先日の土曜の夜に録画していた、ETV特集『”復興”はしたけれど~神戸 新長田再開発・19年目の現実~』を今日、見た。ヤッパリと言うのが見ている時の感想だった。
長田地区は木造家屋の多い典型的な下町であり、大正商店街は当時何度も映像に出てきたので覚えている人もいるだろう。神戸市はその長田地区を西の副都心にする計画を震災前から持っていて、これ幸いとばかりに大地震の起こった翌日から図面を片手に職員が現地を視察していたというのだから驚く。
その役人たちは、未だ人が埋まっている場所を指差して、此処をビルにしてと話し合っていたのである。
18年経って、確かに長田地区は計画通り、ビルばかりの地区に生まれ変わっているのだが、大正商店街はその入り口付近からしてシャッターの閉まった店が続くのだ。
商店街の人々は自分の店があった土地を神戸市に売って、新しいビルの店を買って商売を始めたのだが、ビルが出来るまでの生活もあり、新しいビルを買うにも借金をせねばならない状態であったらしい。その上、固定資産税、管理費も払わねばならず、昔のお得意さんの多くは他所へ行ってしまい、借金を返す当てもない状態に追い込まれているのだった。
神戸市の復興計画は大失敗したと言っていいだろう。
その事は18年前の神戸市の都市計画、復興計画ありきのやり方に根本的なミスがあったと言う事を示している。
箱物を幾ら作ってもそこで暮していく人々の事を考えなかったら、決して復興なぞ出来る訳がないのだ。
当時から神戸市のやり方に不満を述べる市民が沢山いた事も当時の報道をみていたのでよく知っているが、神戸市は市民の反対を押さえつけて、箱物ばかり作って人が生活できない町を作ったと言う事だ。それは多分国の方針であったのであろう。
当時、私は阪神大震災を扱ったニュースやNHKスペシャルの様なドキュメンタリーを録画した、そのビデオの数は7~8本になるだろうか?
後日、そのビデオ資料は一本の芝居『冬支度』に結実した。
その芝居は東宝現代劇75人の会公演に書いたものだったが、H15年8月にNHKBSⅡで放映してくれたので私にとって忘れならに作品となっている。
その芝居のラスト近くで、「行政が市民の暮らしを守る町つくりをするかどうか、しっかりと見守って行きます」と言う台詞を登場人物に言わせたが、結局、その人物の不安は的中して人の住めない町を造ってしまったと言う事なのだろう。
東日本大震災の復興もこの国の役人に任せていたらきっと同じ事になるだろう。