる。この暑さのせいだろうか?
妻 「お父さんも、疲れましたね」と・・・お互い思いやり♫♬
昼はぶっかけ冷しうどん
夜 ハンバーグ定食
妻 親に認められて共に生活する女性のこと
パートナーの呼び方
A妻 B嫁 C女房 D奧さん E家内 Fかみさん
あなたは、どんな呼び方していますか?
妻の事を、母ちゃんと呼んでいませんか?
どこの飲み屋でも、母ちゃんと云っていたな。
妻は、母親じゃないですよ。
A 妻という呼び方
奈良時代・日本最古の歴史書「古事記」に記されています。
この部分に妻と記されています。現代風に約すると、わたしの名はアシナジチと云い、妻の名は、テナジチと云う。
自分のパートナーを妻と呼んでいたことがわかります。
しかし、奈良時代は、婚姻制度はなかった。
当時は、親に認められ共に生活する女性を妻と呼んでいた。
その後、明治政府になると婚姻制度が確立してから、正式に。
妻と呼ぶようになりました。婚姻届に妻になる人と書かれているね
妻の〇〇〇です。。
現代では、妻という呼び名がパートナーを呼ぶのに適した言葉だそうです
B 嫁とは、(息子のパートナー)息子の両親が使う
嫁 1275年頃、鎌倉時代に書かれた「名語記」
子息が妻を嫁なっくと記されています。
この文章を読み解くと「息子の妻を嫁と名付ける」
と云う意味になります。
男性の両親が、息子の妻を嫁と呼んでいた。
なぜ嫁という言葉で呼ぶ?なったかと云うと
男性の両親が近所の人に家に良い女が来てくれた。
当時、女という漢字は、良い⇒女 ヨ⇒メ
「ヨいメ」が省略化されてヨメと呼ばれるようになった。
女房(使用人の女性のこと)云います。
女房は、使用人の女性と云う意味で使われていました。
使用人の女性⇒女房
なぜ、使用人の女性を女房と呼ぶ?ようになったのかと
云うと平安時代の身分の高い貴族は、妻以外に食事の世話
身の回りの世話をする使用人を住まわせていた。
その使用人の女性の部屋のことを
女 房 と呼んでいました。
そして、いつしか使用人の女性を女房と呼んでいました。
自分の妻を謙遜して云う
奧さん(奥の方の部屋に住む女性)
1562年頃、室町時代「北条幻庵党書」
近年 座とうと申せば
いずれも 奥方へ参候
その意味は、奥方は、奥の方の部屋を表す言葉として
使われていた。
身分の高い屋敷の主は、パートナーの女性を
屋敷の奥の方に住まわせていた。
そのため、奥に住む主のパートナーのことを
「敬意を込めて、奥方と呼ぶようになった」
奥方が、次第に変化して
奥様⇒奧さんと呼ぶようになりました。
相手の妻を敬って云う
家内(家の中に居る人)
家内という言葉は、家の中という意味で使われていた。
なぜ、家内を人に対して使うのか?
明治時代、会社制度が誕生
男性は、家の外の会社で働く女性は、事業主婦として
家の中を守るという家族が増えている。
家の外で働くようになった人が、自分のパートナーを
「家の中に居る人」という意味で「家内」と呼ぶようになりました。
カミさん(目上の人)
カミさんという言葉は、目上の人を表す言葉でつかわれています。
上 様 ⇒カミさん
カミさんは、自分より偉い人を差す言葉なのです。
※自分のパートナーの呼び方は、「妻」だけなのです。
親しみを込めた言い方(自分と相手の妻でも使える)
アキは、以前、奧さんと呼んでいました。妻と知ってからは妻です。
今回も、ご静聴ありがとうございます。