The Alan Smithy Band

The band is on a mission.

Life without umbrella

2017年04月16日 | ひで氏海外ミッション編
前回までのあらすじ:
オーストラリアミッションのある朝、ジョギングからのストレッチ中のひで氏に話しかけてきたオーストラリア人男性。他愛もない会話からの急展開で「うちに夕食に来ないか」というオファーが。海外ならではの大らかさなのか、それともこれは何かの罠なのか…疑心暗鬼な気持ちも否定できないひで氏が最終的にとった行動は果たして…



「ス」


「スケジュールを一旦確認して、こっちから連絡してもいいだろうか」

と一旦は保留という形を選択した私ひで氏。その時はこれが最善の様に思えた。

「もちろんだ。その名刺のアドレスにいつでも連絡を」

という返事をして、男性は去っていった。


当然のことながら私ひで氏は悩んだ。
とりあえず現地の、周りの同僚にそれとなく聞いてみる…が、いくら狭い街だと言っても10万人近くの人口はあるところである。
たまたま知っているという人もいるはずもない。

ただ、気になったのは「こうこうこんなことでディナーに誘われた」というと、現地のみんなが同じようにかなり驚いたことだ。
そんなことある?というような驚きをストレートに見せられると、オーストラリアの大らかな文化なのではないかと微かに予想していたことにもじわじわと疑惑の影が忍び寄る。

そして返事しあぐねたまま二日が過ぎた。

頭にはずっとひっかかっていたので、返事をしなければなぁと思っていた矢先、また朝のジョギングコースで遠くから歩いてくる男性を見た。

その彼のシルエットを見た時に、私ひで氏は妙な確信を得た。
要は、この川沿いジョギングが彼にとってのルーチンワークであることに確信が持てたのである。

そしてお互いに手を挙げ再び声を交わした時には、私ひで氏は

「ディナー、まだ行っても大丈夫?」

と大きな声で聞いた。


「もちろんだとも」


そんなことで警戒心が解けた?と思われる方もいるかもしれないが、私ひで氏にはあの朝もやの中、遥か向こうから巨体を揺らしながら汗だくでやってくる彼のシルエットを見た時に、何かこうとても真摯なものを感じたのである。

その夜、迎えに来てくれた彼の車に乗り込み、ご自宅に招いていただいた私ひで氏は、それはもう楽しい時間を過ごした。
彼の奥さんも考えられないくらいの素晴らしいご婦人で、手料理でもてなされ、それはバンダーバーグに来てからの一番のごちそうであり、間違いなくもっともあたたかいディナーだった。

食事の後、彼は広々としたリビングに私ひで氏を座らせ、食事中の会話でわかった互いの音楽的な嗜好を聴き比べるために彼自慢のオーディオシステムで色んな音楽を聞かせてくれた。そしてもちろん、アランスミシーバンドの音楽を聴いてもらったところ、
ご夫婦ともにいたく気に入ってくれ、早速iTunesから最新アルバムをダウンロードしてくれたのである。

ちなみに、意外にも彼が最も気に入ったのはColor of Mineであった。

こうして忘れられない夜を過ごした私ひで氏は、この後も、今もまさに彼と連絡を取り合い、好きな音楽をSNS経由で交換したり、ギフトを送り合ったり、はたまた彼等が今真剣に考えている来年あたりの来日について真剣に話しあっている。


昔何かで見たのだが、「傘を持たない」という考え方がある。

傘を持たない事で急な雨によって雨宿りしたり、どこかの店に駆け込んだりして、思いもかけない新たな経験をすることで人生の幅が広がるというものだ。もちろん、実際に傘を持たずに生活するということではない。

私ひで氏はこの考え方が好きだ。

今回もこの出会いがあるとなしでは、全く滞在の記憶も違ったものになっていたに違いない。


これからも私ひで氏は、傘を持たず生きようと思う。









Well-Balanced Town

2017年03月27日 | ひで氏海外ミッション編
このところありとあらゆる事態が重なってしまい、ほぼ休眠状態に陥ってしまっていたASBブログ。
開設して11年、これほどまでに投稿が開いてしまったことは無いのではないだろうか。

ひで氏です。

とは言えこの空いた期間、色んな事が割と整理できたのでこうして復活してみた。

とりあえず先日ほぼ2週間いたオーストラリアのことなど振り返りながら気軽に書いていこうと思う。

今回のミッションはオーストラリアはバンダーバーグという街である。
シドニーでもブリスベンでもなく、縁あってこのバンダーバーグという街に来れたのは人生の色んな偶然も重なっているので本当に面白いもんだなあと思う。

私ひで氏はその昔、中学生の頃 母が勝手に申し込んできたホームステイプログラムによってオーストラリアの地を踏んだのだが、そのときに訪れたのがブリスベンだ。シドニーはその後別ミッションで2013年に訪れているが、ブリスベンというと約30年前のそのホームステイの経験以来だ。

ちなみにその頃のエピソードは過去エントリを:
Cry, Mom Cry

オーストラリアという国は我々日本人が想像する数倍広い。
ほとんどの主要都市は東側に集中しているとはいえ互いの距離はもんのすごい遠い。

現在関空からの直行便があるケアンズ。そのケアンズから、「同じ東海岸だからブリスベンまで行こう」と思ったとしても、
車なら1700km、ざっと20時間かかるのだ。

私ひで氏もアメリカに居た頃は6~9時間の車移動は当たり前だったが、さすがに15時間を超えると車で行く気は失せる。
最終目的地のバンダーバーグにどうやっていくかというと、ケアンズから国内線でゴールドコーストまで飛び、そこからバスにて陸路6時間以上かけて北上する、入国してから2200kmを移動するというなかなかにストイックなコースだった。

さてこのバンダーバーグという土地、どれほどの田舎なのかと想像していたところ、
とにかく素晴らしい場所だった。

確かに全く都会ではないけれど、田舎過ぎず、


各所にはラウンドアバウトがあるほどある程度交通量があり、


美しい教会もあり




相当いってるな、という樹齢の木がそこらじゅうにあり


美しいビーチも車で十数分で行ける


そして移動途中では野生のカンガルーも出没する。


広大な自然ではサトウキビ、マカデミアナッツ、バナナ、アボカドなど様々な畑が広がる。






土が赤く肥えているのは、昔この地にHummockという火山があったからだ。
そういうわけでフルーツ、野菜が驚くほど新鮮で、安く手に入る。



一点だけ不思議で仕方なかったのが、自転車に対するケアの少なさだ。
これだけ広大な土地があるにも関わらず、自転車用のレーンがほぼ無いに等しい。

信号付近に申し訳程度にあるだけだ。



さてこんな不思議でありかわいくもある街バンダーバーグで私ひでしは大きな賭けを迫られる。

続く。



End of the World

2015年04月29日 | ひで氏海外ミッション編
それは滞在二日目のこと。

泊めてもらっている友人家族と全員で朝ご飯を食べに外に繰り出してみた。ベタではあるがやはりボリュームたっぷりのパンケーキはやっつけておきたいということで、とある有名店にやってきた。

そこで色々と注文して待つ間、ついさっきまでうるさいほどに元気だったアランスミシーの息子こと6歳の息子の顔が急激に色を失いはじめ、その場にほぼぐったりと動けないほどになったのである。

吐くことすらもできないほどで、一体急に何が、という感じだった。
お世話になっている家族の奥さんはドクターで、彼の脈をとるなり「いますぐ病院に行ったほうがいいと思う」と言ったことで一気に緊迫した。

幸い大きな病院が近くにあったので、事情を説明し注文もすべてほったらかして病院へ向かった。

そしてEmergencyと書いた救急病棟にて、応急処置をしてもらう。こういう時のアメリカの病院の手際の良さというのは本当にものすごいものがある。

息子のほうもそうこうしているうちに、むしろ救急のベッドで寝かされているのが不自然だというぐらいにだいぶ回復してきた。

結果から言うと、慣れない環境の変化と前日のビーチでの運動のしすぎによるものではないか、というようなまあいわゆる「今となっては原因を突き止める意味もあんまりない」というタイプのある種謎の体調不良ということでおさまった。

では、あとはもう出るための書類の手続きをするので、ちょっとお待ちくださいと待たされている間、目の前に色々とほかの救急患者がいることに改めて気が付いた。

その中の一人に、彼女であろう女性に付き添われてきていた大きなアメリカ人男性がいた。
親指の先をケガしたのか、包帯を巻いてずっと押さえている。横には彼女が付き添っている。男性のほうは屈強で、肩から腕にかけてかなり広範囲なタトゥーをお持ちだ。

息子と二人でそのカップルを見ていると、ちょうどカップルのもとにドクターが現れた。そして「どう?痛みは?」というようなことを聞いた。屈強な男性は顔をしかめながらものすごく痛い、と言った。

少し距離があったのではっきりとは見えないのだが、遠目で見る限り指先のケガはまあ多少の深い切り傷、ちょっと縫わなければならない、という程度のものに見えた。

ドクターが「そしたらちょっと処置するよ」といって、彼の親指付近を手に取って何か処置をし始めた時である。

その屈強男性が「アアアーーーゥ!」「ノォォーーー!」「ガーーーッ!!(God!!)」と叫びだした。ドクターはすまんがちょっとガマンね、という意味のことを言いながら全く手を止めない。

するとこの男性、ついに泣き出してしまったのだ。
傍目に見てもまあそんな言うほどひどいことはされていないことはわかるのに、だ。


ドクターも呆れたのか、「そのタトゥー入れた時のほうが痛かったんじゃあないのか」と声をかける。しかし男性はひいひい言いながら顔を上げようともしない。これには彼女も苦笑いしている。

“Come on, it’s not the end of the world” (おいおい この世の終わりちゃうねんから)というドクターと泣き叫ぶ巨大な男という様はまるで映画のワンシーンであった。

そうこうしているうちに書類も整い息子も無事退院。
すっかり元気になった彼はこの男性の泣き叫ぶ声が恐ろしかったらしく一刻も早く病院を出たかったようだ。

そして気になるその請求額は…

ゼロだ。結局私ひで氏は関西国際空港で家族全員分の海外旅行保険を購入していたのだ。
保険がなければかなりの額になっていたのではないかと思う。

いやよかった、と安堵して病院の扉を潜り抜けるその時も、すすり泣く男性の声は病院中に鳴り響いていた。


みなさん、保険は必要経費です!



Freedom in Kailua

2015年04月25日 | ひで氏海外ミッション編
激動の変化を感じつつも、ようやく落ち着いてきたので久々に。

ひで氏です。

早くも一か月ほど前になるが、まとまった休みがとれたため、それを利用してアメリカはハワイ州に行ってきた。
場所はオアフ島、しかしワイキキではなくカイルアというところだ。
ここに私ひで氏がアメリカ在住時代とても仲の良かったアメリカ人の友人夫婦が住んでおり、そのお宅に家族ともども転がり込んだわけである。

カイルアというのはとても閑静な住宅街で、近くにはカイルアビーチ、そしてかの有名なラニカイビーチがある。どちらも行ったが本当に美しいビーチであった。


それにしてもこのあたりの住宅の価格を聞いて、この特大の目の玉が飛び出すほど驚いた。いや、一旦飛び出て落ちた。と、いうぐらい驚いた。

さてこの住宅街、常にリッチな人々がセカンドハウスや賃貸目的、はたまた一般の人の夢のマイホームとして刻一刻と狙われており、その価格や空き状況がリアルタイムでアップデートされるサイトまで存在しているのだ。

そんなハイエンドなエリア、さぞかし細かいルールがいろいろと厳しいのだろうと推測していると全く逆で、ものすごく自由度が高い。

まずそこかしこに鶏がいる。親子連れで歩いていたり、ソロ活動を決め込んで散歩している者も多数いる。


そしてどこにでも卵を産む。ちょっと草むらを覗いてみるとそこに卵が、なんてことは完全に日常になっており、「卵買わなくていいやん!」というと、産んだタイミングがわからないから誰も怖くて食べない、とのこと。確かにそうだ。


どこからともなく不気味な雄叫びが不定期にあがる。鶏のそれではないし、聞いたことのないトーンだ。もしかして以前紹介したヨナルテパズトーリではないかと疑うほどのスクリームは、果たして孔雀の鳴き声であった。

住宅街の中に孔雀を放し飼いにしている人がいて、完全に餌付けされている。朝から各家庭を回って食べ物をもらっているのだ。


自由すぎる、と思いつつも案外どこもこんなものかもしれない、やはりこういうユルさがハワイの独特のおおらかさを生み出す一端を担っているのは間違いないと思う。

今回の旅の目的はとにかく会いたい人に会ってのんびりすること。とはいえ、海外旅行ということで何があるかわからない。経験ある人も多いと思うが、そんな時に悩むのが少し話は戻るが出発前の海外旅行保険だ。

1週間やそこらでどうせビーチでのんびりするだけだし何も起こらないだろう…いやでもまあ何があるかわからない…けがとは限らず盗難にあったり…うーむ。

となるのである。若いころ一人旅をよくしていたころは何の迷いもなく購入していたが、今回はマネージャMika、アランスミシーの息子、娘を含む家族4人での旅。保険だけでも数万円。

結果は伏せておいて、私ひで氏は決断を下し旅だったのだ。

そしてハワイ滞在3日目、まさかという事態が起きたのである。


つづく。

Galette Night

2014年11月25日 | ひで氏海外ミッション編
アップルガレットと白ワイン。

芳醇な林檎とガレット地の絶妙なコンビネーション。心地よいシナモンの香り。
たまにはルームサービスでスイーツもいいものだ。。。。



などと私ひで氏がイカしたことをするはずが無い。
しかしこれは紛れもなく今回のアメリカミッション滞在中のある晩に、部屋で撮った写真だ。

話は2時間前にさかのぼる。



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ホテル滞在二日目のこの日、私ひで氏は食事を済ませ外出先から戻ってきた。
外の気温は体感にしてマイナス10度前後。

歩道の凍り方もおかしい。もう笑うしかない。


ホテルの部屋に入ってまずシャワーを浴びる。こう書くとなんだか寒そうだが、ホテルの部屋は暖房が効いていて入った瞬間からあったかいし、
とにかく冷え切った体を熱いシャワーで解凍したくて仕方がなかったのだ。

余談だがアメリカのシャワーというのは水勢が弱いことが多い。
まあまあの熱さのお湯を高圧で浴びるのが好きな私ひで氏にとってこれは実は小さくも毎夜毎夜積み重なるストレスだ。
特に極寒の外から生還した直後にやたらソフトタッチでシャーとやられても全く満足が得られない。
そして温度調整をする部分があるのだがこれが信じられないぐらい微妙で、ミリ単位の変化で熱湯が冷水に早変わりしたりする。

水の勢いの弱さを温度でカバーし、なんとかあったまってシャワーから出た。
次にすることは何か。日本から持ってきたスウェットを着るのか、とりあえずパンいちでベッドにどさっとなってテレビでもつけるのか。

なぜそんな細かいことを描写する必要があるのか。
実はこのあたりの細かい順番がこの後起こったことに決定的な変化を与える可能性が大いにあったからである。

この時私ひで氏が次にとった行動は ---- スウェットを着て、PCを取り出して机の上において、スイッチを入れた。特に理由は無い。
たまたまではあるが、ややリラックス気味の部屋着で机に向かいPCを操作するという、割と「ちゃんとした」行動に移ったのである。

次の瞬間。

ガチャガチャガチャッ

何者かがドアを開けようとしている音がした。PCを覗き込むように猫背になっていた私ひで氏はミーアキャットと同等の速さで背筋を伸ばし扉の方を振り向いた。

一人でホテルに滞在しているときに、ドアノブをガチャガチャされるのは相当な恐怖である。
当然オートロックであるし、上からかぶせるデッドボルトこそしないものの、カギは確実にかかっている。

間違えて人の部屋をカードキーで開けようとするのはたまにある。
自分でもやってしまったこともある。

そんなはっきり考えたわけではないが、瞬間そんな希望にも似た気持ちが起こった。

しかし現実は違った。

不躾にドアが開けられ、二つの塊がものすごい勢いで入ってきたのだ。

目を疑った。

弾丸のように飛び込んできた二つの黒い影。果たして、それは子供であった。
くりくりのブロンドヘアーの少女と、短髪の少年。二人とも両手を広げて満面の笑みで叫ぶ。

「Daddy!!!」



まず瞬時に、「ごめん、俺はお前たちのダディではない」と思った。
しかし言葉は出なかった。そしてやっと「何故?」とこちらが思う前に、彼らの顔が凍りついた。

彼らの外見から思うに、彼らのダディはきっと白人男性だ。

そこにいるはずの大好きなダディがアジア人と化して目前に座っているのだ。
そしてそのアジア版ダディは、そこだけはアジア人離れした大きな眼球を極限まで開いて驚愕の表情で見返している。

二人のキッズは恐怖のあまり、無言で180度転回し、入ってきたときと同じぐらいのスピードで一目散に入口へと走ってドアの向こうに駆けていった。

ドアがバタムと閉まる。すべて一瞬の出来事であった。
何が起こったのかわからなかった。

隠し子を設けた覚えはないし、人の部屋に忍び込んだ記憶もない。

そしてドアベルが鳴った。

出てみると、子供たちの母親と思しき白人女性が立っていた。
聞けば、先ほどチェックインしてこの部屋のカードキーをもらったという。このホテルには一足先に夫が滞在中で、その部屋のカードキーを追加でもらったのだ、とのことだった。私ひで氏が「自分は昨日からこの部屋に滞在している」ことを伝え、お互い「フロントの手違いではないか」という結論になった。

先ほどの二人のきょうだいが母親のお尻の後ろから顔を半分出して上目遣いでこちらを見ている。
こちらの目のサイズも通常に戻ったとはいえ、目を合わすのも可哀そうなほど恐怖に怯えている。

そして彼女はフロントにチェックしてくると言い、去ってから二度と戻ってこなかった。
そうか、やはり。。。と思った瞬間、電話が鳴った。

それはフロントからの電話で、とんだ手違いをして不愉快な思いをさせてしまった、ついてはお詫びの印として今夜オーダーいただくルームサービスはすべてホテルの方で持つということにさせていただきたい、ということだった。

私ひで氏は正直不愉快というよりも何かものすごく貴重な体験をしたという気持ちになっていたし、腹も外で完全に満たされていたので、このオファーを断ろうかとさえ思ったが、貧乏根性がふつふつと湧いてきて結局スイーツを頼んだのだ。

結果、生涯で初のルームサービス、しかもデザートとワインを注文するというなんともセレブな状況が生まれたわけである。

それにしても、あのキッズたちが入ってくるのがあと5分早かったら・・・
下手をすると全裸もしくはパンいちでキッズたちと鉢合わせしていた可能性も充分あったはずである。

たとえ一瞬でも彼らの「ダディ」となった自身の誇りは地に落ち、
幼い子供たちに一生消し去ることのできないトラウマティックな記憶を刻み付けることになっただろう。


この後、満腹だけど勿体ないので無理やり口に押し込みワインで流し込むという、セレブとは程遠いスタイルでガレットを完食した。




Evolution in 15 years

2014年11月20日 | ひで氏海外ミッション編
今回のトラブルを書く前に、過去を振り返って感慨深かったことを書いておきたい。
私ひで氏がアメリカに住んでいたのは1997年から2000年の約3年だ。その頃、もしくはその前の日本の大学生時代はとにかく金をためてはどっかの国へ行く、ということを繰り返していたので、そういう旅の途中にあるいろんな面倒な手続きのことをふと考えた。

そしてそれらを現在と比較してみた。つまりざっくり15年ぐらい前との比較である。

アメリカと言う国は物事を簡便にすることにかけては全く天才的な才能を持った国だと思う。
そのプロセスの中で日本人のマインドなどにはよく去来する「昔の良さ」や「ぬくもり」が失われる、とかいう類の発想はほぼ皆無に近い。
またそういった新しいものをいち早く取り入れることに対する恥ずかしさというものも全くといっていいほどない。

特に近年の海外ミッションを通じて思うのは、チェックインのようなタイプの手続きにかかる時間をいかに少なくするか、に各社命を懸けているのだろう、ということだ。おそらく顧客満足度や自社の従業員の実力を評価する上でも重要な指標になっているに違いない。

各手続き、こんな感じだ。


飛行機のチェックイン


15年前
出発の2時間前に空港へ。場合によっては長蛇の列を経てようやく自分の前に。航空券を忘れたらアウト。

2014年現在
専用の端末で並ばずチェックイン可能 (ネットで事前チェックインも可)。窓口とのやり取りは荷物を預けるだけ。航空券はその場で印刷される。

飛行機内(写真はひで氏考案のパーカーフード小物入れ)


15年前
共有の画面で決まった時間に放映される映画を見ることが唯一のエンターテイメント。機内食は得体のしれない食べ物だった。

2014年現在
目の前の画面でオンデマンドで映画や音楽を楽しめるシステムが標準装備。機内食も企業タイアップものが多く大幅に改善。

米国入国手続


15年前
外国人はひたすら長蛇の列を耐え忍んで待つ

2014年現在
デトロイトでは専用端末での「セルフ入国」が始まっていた。ESTA(電子渡航認証)を事前に処理済みであれば利用可能(なんだと思う)。所要時間3分。

空港レンタカー手続


15年前
空港カウンターにて直接申込み。車種の選定から保険の選択など複雑な説明を受けてようやくレンタル。

2014年現在
事前にネットで予約。カウンターでは免許とクレジットカードを渡せば即レンタル可。

ホテルチェックイン


15年前
カウンターにてなんだかいろいろ書類にサイン。クレジットカードを渡して、一旦前金がチャージされてみたいなことも。太いキーをポケットに入れて管理。

2014年現在
カウンターにてクレジットカードを渡す。財布に入るカードキーが渡されて完了。サインも何もなし。

ホテルチェックアウト(明け方フライトの場合)


15年前
明け方であろうがカウンターに行きチェックアウト手続き。クレジットカードを再度渡し、ミニバーの使用の有無を聞かれるなど確認事項あり。

2014年現在
明け方チェックアウトの場合はドアの隙間から領収書が入れられている。以上。ミニバーはもはや或るところのほうが稀?

レンタカー返却(朝早い場合)


15年前
どうしていたのか不明。

2014年現在
空港隣接の駐車場に停め、レンタカー会社のカウンターにある箱にキーをドロップ。領収書は後にメールで送られてくる。


とにかく背景にあるのは今や当たり前だがインターネットだ。
特にフライト関連では今回初めてスマホにアプリを投入したが、飛行機を降りてスマホを見たらすでに、次のフライトのゲート番号までがホーム画面に出ている。ゲート番号を覚えるのがどうも苦手な私ひで氏のような人間にはこれはありがたい。


ちょっとした買い物をしても、レシートはメールで送るというオプションを選択できる機会が何度かあった。この国ならあと数年すればレシートはほとんど電子化されているだろう。

あと、おなじみiPhoneの音声アシスタント機能Siriに本気で「Siri, can you...xxx ?」などと話しかけている人を2回ほど見た。日本であそこまで人前ではっきりと大声でSiriに命令できる人は少ないだろう。

正直上にあげたような事柄の過去のプロセスに、個人的なノスタルジーは別にない。便利になればそれで結構、早いに越したことはない。
しかし逆に「これだけはどうしようもない」と言うのもなかなかに可愛げがあるものだ。

パスポート。これは絶対に忘れてはならない。無いとどうしようもない。
飛行機内のトイレは15年前と全く変わらない。

そして過度なネット or テクノロジー依存が崩れた時は悲惨だ。
今回の帰路、ミネアポリス~成田のフライトはエンタテイメントシステムが13時間の飛行時間中ついに一度も動かないという悲劇があった。全員である。

帰りに観ようと往路であたりをつけていた映画も見れず、疲労困憊で帰宅、「機械がつぶれればこんなもんよのう。。。」と寝床に入るころにデルタ航空よりメール。

今日のシステムダウンに対するお詫びとして、ボーナスマイルを付与しました、というお知らせ。



ここまで来ると怖いわ!


ちなみに映画も見れない帰り道、隣のアメリカ人女性に今回発明した「パーカーフード小物入れ」について

「それ、とてもスマートね」

と言われた。

ほっこりした。


Invention in the Air

2014年11月10日 | ひで氏海外ミッション編
何はともあれ愛称セントレア空港からアメリカはデトロイトへ飛び立ったひで氏です。

長距離出張の多い人などはわかると思うが、飛行機の中での過ごし方というのは大事だ。特にいろんな制限があるエコノミークラスではなおさらだ。
私ひで氏もこれまで幾度となくこのブログでそのことについては書いてきたし、アクシデントにも何度も見舞われたことはこのブログの奇特な愛読者の方も記憶におありかと思う:

石をはらんだまま乗ったこともあるし(Stone in the Air
警察沙汰になってもおかしくない状況もあったし(Sleepless in the Air
持ち込んだアイテムが台無しになったり(Never Lose Your Smile
そもそもハード面で打ちのめされたり(Good Old Airplane

まあ我ながらよくもまあ毎回毎回、何かあるものだと思うと同時に、ありとあらゆる経験をしてきたので飛行機内での過ごし方にはかなり自分なりに極めた感があった。

しかし!

今回、「俺は天才ではないか」というライフハック術を偶然発見したのだ。

写真を見ていただきたい。


わかりにくいかもしれないが、パーカーを膝にかけている。するどどうだ、フード部分がちょうど足の間に小物入れとして絶妙な大きさでそこに登場するのだ。


失笑が聞こえたような気もするが、わかる人にはわかるはずだ。

そう、飛行機の中と言うのはイヤホン、本、携帯、枕、場合によっては耳栓やアイマスクなどやたら小物があるのだ。

「前に網かごがあるではないか」という人もいるだろう。しかしあの網かごは異様にテンションが高く何でもぺったんこになりものすごく扱いにくいのだ。たまたまフードつきの上着を着ていたことで発見した奇跡であった。

得意になった私ひで氏はいつもの如く、連続映画鑑賞に踏み切る。


ということで今回の映画はこちら!より臨場感を得てもらうためにトレイラーを紹介しつつ。

「Begin Again」
非常に見応えあり。キーラナイトレイが融通の効かないちょっともっさりした感じの役を見事にやってのけている。相手の男はMaroon5のボーカルのAdam Levineではないか。。。!途中音楽的にもビジュアル的にも迷走するくだり、なんかやりにくかっただろうなあと思う。エンドクレジットで見ると監督は大好きな「Once」を撮った監督だったので納得。バンドをやる人の気持ちを良く知ってるし、うまく作るなと感心。



「そして父になる」
上の余韻をほかの洋画で消したくなかったので邦画にスイッチ。「現代に起きた赤ちゃん取り違え」というテーマはなかなかに重いが、どうも入り込めなかった感あり。ここグワーっと来るとこでは、という場面がことごとくすっと終わった。そういう手法なのか、単に見せ方の問題なのか。後半は特に気持ちの移り変わりが急速すぎたような気がする。自分の中ではなんか「惜しい」作品。



「Boyhood」
大好きなあの「Before~」シリーズを撮った監督、リチャードリンクレイターでしかも、「同じキャストで実際に12年間ちょっとずつ撮りだめた映画」というその時点で興味津々。随所にリンクレイター節が炸裂しててそれを見るだけでも気持ちいい。日本でまだ公開したてか、未公開かわからないので細かくは書かないでおこう!



「マレフィセント」
ビジュアル完成度高すぎ。。。と思ってチェックしたいと思い見る。よくよく見るとやはり結構特殊メイクがなされている感じがした。が、それは映画なのだから良し。最後はうまく知られた「眠れる森の美女」と見事にリンクするものだと思い込んでいた分、衝撃の残る作品となった。




とまあ ご機嫌で映画を見続けていたところにスナックが運ばれてくる。プレッツェルだ。

調子よく完食したあと、ちょっと音量調整のために目の前のモニターをいじり、手を戻した瞬間、腕が空っぽのプレッツェルの袋にあたった。

プラスチックの袋は樹脂のトレイと相性抜群に滑り、私ひで氏のボディのほうへとスライドした。一瞬の出来事だった。

袋の底に残ったプレッツェルの食べられないほど小さい残骸と、ナノレベルの無数の塩がフードの中に落ち込んでいったのは言うまでもない。


帰ったらやろうと思っていた特許申請はやめとこう、と思った。


次回アメリカ本土編、これまでに体験したことのない想像を超えた事態が発生。




Nagoya - Alias City

2014年11月09日 | ひで氏海外ミッション編
約半年ぶりのアメリカミッションに出た、ひで氏です。

行くところは同じだが、前回の6月はおそらく一年の中で一番過ごしやすい気候だったはずのアイオワ州のとある町。

今回は11月ということで到着した今日はマシなものの、今週半ばからいきなり氷点下近くまで気温がドロップするという予報である。


アメリカへの旅路というのはその時のご時世でいろいろ変わる。私ひで氏はデルタ航空を使うのだが、以前あった関空~シアトル便というのはもはやなく、前回もそうだったが名古屋のセントレアという空港から出発する。スタートは新幹線、ということだ。

奈良~京都~名古屋というだけでも結構な旅をしている感覚になるのに、それでやっとスタートラインに立つというのが恐ろしい。

しかし名古屋と言う街は個性的なところだ。ホテルや百貨店が一緒くたになっていて、人も恐ろしく多いのでごちゃごちゃしているのかと思いきや、やたらと平面的に広く、サインが結構絶妙な感じで配置されているので全く迷うことがない。大阪とも東京とも違う、独特な開放感がある。

一つ思うのは、なんかいろいろと呼び名をつける傾向があるような気がする。

名古屋駅からセントレア。。。まずこのセントレアといういかにもオフィシャルぽくない呼び名、これは通称なのかなんなのか。
路線検索のアプリでもセントレアと入れると勝手に「中部国際空港」と出る。そして名古屋駅からの空港行きの電車にも、セントレアとは一言もない。死語なのだろうか。

その特急も、「名鉄特急」と言われているパターンと「ミュースカイ」と呼ばれているパターンの二つがあり混乱した。
壁に貼ったラミネートには「名鉄特急(ミュースカイ)には特別車両券(ミューチケット)、旧称「座席指定券」が必要です」とある。
またもや別名のオンパレードだ。

よくわからないので駅員さんに聞くと

「ミュースカイは名鉄特急の一つです。特別料金は要りますが、先に乗車いただいて、あとで回ってくる車掌に言えば精算できますので」

と明瞭かつ親切な完璧な対応。わかりにくいのかわかりやすいのか全くわからないというトワイライトゾーン、名古屋。

そのミュースカイは日曜の早朝ということもあってか無人で、スタンリーキューブリックの映画のように不気味に白く光る。


言葉通りにまずは特急に乗り込み、普通に座席に座ってからも車掌は登場しない
そして数駅停まったあと、次は中部国際空港、という段になってから初めて車掌が登場して切符拝見となる。

いままで停まった駅までは特別券なしでも乗れるのか。。。でも最後にチェックは入る。
性善説か性悪説かどっちなのか全くわからない恐るべし都市、名古屋。

そしてしばらくすると車内に音楽が鳴る。
「まもなく 中部国際空港 中部国際空港」

(やはりセントレアとは言わないのか。。。)と心の片隅で思いながら、新幹線でもおなじみの「お知らせの音楽」を聞く。

しかし3分たっても4分たっても列車は空港に着かない。

鳴り止まない音楽。

またその選曲がケニーGよろしく、エモーショナルなインスト系の曲で、ある地点から大サビの繰り返しで盛り上がりっぱなしだ。

要約到着したころには私ひで氏は冷や汗をかいていた。

着いてドアも空いているのに音楽が「鳴り止まない」のだ!

これは、つまり「到着」を知らせる音楽ではないのだ。。。これから空の旅へ出る人に向けて文字通り空高くまでテンションを上げさせるための「高揚」音楽なのだ。。。!

な、名古屋。。。!

震える手でスーツケースを弾きながら徐々に遠ざかっていくケニーG遺伝子のインスト曲がやっと薄れていく。

その瞬間、目の前に巨大な看板が。
ケニーGに気をとられすぎて、まるでスマホをいじりながら人にぶつかりそうになった瞬間のような後ずさりをしながら思わず見上げた。



い、一応「セントレア」て書いてるーーー!


出発前にいろいろ気になった名古屋。

今後も機会があれば探索してみたいものだ。





Hello, Tornado

2014年07月09日 | ひで氏海外ミッション編
その日、私ひで氏が滞在していたアイオワ州のある街は大雨だった。

ホテルを出てからミッション遂行のためのオフィスに来ても雨脚は衰えることなく、
かなりの雨量のように見えた。


「すごい雨だねえ」

と聞くと現地のアメリカ人は皆口をそろえて言った。

「夕方からは嵐になるよ」

皆、朝から天気予報にかじりついてきたような口ぶりだ。

そう、この時期のアメリカ中西部はトルネード多発の季節。

私ひで氏はトルネードに会った経験がないのでどうしても日本の台風のイメージでしか連想できない。
つまりトルネードが雨と共にどんどん近づいている、というような漠然としたものだ。
しかし話しているうちにそういうものではないとわかった。

トルネードは突然地上から空に向かって発生する竜巻なのだ。
だから台風のように刻一刻と近づいている様子を見守るタイプのものではないのだ。
しかし気象条件や過去のデータから、今日の夕刻にこの地域で発生する可能性が高いということがわかっている、ということだろう。

日本だとこういうとき学校なり会社なりの判断を今か今かと待ち、「今日は帰宅せよ」と言われた瞬間よっしゃと言わんばかりに帰路につくパターンだ。とにかくガイドが必要な国だ。
しかし自己責任の国アメリカでは危ないと思ったらみんな早々に帰るし、全く気にせず残っているものもいる。まあこの方がよっぽど健全だと思う。

ということで私ひで氏もなるべく早く帰ろうと決めた。

とはいいながらもこういう時はなんだかんだと遅れたりするものだ。
早くは出たがその頃すでに16時半ごろ、つまり「夕方」になっていた。

意外にも雨はやんでおり、空の様子が明らかにおかしい。


しかしホテルまで約15分ぐらい、さっさと帰ってしまおうと車で高速道路に出てしばらく走っているとまた雨が来た。

ここから、恐怖の記憶をたどって書かねばならない。

本当に一瞬、あっと言う間に空が暗くなり、日本で経験したことのあるゲリラ豪雨の50倍ぐらいの雨が車を覆ってくる。

高速を走っているその轟音に加えて風が加わり、その音がビョオと増すと車がスライドする。

トルネードだ。

俺は、トルネードに巻き込まれているのだ。

ワイパーをあわてて最大にするが全く関係ない。何にも見えない。


前の車もたまらずハザードをつけたのか、かろうじてオレンジの光がかすかに見えるが、いつ見失ってもおかしくない。
恐怖と前が全く見えないのとで自然に減速しているが、前のオレンジについていかないと、道がどう延びているのかも全く見えない。

自分もハザードをつける。指が震えていた。

本当なら今すぐにでも車を停めたい。しかし停められない。
停めたら後続車に追突されそうだからだ。自分とて、前のハザードの車が急に停まったらついていくのに必死で距離がつかめず追突する自信がある。

こういう時に意外とメンタルを蝕んでくるのは音なのだ、ということを今にして思う。
ゴウゴウという音がさっきからだんだん大きくなって、揺れる揺れる。でも停まれない。かけていたラジオはずっと前からガーガーピーピー言っている。

Twisterという映画を思い出した。

たしかヘレンハントが出てたなあ。。。。
このまま木の葉のように巻き上げられるのか。。。

時間にしてたった数分、しかし地獄の苦しみに思える長さだった。

雨が弱まって前が見えるようになったとき、高速を下りるランプを走っていることにやっと気づいた。
前のハザードだけを頼りについていった結果、前の車もたまらず出口を何とか辿って降りたのだろう。

そのころには雨は止んでいた。
むしろうっすら晴れ間さえ広がっていたのだ。


結果的にものすごい遠回りをしてホテルにたどりつき、
興味本位でネットで調べてみた。ニュースになっているのではないか、と。
あれだけの恐怖体験だ。

しかし、私ひで氏が経験したトルネードはニュースどころか天気予報サイトにも「これか?」というくらいのごくごく小さい印がついているだけでランクも最低ランクのトルネードだった。

本当にトルネードの恐ろしさを実感したのはむしろこのときだと言っていい。

あれで。。。。と。


そんなことを振り返っていると日本にも台風が。
みなさん、くれぐれもお気をつけて。








The Calm in the City

2014年07月06日 | ひで氏海外ミッション編
さて無事アメリカに入国して、さらにもう一回の乗り換えを経て着いた目的地、アイオワ州デモイン。

デモインはそこそこの高層ビルが建つ都会だが、ここから車で1時間ほどの町へ向かう。

今回お世話になるレンタカーはこちらだ。
トヨタカローラもえらいスタイリッシュになったものだ。


それにしても前面にナンバーがないのが気になる。展示用の車で走っているみたいだ。
アメリカでは前にナンバーがついてなくてもいいなんて今まで気付いたこともなかった。これで停められたらお笑いだ。
ドキドキしながら走る。対向車に同じように前のナンバーがない車がいないか必死で目で追うが、なかなか現れない。

この日は夜にホテルに入るだけで、夜ごはんも食べそびれている。

ひとまず問題なくホテルに到着、チェックインしてシャワーを浴びた後、スーパーに何か買いに行くことにする。


ずらりと並ぶ飲料コーナー。最近は細長い箱に缶が入っているシステムなのだね。
私ひで氏が昔のエントリで触れた「フレスカ」は完全に姿を消したようである。残念。


本のコーナーで突然目に入ってきた日本語。こういう需要ってアメリカにあるのか。


アメリカに住んでいたころ大好きでしょっちゅう食べていたネクタリン。美味しそうな名前と共に圧巻のディスプレイ。


これも以前触れた、日本の睡眠導入剤より明らかに効き目が強いzzzQuil。今回日本から持っていくのを忘れたので一つ購入。


こちらでも根強い人気がある、ポケモンのキャラクター。US発祥のキャラとは何か違う、安心感のある曲線は日本人的感覚なのだろうか。


気になったのは人気の無さである。
この地域はこの時期、夜21時ぐらいでもかなり明るいので夜という感じがしないのだが、
それにしてもかなり人が少なくて「こんなんで大丈夫なのか?」と思うほどだった。



駐車場へ出てホテルへ向かう直前、空模様もちょっと怪しいなという気もした。


今思えばこの妙な静けさはこの大気への街の警戒感そのものだったのだということを、

私ひで氏はこの翌日、身を持って体験することになる。