gooブログはじめました!今、日本が何処へ向って行ってしまうのか、とても気になっています。原発もTPPも気になります。

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官邸前、議事堂前での金曜デモの写真を発表出来たらいいなぁと思っています。

映画『朝日のあたる家』を黄金町のジャック&ベティで観て来ました。

2013-10-25 13:22:00 | 日記
『朝日のあたる家』は上映する映画館がないと言う事で話題になった作品である。
何故ならば、原発事故を扱った映画であるからだ。原発を扱おうと、映画として優れているかどうかが鍵だと思うのだが、この国ではどうもそうではないらしい。
映画も政治に左右されてしまうとは、なんとも情けない国である。

原発映画は政府に逆らう作品だと興行界は思ってしまい自粛してしまうのだろう。
勿論、興行界はそんな事は一言も言わないが、結果的にそうなってしまっている。
山本太郎がテレビからは完全に干されてしまったのも、テレビの自主規制によるのだから。
テレビだとて、文化の一環を担うのものであるだろうに、この国のテレビ局はNHK初め、そんな矜持は何もない。ただただ、お上にへつらうだけである。

だが映画はテレビとは違う。ある意味で反権力の要素があるものと信じたい。
この映画もそんな社会風潮に抗して出来たものであるだろう。反原発の山本太郎とか、反原発アイドルと言われる藤波心ちゃんなどが出ているのもその所為だろう。

この映画のチラシの宣伝コピーには、「放射能に美しいふるさとを奪われた、あの日。
家族の幸福も、踏み砕かれて・・・」 舞台は美しい大自然に囲まれた静岡県湖西市。過酷な原発事故を題材に「家族の絆とは?」「親子の幸せとは?」「あたりまえの風景。あの時は気づかなかったけど、あれが幸せだったんだ。」とある。

この作品はフクイチ事故の後で、フクイチ事故をすっかり忘れてしまった日本人が二度目の原発事故を体験するというものである。静岡の浜岡原発が爆発したとの想定でストーリーは展開する。

普通の家族が家を追われ、故郷を追われ、身体を放射能に蝕まれ、家族がばらばらになってゆく過程を描いている。思わず涙が零れてしまうシーンもあり、感動の作品である。上映館ジャック&ベティの好意で一週間続映するそうである。是非観てください。

私が見た24日は監督の太田隆文氏のトークがあり、彼に質問なども出来てなかなか良かった。私が一つ疑問に思ったのはこの街の住人たちがフクシマ原発に続き二度目の原発事故なのに、余りにも放射能に対して無知なので、こんな事はないないんじゃないかと質問した。

監督の応えは、実際彼は浜岡原発のある地元で住民達にフクイチ事故に付いて聞いたら、本当に何も知らなくて驚いたという。原発のある地元がそうなのだから、無い処は推して知るべしではないかと思い、初めての体験の様にして描いたとの事であった。
大方の日本人はもうフクイチ事故は終わったものと思い、記憶の彼方に押しやってしまったのだろうか?情けない。

この後私は、首相官邸前で行われている、特定秘密保護法反対デモに参加した。


向う三軒両隣りのありがたさ!

2013-09-06 10:45:20 | 日記
昨日、民生委員の方から連絡があり、80代の独り暮らしの女の人にどうやら異変が起こっている様だから、警察に連絡をしようと思うのだが、どうかと言うので、事情を聞いたら、2日前に隣人が当人の歩き方が可笑しいので声を掛けたら、頭が痛いとしきりに言っていたと言う。

それで心配になり翌日、何度か電話を掛けたのだが、一度も出ない。そして本日、家の様子を伺ったら、窓が開いているという。声を掛けても返事が無いと言う。庭の方に廻ったら、網戸は閉まっているが、ガラス戸は開くという。

家の中に入るわけには行かず、民生委員にどうしたものかと連絡してきたのだという。
民生委員は直ぐに娘さんに連絡を入れたのだが、繋がらないので、仕方なく、警察に連絡を入れて、家の中に入る事になった。自治会の会長の私と近所の男の人がお巡りさんと共に家に入った。

名前を呼びながら、入っていったのだが、電気のスイッチの場所を探し、明るくしてから、部屋を見て廻ったら、風呂場に倒れていた。お巡りさんが様子を観たら、反応がないという。えっ!となったのだが、直ぐに救急車を呼んだ。

直ぐに到着して看て貰ったら、何と息があると言うではないか!その場にいた人達の間に歓声が沸いた。
民生委員さんは、その時には既に交番のお巡りさんから、娘さんへの連絡先を聞き、娘さんと連絡が取れていて、こちらに向っているとの事。

だが、お巡りさんも慌てたのだろう、蘇生を試みる事無く、死んでいると思いこんでしまったのだから。
本来死の確認は医者の仕事だろう。

だが、これは近所付き合いがあったればこその発見だと思う。心配だったから、電話をする、声を掛ける、新聞が溜まっている、回覧版もその侭、これは可笑しい・・・と民生委員に連絡する・・・そして警察に連絡・・・そうした事がなければ、確実に死んでいたであろうから・・・近所付き合いの大切さを実感した。

だが現在は、その付き合いが日々疎くなっているのも現実だ。それに以前にも書いたが
いざと言う時に連絡する民生委員もこの町からいなくなる事も決まってしまった。
どうやって町を見守っていくのか、重い課題だ!

民生委員のなり手がいない!

2013-08-28 09:23:12 | 日記

今年の4月に自治会の会長になって、最も困ったのは、民生委員の後任を8月の23日までに決めねばならないのだが、幾ら頼んでも、良い返事をしてくれる人が全然いなかったことである。
民生委員はボランティアであり、責任もあり、仕事もきついと思われている。
実際、そうなのだから、強引にやってくれと言うわけには行かない。それに行政は必要以上にやれ個人情報だ、やれ守秘義務と五月蝿い。
100人以上の人に手紙を書き、お願いしたのだが、結局、タイムリミットになってしまった。これでこの町内は民生委員のいない町になってしまった。
現在の民生委員は9年間もやってくれているので、継続をお願いしますとはいえない。

100人以上の方にお願いして、断る理由の一番は<仕事があるので>であった。
民生委員はある程度の年齢でないと出来無い仕事でもある。高齢者の話し相手になるのだから、それなりの経験などが必要とされるからだ。
だから、40代後半から、50代、60代前半の女性に的を絞って手紙を書いたのだ。
その年齢ならば、家庭にいるのではないかと思ったのだが、働けるうちは働くという女性が多いのだ。

子供も独立し、夫と二人ならば、時間の余裕もあるだろうと思ったのだが、その予想は完全に裏切られた。50歳になっても働かなきゃならない人が多いのだ。

どうしてそうまでして働かなきゃならないかと言うと、老後の暮らしに不安があるからなのだろう。
『人様の面倒を見る前に自分の暮らしの面倒を見なきゃならない』という言葉を何度も聞かされたのだ。

金銭的にも精神的にも貧しい国になったのだと実感した。
余裕の無い社会。

民生委員はいないけど、独り暮らしの高齢者を放って置く訳には行かない。
どんな風にしてその人達を見守っていくのか、残暑の中で考えている。
嗚呼・・・。


ブログを始めようと思います。

2013-08-20 15:56:33 | 日記
今年の4月から、自治会の会長になってしまった。誰もが尻込みして、なり手がないので、埒が明かず仕方なく、じゃぁ俺がやるよ!と言ってしまったのだ。途端に拍手が沸いた。だが、やってみると、行政からの連絡事項などが次々に来て、予想していたよりも忙しい。芝居の脚本を書くのが私の仕事なのだが、落ち着いて芝居のテーマを考える事が出来なくなってしまった。今の悩みは今年で民生委員の任期がきれるので、後任の人を今月中に決めねばならぬのだが、全然なり手がいない。何人か、推薦された人に当たってみたのだが、誰もがトンデモナイと言う感じて断るのだ。口実は仕事と、自分の親の介護、そして体調である。100人以上に当たってみたが、夫々、断り方は違うが、皆が断るのだ。確かに仕事があると言われれば、強くは押せない。民生委員だから若い人では駄目であり50代を中心に当たったのだが、50代でも仕事をしなければ、今の世の中生きていけないのだ。貧困国家と言う言葉が実感としてわかったような気がする。