The Alan Smithy Band

The band is on a mission.

Three Men Standing

2014年07月03日 | ひで氏海外ミッション編
アメリカの入国というのは、とても厳しい。というか、厳しくなった。
間違いなく2001年のテロを境にセキュリティが強化されたのだと思うが、私ひで氏も2011年に久しぶりにアメリカに行ったとき、シアトルでの入国審査がものすごく厳しくなっていて驚いたのを覚えている。911から10年経っていてもそんな印象だった。

それを思うと、かなり落ち着いてきた感はある。それでも一人一人にかかる時間は長く、他の到着便と重なったりすると入国審査にはとてつもない時間がかかるのである。私ひで氏のようにアメリカ国内で飛行機を乗り継ぐ場合はここでかかる時間を甘く見ているとひどい目に遭う。

今回の乗り換え地はデトロイト。もちろん最初にアメリカに入国する地点で入国審査を受ける。
飛行機を降りてできるだけ急いで行ったと思っても、やはりすでに長蛇の列だった。

乗り換えには3時間ぐらいの余裕があるし、待つこと自体はなんら問題ないのだが、とにかくあの腸のように連なる列の中で荷物をキックしながらちょろちょろ進んで行く状態からはできるだけ早く解放されたいのだ。

細かい話だがこの入国審査のポイントまで行く途中のある地点でアメリカ人の女性職員がこちらを向きながら大きな声で

「US Citizens, right! Visitors, left!」(米国民は右、ビジターは左)と叫んでいる。

ありがたい、と思ってビジター側の左に早足でしばし進んでいくと、どう見てもアメリカ人だらけである。
そこまで来てやっと見える電光掲示板には「US Citizen」と書いてある。

逆じゃないか。。。はッ!あの人もしかしてこっちを向いてたから。。。

そう、自分に対して右や左と言っていたのだ。人と向かい合って説明するときは左右逆に言うやろ普通ーー!

しかしもしかすると自分が知らなかっただけでお国柄なのかもしれないと思い、反対側に行くためにその女性の地点をまた通り過ぎるとちょうど「逆を言わないといけないのね!ははは!」と爆笑しているのだ。

国柄とか関係ない。一瞬でも察した自分の優しさを呪った。

この間に抜け目のない人たちに相当数抜かされ、かなり出遅れる。

ちなみに携帯をいじってはいけないことになっているので、本でもない限り本当にボーとしながら延々と列がトロトロと動くのを待つしかないのだ。仕方ないので鬼平犯科帳19巻を読みながら進む。

その時である。

まだまだ先の、入国審査官のブースから声がした。

「誰か英語と日本語を話せる人はいますか」

このとき特に何も考えずに手を上げた。日本からの便なのでそんな人は結構いただろうが、たまたまいち早く反応しただけの話だ。

するとブースまで呼ばれた。

長い列から外れてブースまで行くと、巨漢の白人男性が私ひで氏に向かって、手伝ってもらえるかと聞いた。
オーケーと言ってふと横を見ると、日本人男性が立っていた。つまりは言葉の問題で入国審査ができないので、通訳を頼まれたというわけだ。

最初はどこを訪れるとか、何日滞在するとか基本的なことだったのでこの日本人男性もわかっていそうだったのだが、
前述したようにアメリカの入国審査は人によっては結構意外な質問を浴びせてくる。

「帰りのチケットを見せなさい」

という質問が来た。男性にそれを伝えると、「一人旅で、帰りはオープンのチケットをとっている」と言う。
その旨を審査官に伝えると、「今持っているのか聞いている」というので、聞くと、今手元には無いとのこと。

すると訳す前に「無いんだろう」と審査官。非常に威圧的である。

仕事で厳しく接するのはわかるが、さっきの左右逆転事件もあり多少のストレスを感じていた私ひで氏も

「今手元には無いかもしれないがメールなどで持っているのでは。でもここはスマホも見れないようだし」と多少皮肉を込めて反撃してみた。

直後、審査官と私ひで氏の間で3秒ぐらいの沈黙の長い見つめ合いがあった。男性も交えると、あたかも蛇と蛙とナメクジの三すくみのごとき沈黙であった。



「OK」

と言われた時には止まっていた時計が動き出したように緊張が解け、横で見つめていた男性もほっとした様子で、ありがとうございましたと言いながら去って行った。


さて、この小さな攻防も終わり列に戻ろうとしたところ、


「ご協力ありがとう。じゃああんたの審査だ。」


と言ってその場で審査をしてくれて入国審査完了。30人分はワープしたと思う。

サンクスと言うと審査官はそこのアメを持って行け、と前のアメが入った瓶に向かって目くばせをした。


いいヤツじゃないか。。。


ということで異例の裏ワザで早期入国!





Bridge of Movies

2014年06月19日 | ひで氏海外ミッション編
かつてないほどにブログ更新をさぼってしまった。。。

ひで氏です。

書きたいことは山のようにあるのに、ここ最近の怒涛のスケジュールを理由にブログから遠のいてしまっていた。
以前書いたことがあるように、SNSというのは本当に恐ろしい。
ツイッターでインスタントに何かを発信、もしくはFacebookでちょっとしたことを書こうものなら、もうそこで言うべきことは言ったような気になりついつい一番大きな表現場所であるブログから足を遠のかせるのである。これはおそらく全世界的な傾向だと思う。

読み手にとってもブログはより大層なものとなり時間をかけて消化しなければいけないものとして構えられる。
たとえるなら15秒のCMと2時間の映画のようなものだろうか。

とにかく言えることはインスタントな呟きの蓄積をブログでやってもだれも嬉しくない、つまりクリックして飛んでまで読むのだからそれなりの読み応えが要求される状況になっているということである。またそれは量ではなく、質的な話だ。

いつになく考え事をしているぽい、そんな私ひで氏、現在ミッション遂行のためアメリカにいる。

しばらくアメリカへ行く機会がなく今回初めて知ったのだが、
今や関西国際空港から米国への直行便の数は激減している。今回、結局名古屋は中部国際空港から飛ぶことになった。

まずは新幹線で名古屋へ。
前日、自分の最寄駅を一駅寝過ごしたというのもありここで寝過ごすことを想像する。

一駅寝過ごすだけで新横浜だ。

しかも駅に着く前のあの独特の「タンタンタン タタン」という音楽、あれは人を起こすには全く効果が無いように思う(そもそも起こす目的ではないかもしれないけど)。むしろより深い眠りにいざなうことを目的としているようなメロディだ。

このことを「あのメロディを目覚まし用に売り出したら結構受けるんではないか」と言った友人がいたが、
あのメロディには独特の影もあるように思うのは私だけだろうか。「落ち着く」と言う人もいれば「聞くのもイヤ」という人もいるような気がする二つの顔を併せ持った不思議なメロディだ。給食に例えるなら好きな献立と嫌いな献立の両方1位をとるカレーのようなものか。

無事名古屋で降りて中部国際空港へ。駅の看板には「中部国際空港(セントレア)」とある。セントレアという名前はたしか多少話題になった気がするが、こういう書き方をするところに踏ん切りの悪さを感じて笑える。自分で決めといて前面には押し出さない。いうなれば自分でド派手な着信音を設定しておいて、電車内で鳴り出すとものすごい速さで止めにかかる、日本人独特のあのメンタリティだ。

今日は例えてばっかりだ。久しぶりだからまあいいだろう。

そのセントレア、今回初めて利用したのだが単純明快な作りでとても利用しやすかった。
飛行機の遅れもなく無事搭乗。

私ひで氏は離陸直前に猛烈な眠気に襲われる不思議なクセを持っているので、いつものごとく気づいたら空の上だった。
そこから先は最近本当に寝れないのがわかっているので映画を見ることに。

American Hustle

上映が始まった時から見たいと思いつつ機会を逸していたのでここぞとばかりに見た。ブラッドリークーパーはもちろん、エイミーアダムスとジェニファーローレンスと好きな役者ばかり。年代設定の再現度高し。内容的にもテンポよくものすごくまとまりの良い映画。

小さいおうち

珍しく邦画エントリー。松たか子という人はレリゴーでも相当の破壊力を見せつけたけれど、この映画を見るとさらに懐の大きさが見える。器用な人だ。黒木華もよかった。「廊下拭いて!」と言われすぐにとりかかった時に着物をたすきがけにする女中としての手つきが完璧で美しかった。ストーリーの根幹に関わるので書かないけれど、後半とても残念な部分があったのが惜しい。

Gravity

巷で言われているほど悪くはなかったように思う。ひとつ思うのは、映画のプロモーションの中でやたらと撮影秘話やCGの作り込みなどを過剰に垂れ流すのはやめたほうがいいと思った。それが目に入るととにかく本編での緊迫感が薄れる。あとこれは今に始まった問題ではないけど、邦題は「ゼロ・グラビティ」で、原題はGravity。ゼロがあるほうが何かとインパクトがあると思ったのか、語呂がいいと判断したのかわからないが、最後まで見るとこの「ゼロ」が絶対に要らなかったことがよくわかる。これは映画のテーマに関わる大事な問題だと思った。

映画というのは音楽と同じで時間を費やす芸術だ。
いつもそうだが3本も見ればもう3分の2ぐらいの行程を過ぎる。飛行機で見ると、まるで映画というのはA地点からB地点をつなげてくれる橋のようなものだと思う。また例え入りました。

何より恐ろしかったのは隣の男性がただの一度も席を立たなかったことだ。
あの人の膀胱はどうなっているのだろう。


そんなわけであっという間にデトロイトに到着。


ここデトロイトの入国審査で、意外な場面に遭遇することになる。



アリかナシで言うと。。。アリだ!上海文化事情

2013年12月03日 | ひで氏海外ミッション編
上海に来たのは久しぶりだなと漠然と思っていたら、2年前だった。
さかのぼってみると、上海という都市に来るたびにいろいろ書いていることがわかった。
つまりネタには事欠かないところなのだということがわかる。

【過去のASB上海関連エントリ】
狼狽上海
北京ならマイケル可能
ひで氏万里を駆ける
上海たっぷり食事情
上海ギリギリ交通事情
ツンデレ都市上海

現在滞在二日目だが、すでに思わず笑ってしまうようなことが多発。
考えてみると大きく二つに分かれると思う。文化に関することと、モノに関することだ。

まず文化的なこと。ここでいう文化とは人の行動に関する事だ。

上海に初めて来た人なら誰もが驚くのがまずタクシーではないだろうか。
とにかく縫うように走るので怖い。補助ブレーキ機能があったなら踏みまくるだろうな、という場面満載だ。

ああッ!危ない!!という場面にだいたい目的地に着くまでに必ず一度は遭遇するが、
いちいちびっくりするのは自分だけかと思ったら、結構運転手も「アウッ」などと言って焦ってたりする。
要は本当にギリギリなのだ。タクシー、バス、トラック、車、リヤカー、バイク、自転車、歩行者。。。すべてが交錯する朝の巨大交差点は圧巻である。

日本では「歩きながらのスマホ操作はやめましょう」というような異常なまでの幼稚な教育指導が平然と垂れ流されているが、
上海で信号を渡るときにスマホを見ている人など見たところ一人もいない。本当に轢かれて死ぬからだ。
みな数センチレベルで車と行き交うのだ。中国ではアリだ。

さて今回空港からホテルに向かうために乗ったタクシーの運転手はとても気さくだった。
まずこちら中国語は「領収書下さい」しか言えないというのに、ガンガン話しかけてくる。それでも何とかコミュニケーションできるから人間やはりFace to Faceが大事だ。
そのうち気に入られたようで、「シャンビエン」というのだろうか、たばこを勧められた。日本ではあまりなさそうな光景である。これも中国ではアリだ。

煙草は吸わないのでシエシエとだけ断ったが、初老の運転手は気持ちよさそうに吸っていた。
その時気づいたのだが、ダッシュボードにタクシーの番号と運転手の顔写真があるのだが、どう見ても別人、そうでなければ絶対に30年ぐらい前の写真を使ってるとしか思えないような若い男の写真だった。これも中国はアリ。

瞬間、タクシーの側面ギリッギリに例の如くバイクが並走してきた。
見ると後ろに子供を乗せているのだが、子供は後ろ向きに、つまり親であろう運転手と背中合わせに座っていて、こともあろうか寝ている。
体がカックンカックンと動きまくっていて、手もだらんと下に下がったままだ。かろうじて子供だけヘルメットをしている。。。さすがにこれは危なすぎてナシであってほしかったが中国ではアリなのだ。

見ている方の寿命が縮む。

ようやくホテルに着いたがあの子供のおかげ(?)で領収書をもらうのを忘れた。
それだけは中国語で言えるのに、だ。アホである。

2年前に泊まったホテルと同じで、当時のルームキーが入っていた台紙に住所と地図がプリントされていたので、今回持ってきていた。タクシーにもこれを見せて来たわけで、我ながらこれはグッドアイデアだったなと心の中で自分を賞賛しながらフロントに向かうと、フロントのお姉さんがウェルカムといいながらそれを貸して、というような手つきで手を出してきた。

彼女にすれば自分の働くホテルの見慣れたルームキーを入れる台紙なので、とりあえず貸して、と思ったのだろう。
今からチェックインする人がキーの台紙を持っているというのはなんだかややこしいかなと思いつつ手を出されたので反射的に渡した。

すると彼女は台紙を一瞥したあと、そのまま後ろにあるごみ箱に投げ入れた。ポーンと。

台紙自体は今からチェックインしてまた新しいのをもらうから別にいいのだが、
渡したものがそのままダイレクトにゴミ箱に行ったのでこれにはおもわず笑ってしまった。

中国では。。。。アリだ!

なんかいろいろあるなあと思いつつ、ホテルに着いてからしばらくして隣にあるスーパーにちょっと買い物に出た。
結構な人出で、ガヤガヤと耳に入ってくる中国語。

中国語はかなりのチャレンジだが話せたら面白いだろうなあ。。。それにしても売り方もすごいなあ(写真)。。。
などと思いつつ歩いていると背後で言い合いのようなやり取りが聞こえる。

「よく中国語は喧嘩しているように聞こえるというのが本当にそうだな。。。」

と思って振り向くと、

カートを押している男性と女性店員が二人とも鬼の形相で言い合いをしていた。

め、、めちゃめちゃ怒ってるやんーーーッ!


とにかく、なんでもアリだ。


モノ編は次回!







One hour in Little India

2013年12月01日 | ひで氏海外ミッション編
12月に入ってすっかり寒くなったところで、暑かった話を。

ひで氏です。

先日のシンガポールミッションのこと。
Mango with Sticky Riceを数分の差で食べ損ねたショックから立ち直れないでいた私ひで氏は、
瀕死の状態で最終日のミッションを終えた。

この最終日の夜は人と約束をしていたので、早々にホテルに帰った。
この時点で17時。待ち合わせの19時にはまだ余裕がある。。。せっかくだしちょっとその辺をぶらぶらするか。。。
と思ったのだが毎回シンガポールに来るたびに同じホテルに泊まっているので実は近辺というのはかなりの範囲まで散歩をしたことがあるのだ。

ではどこか行ったことのないところで、今から19時までに行って帰ってこれるところはあるだろうか。。。

そんなことを思いめぐらせながら地図を見ていた時に目に飛び込んできたのが、

リトルインディアだ。

シンガポールというのはとても小さい国だ。
もちろんとても全部見て回ったとは言えないが、中心地であれば相当いろんなところは今までも見てきたつもりである。
しかしリトルインディアはなぜかこれまで一度も足を踏み入れたことがなかった。

調べてみると地下鉄でも一度の乗り換えだけで、せいぜい20分もあればいけそうだ。
往復に40分。。。いますぐ出たとして現地で1時間ぐらいは過ごせるだろう。。。
そう思った時にはすでに部屋のカードキーを握りしめ外に飛び出していた。

リトルインディアというのは文字通り「Little India」という駅にある。


そこは降り立つと香辛料の匂いがすでに立ち込め、
周りもインド人ばかりだ。

まさにイメージしていた通りの感じの店が所狭しと立ち並び、


ちょっとした看板もやたら派手だ。なんのCDかが気になる。。。


それにしても活気がすごい。どの店も人であふれている。


しかしこのストリートの混み具合がまるでヒヨっこだったということがこの後明らかになる。
とにかく異常な熱気なのだ。

このときに待ち合わせをしている友人からメールが来る。なんと待ち合わせ時間を一時間早めて18時にできないかとの打診だ。

仕方なく「ちょっと空き時間を利用してLittle Indiaに来てみた」旨のメッセージを返すと、

「今日、リトルインディアに。。。?ひえ~」みたいなメッセージが返ってきた。

え、なんでなんでと思いながら歩きすすむと、もう町のテンションが尋常ではない。テレビカメラなんかもちらほらいて、
どうもエリア全体が特別な空気に包まれている。
とにかくモノ、モノ、モノで溢れている。そしてインディアントランスとでも言おうか、超爆音で音楽が鳴り続けている。


とにかく、一体この人たちは気にならないのかというぐらい人とぶつかりあいながら進まないと前にいけない。
そしてこの時期のシンガポールは雨季というのもありとても蒸し暑い。全員汗だくである。


あとから聞けば何か数日後がとても大きなインドの祝日とかで、この日からスタートする盛大な数日間のお祭りの初日だったとのこと。

とにかく人ごみでのブレーキが大きすぎて、気が付けば18時45分ぐらいになっていた。
あわてて駅まで人ごみをかき分けて戻り、待ち合わせの駅に着いたころには19時10分ごろだった。

わずか1時間ほどの弾丸訪問だったが、
戻ってきたところの静けさも相まってついさっきまで目の前に広がっていたカオスが夢だったのではないかという気さえした。

ふと思い立ってシャレのつもりで行ったところが、
もしかするとこれまで経験した外国の中でももっとも印象深いエリアだったかもしれない、というぐらいの突風が体を突き抜けた感じがした。

ゴミひとつ落ちていない、最新のビル群に囲まれたシンガポールの中心に、
重低音に包まれた、きらびやかで甘い匂いのする悪夢か天国か見分けのつかない異空間。


そんな小さなエリアが、確かにシンガポールにある。





Mango with Sticky Rice

2013年11月21日 | ひで氏海外ミッション編
先日、ミッションによりシンガポールに1週間ほど滞在した。

ひで氏です。

このシンガポールで知った、すごい食べ物がある。
ちなみにドリアンではない。

それはタイのデザートなのだが、このシンガポールで出会った。
名を「Mango with Sticky Rice」という。その名の通り、マンゴーにもち米が添えられたものだ。

あれは忘れもしない2回目のシンガポール訪問の時だ。
現地のシンガポール人がある夜、タイレストランに連れて行ってくれた。
先方も特別に何の意図もなく、普通に出てきたデザートがMango with Sticky Riceだった。

なにこれ。。。マンゴーと。。。米??

と思って恐る恐る口に運んだ私ひで氏は、味わうや否や、持っていたフォークを落とし、周りの人が思わず目を向けてしまうぐらい机を小刻みにガタガタと揺らした。「こ、これは。。。。」

震えたのだ。

美味、そして新しい。

マンゴーを食べたことはもちろん何度もある。もち米などこちとら日本人である、数えきれないぐらい食している。
しかしこの組み合わせを味覚を持って体験したとき、タイ王国のフルーツの扱いに対するプライドを見た気がした。

以来、私ひで氏はシンガポールを訪れるたびにこのMango with Sticky Riceを食べることを最上の楽しみとしているのである。
しかし、毎度毎度食べられるわけではない。

特に貴重なものでもなく、なかなか手に入らないわけでもない。
ただ、時として滞在中たまたまチャンスが無いこともあるのだ。

車でもあれば確実にそれを食べるためだけに動き回るだろう。しかしミッションでの滞在というのはなかなか食べるものまで思う通りにいかないというのが実情だ。

しかしアピールはする。

あーあの、あれ衝撃やったなぁ~ あのストーンズの曲みたいな名前のアレ。
なんとか with Sticky Fingers...じゃなくてSticky Rice。あーそうそうマンゴーのやつ。

と自分なりに精一杯厚かましくならないよう配慮をしながらほのめかすのだ。
先方もわかっていながらも、予定が合わず結局食べる機会を逸する時もあるのだ。前回がまさにそうだった。

そのような苦い体験をしているので、今回の訪問時の決意は並々ならぬものがあった。

そんな意気込みを察してか、現地のシンガポリアンであるR女史が「今回は絶対食べないとね!」と言ってくれた。
今回の滞在中に件のタイレストランでの食事の予定はない。場所も車で20分くらいは離れているので無理やりねじ込めるという保証もない。

さらに言うと今回のミッションはひたすら会議室にカンヅメというスタイルであったため、さらに自由がきかない。
食べたい欲望が最高潮に達した私ひで氏はそのことを休憩中などにほかのメンバーにそれがどれだけうまいかを毎日のように力説していた。私以外のメンバ―に日本人は一人もいなかったが、みなマンゴー with Sticky Riceは食べたことがないらしく興味津々であった。

滞在二日目のこと。

この日も朝から会議室で一日中ミッションであったが、ランチタイムになり外に出て帰ってくると、会議再開の直前になってある人に呼び止められた。その人というのはアランスミシー財団で言えばトップレベルの組織の人間であった。

内容は別にどうということはない。久しぶりだ、日本には長らく行っていない、いつまでシンガポールにいるのだ、というような出張者同士の見本のような会話を交わし、そのまま日本の近況などの世間話に及んだ。会議の再開が迫っていて頭の隅で気になってはいたが、無下に切り上げる雰囲気でもなくそのまましばし歓談した。

会議室に向かったのは午後のセッションが再開して15分ほど経ったころだったろうか。
今度はオフィスにいたR女史が私ひで氏に声をかけてくれた。

「ひで、さっきタイレストランにひとっ走り行って、買っておいたよ!!」

え、ええーー!マジで!

「テーブルの上に置いておいたから!」

ありがとう!。。。

瞬間、嫌な予感がした。

奇しくも昨日、会議室でMango with Sticky Riceの美味しさを力説したところだ。
そこに不意打ちで現れたご本人(マンゴー)、その場に居なかったという不安要素。

犯罪現場に突入するSWATのようにドアを開けた私。

雑然とPCが並べられたテーブル

散乱するケーブル類。

にも関わらず黙々とPCに向かい会議を進行しているミッションメンバーたち。

私が座っていた一番奥の席の前にあったのが





これだ。




私ひで氏は決して見逃さなかった。

そしてその中の一人の頬に確かに米粒がついていたことを。



拡大図



Navigate Me

2013年09月08日 | ひで氏海外ミッション編
今回のミッションはドイツ、間にデンマークが挟まるというなかなかのタイトスケジュール。
順調に消化するため、車を借りることにした。

ひで氏です。

ハンブルグ空港について向かったのはレンタカーのオフィス。
海外で車を借りて思うのは本当にレンタカーのシステムが洗練されていてスムーズということ。
レンタカー各社の窓口が密集していて迷うことはないし、事前の手続きはすべてネットで済ませることができるし、受付でのまどろっこしい説明もない。ただキーをもらって駐車場に行けば、そこに車が停まっている。

ただし今回は色んな所にいくので、オプションとしてナビを追加した。
キーと一緒に渡されたのはなんともかわいらしいバッグだ。この中にナビ一式が入っているのだ。


備え付けのナビをイメージしていたのだが、あとで一般の車を観察していても思ったのだがドイツではこのポータブルのナビがものすごく多い。

駐車場に行って車と対面。車種はオペルであった。
日本からネットで予約して、数ある車の中からこやつが選ばれたのかと思うと感慨深い。


オペルと言えばあの指揮棒を持ったおっちゃんが「アイン・ツヴァイ・ドライ!」と叫ぶCMを思い出す。



日本でそんなにたくさん見かける車でもないのでオペル・アストラやベクトラには少なからず憧れがあった。日本では高いブランドイメージを維持しているように思うが本国ではそうでもないということが後のドイツ人との会話で判明しややブルーになるも、とにかく、今回はこのコンパクトなCORSAというオペルを操縦することになる。

早速持ち運んだナビをセットする。
いまいち付ける適当な場所がなく、フロントガラスの下に付けるのは慣れていないと相当邪魔に感じるので、本来備え付けのナビがあるならここだろうという、車やオーディオの状況が表示されている液晶パネルにギリギリ吸盤が収まったので装着した。

ナビゲーションにこの日の最終目的地のホテルの住所を入力し、「GO!」というボタンを押す。
指示に従って駐車場を出て少しの間走ってみる。

「そのまま495をまっすぐ行ってください」

という旨のアナウンス。しかし車は真っ白な草原の上を走っているかのように表示されている。

ナビの前で俺は何をやっているのだと思いながら電話で地図を確認する。
しかしハンブルグの空港から目的地に行く高速は一本しかなく、ナビがいう495という道路はまったく別のところにあるはずなのだ。
しばらく走っていればそのうち現在地を認識するのかも、と思い空港を出るギリギリまで走ってみるがずっと白い草原のままだ。

これは絶対におかしい。。。

ただでさえ15時間以上の移動でしかも夜、このまま言われるままに運転してベルリンにでも行ってしまったらどうにもならない。

ここは仕方ない、ということでレンタカーをゲットした駐車場まで戻る。
そしてまたナビを小袋に入れ直し、更に空港内のレンタカー窓口まで戻る。


窓口で説明すると、意外とあっさり交換してくれた。
頻発している問題と見た。

そして今度は同じ間違いが起きないようにと、窓口ですでに事前の設定を再度済ませ、
その窓口が現在地として認識されている状態で小袋に収納。それをもってまた車に戻る。

戻る道すがら、小袋の中でナビが何か言っている。
すでに案内が始まっているのだ。これには笑った。

車に戻り再度ナビをさっきと同じようにコントロールパネルを覆うように設置する。その代わりにそのパネルに出る情報は全く見えないのだが、まあたいしたことではないだろうと判断した。

さてやっとまともになったナビの案内を元に空港を出ていよいよ人生初のアウトバーンに。
思っていた通り130kmぐらいで走らないと逆に迷惑な感じなので、慣れるまではこれは結構疲れた。

更に車内が寒い。どうも前のユーザーか掃除していた人?が冷房をガンガンの設定にしていたようだ。
アウトバーンを走りながらなのでチラ見しかできず、手探りでいろいろツマミをいじってみるが、全然うまくいかない。
ルームミラーやサイドミラーなどは走り出す前に入念に調整したが、考えたらエアコンの使い方までは考えていなかったのだ。

しかも風量がどうとか、今どういう状況下というもろもろの情報は自ら吸盤で覆ったコントロールパネルにすべて表示されているようだ。

結局またナビに翻弄されているではないか。。。。!

俺は自分の行先案内はおろか、車内での振る舞いまでナビにコントロールされている。。。!

結局ガチガチに震えながら1時間後、無事ホテルに到着。

最小限のアンパックを施しそのままベッドに倒れこむ。
日本の夏の暑さとは違い朝晩は結構冷え込むドイツの気候は侮れない。

夜中に寒さで目が覚め、ガバーと起き上がると同時にくしゃみが3回でた。


あれ?また?





Donnerstag Hiroshi

2013年08月29日 | ひで氏海外ミッション編
帰ってからゆっくり振り返ろうとも思っていたが、新鮮なうちにこの感覚を記しておきたい気持ちになったのでブログ更新しているひで氏です。


現在、ドイツにてミッション遂行中の私ひで氏、
昨日の食事はとても印象的だった。

この日の終日ミッションを終えた私ひで氏は、そのあとに続くディナーにも参加することになっていた。
今回は車を借りているので、住所だけメモして現地に直接行くことにした。
レンタカーだが、ナビがついているので大丈夫と判断したのだ。

この街を訪れるのは3度目だが、車があるというのは初めてで、
いつもはホテル周辺をせいぜい散歩するぐらいだがいきなり行動範囲が無限に広がったようでちょうどいいと思った。今晩のディナーの集合場所は別の街なのだ。

車に乗り込んで住所をナビに入力する。
道の名前プラス番地、というのがドイツの住所表記のスタンダードのようだ。

街の名前から、道の名前と、スムーズに入力。番地は「2」とあるので、すでに絞られた選択肢から選ぼうと画面を注視する。

出てきた最終候補は2つ、番地は「1」と「3」しかない。「2」がないのだ。

ここで日本人的感覚を無意識に働かせてしまった私ひで氏は、「3」を選んだ。
付近まで行けばわかるだろう、さらにナビの目的地を3にしておけば、1を通過しても3に着くまでに2が現れるはずだ。。。

この考えが間違っていたのに気づくのにそんなに長くはかからなかった。
20kmほど離れたその街にはナビの指示に従いほどなく着いたが、だんだんと道が細くなってきた。

さっきまで走っていた幹線道路が恐ろしく現代的なものに思えるほど、
信じられないぐらい原始的な景色になってきた。あちこちに牛が見え隠れするし、個人の家がぽつぽつと立ち並んでいる。

これらの家というのが絵にかいたような、まさに絵本に出てくるような家ばかり。
生えている木もこんな感じになってきて、まさにグリム童話のイメージだ。


グリム童話そのものといっても、私ひで氏はドイツ文化に詳しいわけでもなんでもなく、ここでは非常に安直な感覚でグリム童話と言っている。
しかしこういう時はそんな単純な感覚こそが頭を支配し、道に迷っているという事実とともにネガティブなことばかり考えてしまう。

ナビは「3」に着いたとだいぶ前にアナウンスしたきり黙りこくっており、ふと見るとついに道が無くなった真緑の画面を車の絵がひた走っている。
この辺り、家並みやナビ画面の写真を収めておけばどれほど良かったかと思うが一枚も無い事がどれほど不安に陥っていたかを物語っている。

次第に家もなくなりただただ異様に細いあぜ道。対向車はおろか、周りには何もなくすでに暗い。
こうなるとどんな言葉も恐ろしく聞こえてくる。

ヘンゼルとグレーテル。。。ブレーメンの音楽隊。。。あ、確かグリムってグリム兄弟っていう二人だったな。。。


ひ、ひええええ!


普段の100倍鋭敏になった私をさらに凍りつかせたのは突然左側に現れた家と、その前にいた老婆だ。

状況が状況だけにかなりびっくりしたのだが、
冷静に考えてもうこの老婆に聞くしかないと思い、思い切って車を止めて外に出た。

こちらが何も聞かないうちから彼女は何か言いながらこちらに歩み寄ってきた。
またこの老婆が輪をかけて童話感たっぷりのお婆さんで、この時点で本当に自分は童話の世界に入ってしまったのではないかと真剣に錯覚するぐらいだった。

老婆は全く英語を話せず、住所を見せ英語で道を聞いている私ひで氏などお構いなしにドイツ語で大声で話している。
当方ドイツ語は全くできないので、本当に何一つ理解できない。

しかしかろうじて「よくぞハンブルグから」というニュアンスのことを言っているのが分かった。
それはレンタカーのナンバーがHHから始まっているのを指さしていたからである(後でわかったがドイツの車のナンバーは最初の数ケタのアルファベットで都市が特定されるらしい)。

私が「いや、これはハンブルグで車を借りただけで来たのは隣町からです」と英語で言ってみるが彼女にはどうでもいいらしい。
ボディタッチも始まって、肩をしっかりと掴まれ揺さぶられ、よう来たよう来た、という雰囲気だ。


そして全身を使ってレストランはこの先にある、自分はそのレストランのシェフと家族ぐるみで友達だというようなことが断片的に聞き取れる「シェフ」や「ファミリエ」という言葉から推察できた。とにかくハンブルグからわざわざそのレストランを目指して来た見慣れぬ東洋人を気に入ってくれた様子だ。

何かすっかりコミュニケーションが出来た気になり、礼を述べて、おそらく言われた通り来た道をさらに突き進むと、
しばらくしてこれもまた突然ぬっと大きな家のような建物が現れた。果たして、これがそのレストランだったのである。
その現れ方が余りにドラマチックだったので言葉を失った。


今回の体験に超常現象は一つもない。はずだ。
しかし途中目にした家々やあの異様なまでに細い森の中のあぜ道、極めつけのあの優しい老婆。

むしろ幻であってほしい、と感じるほどに童話的であった。

だからこの一件は、住所が無かったというところから老婆とのやりとりまで、彼の仕業だったということでいいのではないか、とさえおもっしてまう。


せっかくドイツにいるのでドイツバージョン。

今週のドナースタークひろし。











The Night at Darling Harbour

2013年07月21日 | ひで氏海外ミッション編
今回、オーストラリア滞在といってもシドニーにずっといたわけではない。
シドニーの北にあるManlyという街にしばらく滞在して、だんだんと南下していった。
こういうときiphoneのPhotoアルバムにあるPlacesという機能はよくわかっていいなと思う。



Manlyはとても広々したところで、とにかくビーチと一体化した街、という感じだ。


きっとオーストラリアの沿岸の町はみんなこんな感じなんだろうな、と思う。ところどころ町中に立っている看板には昔の偉人の言葉みたいなものが書かれてあり、何が書いてあるのかとよく見てみるとだいたいかつて活躍した有名なサーファーの言葉だったりする。

この国では海とサーフィンが本当に自然に生活に取り込まれている。
私ひで氏自身はサーフィンをしたことがないが、こういうところに住めるならやってみたいと思う。


さてManlyでの滞在を終え最終日、シドニーへこのフェリーを使って移動。シドニーへはフェリーを使う。そう聞くと一瞬たいそうな感じがするが現地の人々にとってフェリーは完全に公共交通機関の一つであり、ものすごい数の人が利用している。値段も片道7ドルぐらいと安かった。


この最終日はすべてのミッションを終え帰るまでの唯一のフリーな時間だった。
いつもはこういう時一人でいろんなところをできるだけ見て回るのだが今回は少し事情が違った。
日本から来たKさんと一緒だったのだ。

まあ たまにはこういうパターンもありだなと思いながら空港近くのホテルにチェックインしたのち、電車でシドニーダウンタウンに向かう。
海外で電車に乗るのがやたら好きな私ひで氏はシンプルな路線に少し面食らったがKさんとともに乗り込んだ。
話し込んでいるうちにあっという間に到着。。。と思ったら突然みんなが降りる。アナウンスをよくよく聞くと「この電車はここまで、空港に引き返します」と言っている。自分たちの降りる駅はまだ3つぐらい先である。

オウ。。。さすが都会だな。と思いながら降りる。
そしてその辺にいた警備員ぽい人に声をかけてみようとするも、ほかにも戸惑い声をかけている人が多く一問一答みたいな雰囲気になっている。こちらが「ミュージアム駅に行きたいのだが?」と聞くと「奥の階段を上がってバスに乗って。今日はもう電車はなし」と言われもう有無を言わさぬ調子である。

目的の駅までチケットは買えるのに電車に乗れないとは一体。。。?しかも土曜日にそんなことがあるのか?
しかし振り向くとさっき乗ってきて降りたプラットフォームにはもう戻れなくなっている。なんか普通ではない。


そんなことあるんかいな?と思いながら外に出てみるとバス停が混雑している。結局はそこで電車のチケットを利用してバスに乗って目的地に行けた。最後までよくわからなかった謎のハプニングである。まあ問題にならなかったから良いようなものの。。。

そうしたイレギュラーな事象も経験しながらその後限られた時間でいくつかの場所をみたわけだが、美しい建物は本当に印象的だった。


オーストラリア博物館


セントメアリー大聖堂

夜はやや南のほうに移動した。空港近くでつかんできたフリーペーパーに載っていたレストランがおいしそうだ、ということで行ってみたのだが、その住所にそのレストランがない。

もしやと思いその場で電話にてGoogle検索すると「Closed」とある。これには笑った。

仕方なく飛び込みで別のレストランに入るが、ここが意外にも吉と出た。
Trust the Chefというメニューしかなく、いわばペアセットだ。二人で取り分ける。いろんな話に花が咲く。

食後はふらっと西のダーリングハーバーへ。
行ってみると素晴らしい夜景に加えなにやら湾のほうに向かってものすごい数の人が座っている。
聞いてみると「あと10分で花火が始まるんだ」とのこと。

いやーラッキーですね、と言いながら
満点の星空に打ち上がる千発は超えようかという花火。ミッションを無事終えた達成感もあり後は明日の帰国だけ、と気持ちよくタクシーに乗り込みホテルへ向かう道すがら、私ひで氏が言った。

「Kさん、今日、いくつかハプニングありましたけど、乗り越えて、レストランでペア料理食べてハーバーで花火のおまけまでついて。。いやーよかったですね」

Kさん:「そうやなぁ、結局全部うまいこと行ったしなあ」

そして私ひで氏がポツリ。


「完全にカップルのやることですね」


Kさん:「はは。。。ほんまやな」



その後、空港のホテルまで僕らは無言だった。




No Worries

2013年07月18日 | ひで氏海外ミッション編
オーストラリアとは不思議な国だ。

25年前に行ったときは英語を話す外国というだけでそれはアメリカやイギリスと同列に捉えていた。

また送り出すほうからすれば、アメリカなんかに比べるとオーストラリアのほうが安全ではないか、というような妙な安心感があったのだろう。それでいて欧米型の文化と英語に触れることができ、さらに広大な海と自然があるという、日本人にとってオーストラリアというのは今も昔も人気の訪問国だ。

しかしアメリカに住んだ経験を持った今いくと、いろんな違いを感じる。
些細なものから大きなものまで様々だ。当時は感じなかったこれらの違いも、自分がいろんな経験をしたから気付くのだろうなぁと思うと結構おもしろい。ああ、オーストラリアってこうなんだ、ということがそこかしこにある。

Vodafoneはまだまだ健在。Vodafoneって懐かしいね


ホテルにつくと部屋にTimeoutが置いてあった。
Timeout、懐かしい。記憶が正しければTimeoutはイギリスの雑誌だ。こういうのをここで見ると、イギリス文化を感じる。


エレベータで気付くのは「G」の表示。日本でいう1階がG(Ground Floor)。最初間違えた。


マックももちろんあるけどドナルドはオーストラリア仕様だ。ああ、ドナルド怖い。


腹が減ったのでうまそうなバーガー屋さんに入り注文に進み最初にこちらから「it's for here(持ち帰りでなく店で食べる)」と言うと「は?」と言われた。そして「Eat in or Take away?」と聞かれた。へええ。

あとこれは英語の違いという問題ではないが、注文をした後、できたら呼ぶから名前をと言われ、ヒデと答えるとそれを紙に書きながら、同時に番号札をくれた。バーガーができたとき、「ヒデ!」と呼ばれた。番号札なんのためーーーッ?


食べ物に関してはアメリカよりも「やりたい放題」度が強いような気がした。アメリカより強いというのは相当なものだ。
うわーここまでいく?というぐらいチーズがチキンを包んでいるし、どこへ行ってもこの傾向は強かった。



言葉の違いは挙げるとキリがないが、ちなみに前回のブログの最後に触れた一言も聞き取れなかった英語は、ドライバーが現れて納得。
インド人でオーストラリア英語を話す人であった。インドのアクセントとオーストラリアンアクセントのミックス。。。わかるかい!
しかしこうしたインドからの移民の方など、増えているらしい。

代表的な違いで特に私ひで氏がちょっといいなと思うのが、Thank Youに対する答えだ。
アメリカだとまずほとんどの場合 No Problemとか、You're Welcomeとなる。
ここではほぼみんな、「No Worries」という。

自分自身に問題がないというNo Problemと、相手を気遣って大丈夫だよというNo Worries。
これは結構文化としても象徴的な言い回しのような感じがする。この含まれた優しさというのは、オーストラリアのこの穏やかな時の流れをうまく言い表しているような気がして仕方がなかった。

これを使おうと思うのだが、最後までなかなかスッと出てこなかったのが残念だ。


番外編。


2月にアメリカに行ったとき、バレンタイン前後にBonJoviが来るとラジオで言っててあ~ニアミスだと思っていた。
またニアミス(12月やけど)。


いやむしろ、俺は Bon Joviにつけられていたのかもしれない。


No Worries.



Cry, Mom Cry

2013年07月17日 | ひで氏海外ミッション編
前回までのあらすじ:
オーストラリアミッションについて語ろうとしたひで氏は思いもよらず25年前の想い出を書き始めてしまうも「ま、いっか」となる。初めての外国、初めてのホームステイで英語も話せないひで氏はあるとき迎えを待つべき状況で何を思ったか自力でホストファミリーの家に帰ろうとして迷子になってしまう。。。

暑かったこと、そして道路が異様に広く車がものすごいスピードで行き交っていたことはよく憶えている。

ひで氏です。

リュックサックを背負ってとぼとぼと側道を歩き、当て所もなくひたすら進み続けた。不思議と引き返そうとは思わなかった。

結構な距離を歩いていたと思う。猛烈な勢いで車の影が後ろから迫ってきてドキーン!とした。
車は側道に乗り上げるようにして停まった。中から出て来たのはホストファミリーのお母さんだった。

車を降りるや否や彼女は大声を出しながら駆け寄ってきた。なぜこんな所を歩いているの、迎えにいくと言ったでしょう、車にひかれたらどうするの、というようなことを言っていたに違いない。

その剣幕から瞬時に、元の場所で待っていなくてはいけなかったのだと悟ったものの私ひで氏はソーリーということすらも出来ずポカンとして立ち尽くしていた。

雰囲気からして怒っているし悪い事をしたなあと思った瞬間、お母さんは私ひで氏をぐいと抱きしめてそのまま泣き出した。

お母さんは号泣したのだ。



人様の子供を預かっている立場や、おそらく彼らにしても初めてのホームステイ受け入れという状況で起きた事だったのを考えればお母さんがあれほど泣いたのも無理はないと思う。携帯も何もない時代であり、追いつくのに掛かった時間を考えると、おそらく考えられるルートを全部行ってなかなか見つからなかったのだろうと思う。

本当に悪いことをしたと思った。
しかしアルフの一件にも似て、この事もより一層互いの絆を深めることとなり、このあともファミリーと様々な体験を共有し、あっという間ではあったが恐ろしく濃密な二週間のホームステイが過ぎて行った。

最終日は朝から何とも言えないセンチメンタルな空気が家中を覆い、別れの地となる集合場所に着く頃にはみなグスングスンと車の中で泣いていた。

集合場所では初日に各家庭に散って行った、日本からの他の仲間も同様にそれぞれの別れを惜しんでいた。みなそれぞれにとても濃い二週間を過ごしたのであろう、今思い出してもこの光景はとても美しいものだった。

お母さんは私ひで氏に「あなたはもう私の息子なのよ」というようなことを言った。同い年のアントンは寂しさのあまりか涙目でうつむいてあまりお互い話せなかった。お父さんは明るく振舞っていたが、やはり目に涙を浮かべていた。

私ひで氏はこの二週間のこと、迷子事件も含めたくさんお世話になった感謝の気持ちを述べたいのに、サンキューとしか言うことがなく、感謝の気持ちを伝えるのにこの一言しか言えない自分が非常に恥ずかしくまた情けなかった。

この体験を経てから、帰国した私ひで氏は少し前から聴き始めていた洋楽にどっぷりとはまりこみ、英語への興味が異様なまでにエスカレートしていったのである。この時の別れ際に感じた悔しさがその原動力になっていたのは間違いない。

そんなことを思い出しながらシドニーへのフライトを順調に済ませた私ひで氏は、今回の25年ぶりにシドニーに降り立った。

いつしか連絡も途絶え今となってはどうにもならないが、ホストファミリーはおそらく今もこのオーストラリアに住んでいるであろう、そしてお母さんには特に言いたい、あの時の体験が元で、自分は英語にはまあ不自由は無くなりこうしてミッションのために来ることができたよ、もうお母さんを心配させて泣かせるようなことはしないよ、ただしオーストラリア英語には少し苦労はするが。。。と。

空港では現地のドライバーが迎えにくることになっていて、着いたら電話せよ、という指示をもらっていた。そして持っていた番号に電話をかけて、ドライバーが出た。

空港に着いたが、どこにいけばいい?と聞いた時、耳を疑った。

「☆%&#%$&%☆」

ひとっことも聞き取れない。

人によってはアクセントがすごいことは知っているが、こ、ここまでか。。。。!

お母さん、俺は嘘をついたよ。。。。

こうして25年ぶりのオーストラリア滞在が始まったのである。