少し前のことになるが、喉の調子が著しくおかしかった。
ひで氏です。
風邪でも引いていれば納得のいく話なのだが、風邪をひいている自覚はないのにやたらと喉にひっかかるものがあり、
花粉症を患ったこともない私は喉のことなので心配になり耳鼻科の門をくぐった。
一応診察券を持っていたので出したところ「診察券があまりにも古いので新しいのに交換しときますね~」と言われた。聞けば最後の診察は12年前だった。「あまりにも」と言われるとなんか悪いことをしたような気分になったが、考えてみれば12年も耳鼻咽喉を患っていないというのはむしろ誇らしいことなんじゃあないのか、と心の中で反論した。
大きな待合室で待っていると、ほどなくして名前を呼ばれた。
「かしもとさーん、いったん中へどうぞー」
こういう呼ばれ方をしたときはだいたい直接診察室ではなく、ワンクッション手前でもう一回待つ、というパターンだ。ドアを開けて入ると、目の前に小さなソファがあり、私の前に呼ばれた男性が座っていた。予想通りの「プチ待合所」だと思った。この男性の前に呼ばれていたのはたしか女性だが、その彼女は今まさに診察を受けているのだろう。
男性の隣に座ろうとしたのだが、この男性、自分のリュックを膝の上に置いて胸に抱きかかえながら苦悶の表情を浮かべている。真っ直ぐに前を見つめているので、彼の視線の先に目をやると、
そこにはなんと喉に棒を突っ込まれて悶え苦しむ女性の姿があったのだ。
なんとこの耳鼻科は、診察室とプチ待合スペースの間にドアはおろか、カーテンすらないのだ。プチ待合のソファは診察スペースに向けて置かれているので、そこに座ったら嫌でも目の前で行われている赤の他人のリアル診察を見ることになるのだ。
「劇場型耳鼻科」
そんな言葉が頭に浮かんだ。
目の前の患者は真剣そのものだ。聞くまいと思っても聞いてしまう。しかも同じ耳鼻の悩みを持った仲間同士、ああ、わかる。ホントそう。などとうなずきながら聴く。
これは、むしろ新しい。
私のような「ほぼ初診」か、全くの初診でなければこのシステムは全員が承知して来院しているということだから、よほど先生の腕が確かだから致し方なしと思っているか、この状況をエンターテイメントととらえているかのどちらかなのだろう。ちなみに耳鼻咽喉科は英語で通常ENTと呼ばれる。Ear, Nose, Throatの頭文字だ。しかしここのENTは耳鼻科ではなくエンターテイメント…悪い冗談のようだ。と思った。
人の診察を見るのもどうかと思うが、自分の時に後続の数人に見られるのはちょっと…
そんな不安を感じながら待っていると、あっという間に名前を呼ばれた。
仕方ない。私は立ち上がってすぐ前の診察台に座った。ソファには後続の2名の男性がこちらを向いて座っている。
先程待っている時にわかったのだが、私の記憶の中のおじいさん先生は女医さんにかわっていた。おそらく引退して娘さんに代替わり、といったところだろうか。
「今日はどうしました?」
「あ、ちょっと喉の調子が悪くて。アレルギーかなと思うくらいの感じで…」
こうした会話も逐一ギャラリーに聞かれていると思うと、単純に嫌というより何かこう、面白いことを言わないといけないような気になる。
「ちょっと喉見せてもらいましょうか。」
そう言ってドクターは私ひで氏の喉を見るべく棒を入れて覗き込んで、医者が患者の喉を見るときのお決まりの台詞を言った。
「はい、はーって言うてくださいー」
こういう時、人間というのは基本「聞いた音と同じ高さの音」を出そうとするものだ。
反射的に先生の「はー」に合わせて同じ音で「はー」を返した瞬間、
…高い…!
と思った。
女性のドクターということもあるかもしれないが、ものすごく高い。いま不意を突かれてオウム返しをしたが、ギリギリの高さだった。
次同じ高さで来られたら危ない。
先生はそのまま覗き込みながらまた言った。
「うーん。ちょっと赤いかなぁ。はい、はーーー」
…き、来た!
自分の出しやすいもっと低い音で返せば良いだけの話ではないか。そんなあなたの声が聞こえて来そうだ。
密室の中での診察なら私もそうしただろう。
お忘れだろうか。
ここは劇場型耳鼻咽喉科なのだ。
私もミュージシャンの端くれだ。ここで妥協して、オーディエンスの二人に
「うわぁーこの人全然声出てないわ」
「あーぁ 音ちゃうわ」
などと思われたくない。
「は…」
先生の音についていくんだ…寸分違わぬ高さまで。チューナーのような正確さで。
私の頭にチューナーの緑のインジケーターが見えた。迷って半音下がったような音を出すなら思い切り行った方がいい。
いまだ…!
「はーーー!ぐッ ごほあ!ぐぉッほお!」
思い切り咳き込んだ。
先生は素早く身を引き、棒を何かで拭きながらも全く動じることなく鋭い目を向けてくる。
きっと横の二人は今の私の大失態を見て今頃インスタのストーリーに
「前の人全然声出てなくてワロタ」などとキャプションをつけてアップしているにちがいない…
「はい、かしもとさん、はー。」
…地獄だ…ここは劇場なんかじゃあない。地獄だ!
は、はーーーーっ!はーーー!
そこから先はよく覚えていない。
あ、ちなみに喉は異常なしでした。
ひで氏です。
風邪でも引いていれば納得のいく話なのだが、風邪をひいている自覚はないのにやたらと喉にひっかかるものがあり、
花粉症を患ったこともない私は喉のことなので心配になり耳鼻科の門をくぐった。
一応診察券を持っていたので出したところ「診察券があまりにも古いので新しいのに交換しときますね~」と言われた。聞けば最後の診察は12年前だった。「あまりにも」と言われるとなんか悪いことをしたような気分になったが、考えてみれば12年も耳鼻咽喉を患っていないというのはむしろ誇らしいことなんじゃあないのか、と心の中で反論した。
大きな待合室で待っていると、ほどなくして名前を呼ばれた。
「かしもとさーん、いったん中へどうぞー」
こういう呼ばれ方をしたときはだいたい直接診察室ではなく、ワンクッション手前でもう一回待つ、というパターンだ。ドアを開けて入ると、目の前に小さなソファがあり、私の前に呼ばれた男性が座っていた。予想通りの「プチ待合所」だと思った。この男性の前に呼ばれていたのはたしか女性だが、その彼女は今まさに診察を受けているのだろう。
男性の隣に座ろうとしたのだが、この男性、自分のリュックを膝の上に置いて胸に抱きかかえながら苦悶の表情を浮かべている。真っ直ぐに前を見つめているので、彼の視線の先に目をやると、
そこにはなんと喉に棒を突っ込まれて悶え苦しむ女性の姿があったのだ。
なんとこの耳鼻科は、診察室とプチ待合スペースの間にドアはおろか、カーテンすらないのだ。プチ待合のソファは診察スペースに向けて置かれているので、そこに座ったら嫌でも目の前で行われている赤の他人のリアル診察を見ることになるのだ。
「劇場型耳鼻科」
そんな言葉が頭に浮かんだ。
目の前の患者は真剣そのものだ。聞くまいと思っても聞いてしまう。しかも同じ耳鼻の悩みを持った仲間同士、ああ、わかる。ホントそう。などとうなずきながら聴く。
これは、むしろ新しい。
私のような「ほぼ初診」か、全くの初診でなければこのシステムは全員が承知して来院しているということだから、よほど先生の腕が確かだから致し方なしと思っているか、この状況をエンターテイメントととらえているかのどちらかなのだろう。ちなみに耳鼻咽喉科は英語で通常ENTと呼ばれる。Ear, Nose, Throatの頭文字だ。しかしここのENTは耳鼻科ではなくエンターテイメント…悪い冗談のようだ。と思った。
人の診察を見るのもどうかと思うが、自分の時に後続の数人に見られるのはちょっと…
そんな不安を感じながら待っていると、あっという間に名前を呼ばれた。
仕方ない。私は立ち上がってすぐ前の診察台に座った。ソファには後続の2名の男性がこちらを向いて座っている。
先程待っている時にわかったのだが、私の記憶の中のおじいさん先生は女医さんにかわっていた。おそらく引退して娘さんに代替わり、といったところだろうか。
「今日はどうしました?」
「あ、ちょっと喉の調子が悪くて。アレルギーかなと思うくらいの感じで…」
こうした会話も逐一ギャラリーに聞かれていると思うと、単純に嫌というより何かこう、面白いことを言わないといけないような気になる。
「ちょっと喉見せてもらいましょうか。」
そう言ってドクターは私ひで氏の喉を見るべく棒を入れて覗き込んで、医者が患者の喉を見るときのお決まりの台詞を言った。
「はい、はーって言うてくださいー」
こういう時、人間というのは基本「聞いた音と同じ高さの音」を出そうとするものだ。
反射的に先生の「はー」に合わせて同じ音で「はー」を返した瞬間、
…高い…!
と思った。
女性のドクターということもあるかもしれないが、ものすごく高い。いま不意を突かれてオウム返しをしたが、ギリギリの高さだった。
次同じ高さで来られたら危ない。
先生はそのまま覗き込みながらまた言った。
「うーん。ちょっと赤いかなぁ。はい、はーーー」
…き、来た!
自分の出しやすいもっと低い音で返せば良いだけの話ではないか。そんなあなたの声が聞こえて来そうだ。
密室の中での診察なら私もそうしただろう。
お忘れだろうか。
ここは劇場型耳鼻咽喉科なのだ。
私もミュージシャンの端くれだ。ここで妥協して、オーディエンスの二人に
「うわぁーこの人全然声出てないわ」
「あーぁ 音ちゃうわ」
などと思われたくない。
「は…」
先生の音についていくんだ…寸分違わぬ高さまで。チューナーのような正確さで。
私の頭にチューナーの緑のインジケーターが見えた。迷って半音下がったような音を出すなら思い切り行った方がいい。
いまだ…!
「はーーー!ぐッ ごほあ!ぐぉッほお!」
思い切り咳き込んだ。
先生は素早く身を引き、棒を何かで拭きながらも全く動じることなく鋭い目を向けてくる。
きっと横の二人は今の私の大失態を見て今頃インスタのストーリーに
「前の人全然声出てなくてワロタ」などとキャプションをつけてアップしているにちがいない…
「はい、かしもとさん、はー。」
…地獄だ…ここは劇場なんかじゃあない。地獄だ!
は、はーーーーっ!はーーー!
そこから先はよく覚えていない。
あ、ちなみに喉は異常なしでした。
喉に異常がなくて本当に良かったですね🍀