昨日、カボチャが切れないと妻が・・・妻のために包丁の研磨に味噌汁鍋の修理しました。妻が出来ないことはやってあげます、
きょうの記事 興味ないかも認知症予防に・・・渋沢栄一&徳川慶喜調べ過ぎで大河ドラマ「青天を衝け」は
もう観るきになれないかな.水戸黄門とプロレスは観るかな。従妹腎臓悪く人工透析になりました。
きのう病院に出かけて先月と変わらず、腎臓そんなに悪くはなかった。ひと安心です。

きょうは遅起きです。朝9時だった いつもこの時間に食べて欲しいと云われる。

昼はeggパンありましたが、午後2時にワンタンスープ食べる

午後4時 おやつにこしあん饅頭

夜ごはん 竹輪となめこ汁で食べる タコはあすタコめしにして食べます。
世界三大美女と云えば、楊貴妃・クレオパトラ・小野小町と云われていますが、我が妻も・・・小野妹子は男性である
古今和歌集 四季の移ろいや恋模様などおよそ1100首の和歌集 小町の歌はそのうち18首とも云われている。
歌からは可憐でいじらしい乙女の姿が浮かび上がります。可憐でいじらしい。
平安京のプレーボーイ 歌人在原業平に言い寄られると・・・しんの強さもうかがえる歌を返しました。
遊び慣れた色男の誘いをあっさり袖に。小町の清楚で可憐だけではないイメージが膨らみます。
清楚可憐だけではない。更に小悪魔のような一面もあったことを京都・欣浄寺に残る伝承「百夜通い」を伝えます。
ある晩 小町の屋敷を訪ねた男深草少将 なぜ返事くれないのか? 私が慕ってるのをそなたは知ってるはずだ。
愚直に思いを告げる深草に、小町はひとつの条件を突きつけます。私のもとへ百夜通ってくれたなら、あなたと
契りを結びましょう。不器用な男をからかうつもりだったのか、それとも男の方から諦めさせようと仕向けたのか?
それでも深草は毎晩小町のもとに通い続けます。絶世の美女から言われたら100回くらいなら通う?
この人しかいないと思って恋をしたんじゃないかと思いますけれど・・・
ともかくも99日目のやって来ます。その日は大雪 「危ないからやめろ」という周囲の声に耳を貸さず出発した深草は
そのまま帰らぬ人となりました。小町自身がこの結末を意図していたかはもちろん謎ですが男達をかくも虜にさせる伝説の
女性でした。絶世の美女か悪女か? つかみどころのない小町の人物像を更に複雑にさせているのが全国に残る あまたの
小町伝説です。小悪魔と云えばブリジット。バルドー日本で云えば加賀まりこ?
謎が謎を呼び想像をかき立てる平安歌人でした。後ろ姿は、想像をかき立てますね。正面から描くのはタブーだったとか。
200年後に清少納言vs紫式部
枕草子 日本最古の随筆とも云われています。宮中でのさまざまな出来事がつづられ華麗な平安文化をうかがい知ることが出来ます
「大納言様の紫のお召し物はとても趣があって素敵です。作者は瀬少納言 この不朽の名作が生まれる背景には男達の政治抗争に
奔走された女性たちの友情のドラマがありました。「解決できない難題に直面したら寄り添え」
和歌の名門 清原家に生まれ、幼い頃から文学に親しんできた清少納言 一条天皇のきさきのひとり藤原定子に仕える
「女房」という立場の女性でした。女房には大切な役割がありました。それはきさきのもとを訪れる天皇を文学や音楽はたまた
センスのよい話題で愉しませ「また来たいと思わせること」天皇のちょう愛を得るためきさきたちは競って才能ある女性を
女房として採用していた。しかし雇い主の定子は本来の目的をよそに定子は清少納言と交わす文学の話題に夢中になった。
立場は全く異なる2人まるで親友のように仲良くなっていきました。「枕草子」はこの定子と過ごした宮中での愉しい日々の
描写が大きな場面となっていますが清少納言がひとつの作品にまとめるキッカケがありました。それは定子の没落です。
事の始まりは定子の父 関白 藤原道隆の病死でした。すると定子の父をライバル視していた左大臣の藤原道長がこの機に
権勢の拡大をはかろうと陰謀を画策。定子の兄たちは謀反の罪に問われ都を追放されてしまいました。
実家の後ろ盾をなくした定子は宮中で孤立。天皇の足も定子のもとから次第に遠のいていきます。
打ちひしがれる定子に清少納言は文を送ります。「大好きなあなたに少しでも元気を取り戻して欲しい」と・・・
悲しい出来事は一切含めず愉しい想い出や美しいと思った事柄だけを書き綴ります。それを読んだ定子は清少納言に小さな
包み紙を届けます。中には花びらが「言はでふぞ」と書かれていました。口に出しては言わないけれど あなたのことを
心から思っていますと・・・随筆「枕草子」は清少納言が不遇の主人への寄り添うために書いた極めて個人的な作品だった。
さてそんな清少納言についてある女性が辛辣なコメントを寄せています。清少納言はしたり顔で難しい漢字を書き散らして
るけれどよく見たら間違っているところも多いのよね。手厳しい批判の主 それは紫式部でした。
紫式部の知恵 大願成就のためには手段をいとわない
紫式部と言えば説明の必要もありませんよね。日本最古の長編小説とも言われる「源氏物語」の作者です。
紫式部は定子とは別のきさき藤原彰子でした。しかもこの彰子先ほども登場した野望の男 道長の娘です。
道長には思惑がありました。娘の彰子が天皇のちょう愛を受け跡継ぎを産めば腸廷内での自分の立場は更に盤石となる。
そのために利用しようとしたのが紫式部の「源氏物語」でした。「彰子のもとに通えば面白い物語を読むことが出来る」
娘のもとに天皇を招き寄せるため道長は「源氏物語」の執筆を後押ししたともいわれています。
一方の作者の紫式部にも「源氏物語」を書き続けるにあたり切実な事情がありました。当時 紙は貴重品 およそ100万
文字にも及ぶ大長編を記し残すには道長のような権力者の協力を得ない限りはとても無理。
自作を完成させたい紫式部と娘を天皇に近づけたい道長2人の利害と思惑は一致して名作「源氏物語」は生まれたとも云えるのです
道長のもくろみは大成功。後に彰子は皇子を出産する。道長は天皇の外戚として権力を一手に牛耳ることになります。
藤原摂関家の権力争いが繰り広げられた平安宮中で書き記された女流文学。2つの名作の裏に見え隠れする2人の女性の思い
そして生き方「源氏物語」紫式部 「枕草子」清少納言 みなさん どちらに共感しますか?
清少納言は寄りそうと・・そして紫式部は権力者を利用する
ご静聴有難うございました。