毎晩のことなのだけど。
数冊の本を抱えてベッドに潜り込み、
“あーたたた”などとひとりごちながら冷たいシーツを足で掻き分けて定位置をつくり、
よ~し、みたいな感じでページをめくる時の小幸感は、何事にも代えがたい。
まあ最近は本がスマホに代わる晩が多くて、けしからん!と自分でも思ってる。
…本もスマホも目に良くないのはわかってるんだけど。
私のクセであれこれ何冊も持ち込んで、こっちをちょっと読み、あっちを眺め、
してるうちにまぶたが落ちてきて本日終了、となる。彼ら(本)は翌朝枕の下で発見される。
で、ここ数週間、私が「超絶の寝落ち本」と呼んでる本がある↓
「スペイン料理を巡る旅」(勝手に意訳)
1969年(昭和44年)出版 著者 ルイス・アントニオ・デ・ベガ
著者は明治33年のスペイン北部、バスク地方のビルバオ生まれ。
当時アラブ言語文化研究家として著名な方で、また美食家、ワイン通としても
知られていたらしい。
古い料理本、グルメ本が好きな自分が題名で飛びついた安い古本。
…それがなぜ超絶の寝落ち本と化したか?
まずはスペイン語である上に、少々古い表現多し。
活字がフォント8位で極小、活版印刷の古い字体で異常に読みにくく、怒り出すレベル。
古い時代の岩波文庫を思い出す。
そして内容が…まだ半分も読んでないのに偉そうに言えないけど、
「ジジイの美食想い出話、独り語り」だというのはわかった。(出版時、著者は69歳)
文芸春秋に出てるどっかの社長のミニエッセーとか、
高級グルメ雑誌「四季の味」に出てる、引退された財界大物の食歳時記とかを彷彿とさせる。
「…先の戦争が起こる前(スペイン市民戦争1936-39年)には○○通りあたりにはxxという食堂持つ倶楽部があり…」だの、
「○○君(←誰?知らん)にそんな食べ方は邪道だと失笑された」
という感じの白黒トーンの語り、それに数々のレシピざっくり紹介があり、という感じ。
しかしながらまあ、イベリア半島を実にくまなく歩き回り、方々の小さな村々まで辿り着き、
あれだこれだと食べ尽くしたもんだと感心する。無論裕福なお家の出であったことには違いない。
1900年のスペイン文盲率45%、後に10%を切るまで70年かかった…そんな時代に、食道楽の旅。大変なゼイタクであったと察する。
1頁読んでは撃沈、また1頁…
とやっていくうち、「おや?」と鎌首をもたげるように起き上がってしまうような耳新しい、興味を引く話にあたり、
これは…と神妙にスマホで検索開始→どんどんハマる→気がついたら朝の4時(涙)!ってことを何回かやってしまった。
最後に夜更かししてしまったのはバスク/ナバラ地方の話において。
本人バスク人とあり、さすがに地元の話となると調子よく、筆が滑り気味の章内にて。
以下3つの新しい言葉に出会ったので、備忘記兼ねてちょっとご紹介。
●Hamarretakoアマレタコ/Hamaiketakoアマイケタコ( 10時もしくは11時にとる、昼食前の軽食。バスク語)
この国の1日の食事のメインは昼食にあり、午後2時~4時に摂る。
でも朝はふっつーに早いため、その中継ぎの食事がこれ。他地方ではOnce(オンセ、11時の意)と呼ぶ。
まあ軽くタパス、ミニサンド等をつまむ程度か。
しかし、この本によると、この小昼食の典型的メニューは「目玉焼き2ツ、たっぷり厚切りハム、ワイン半リットル」
であると言い張っており、数時間後の大昼食前に↓こんなものを食すのだ、とのこと。
激しい肉体労働に従事する農村のものである…と思いたい。
●Tripasaiトリパサイ(大食いのこと)
スペイン北、バスク地方の大食い伝説を物語る言葉。
この地には伝統として会員制のグルメ倶楽部(自分らで調理)が多く存在するが、
なんでもこのトリパサイなる大食いモノを集めた倶楽部が存在したらしい。
一番古い記録は19世紀前半であり、60年代の記録によると、「300キロの骨付き肉、
13キロのイワシを食べた父子3人」だの、「夜食に目玉焼き24にチーズの鶏1羽」だの、
胸焼けする話なので控える。ようは前回のアストゥリアス地方も含め、大食をよしと称える風潮があった、あるのは確か。
実はこの本の著者も相当の健啖家であったらしく、古いインタビュー記事に
「カフェーで談笑しながらボカディージョを3つも平らげた後、そんなに食欲ないなどといいながら、
夕食に羊肉ローストを丸まる平らげて…」などと書かれており、この方にして、この本、って感じだ。
●Agoteアゴテ (フランス西部、スペイン北部に在住した被差別民/Cagotカゴ)
これだけグルメと違う話なんだけど。
その起源は1000年と古く、20世紀になるまでの長い迫害の歴史を追う民族が
ピレネー山脈付近に居たという話。
大工や縄職人など決められた職業にしか就けず、教会の入り口、埋葬地も別、
特殊な服を着せられ、徹底した差別をうけていた民族ながら、独自文化の継承は薄く、独自言語ももたず、ようは
「全く原因が謎のまま、長い間差別を受けていた被差別民族」が存在したとのこと。
その起源が「西ゴート族」「ここまで攻めてきたムーア人兵士」「ハンセン氏病患者」「カタリ派の末裔」
「大工ギルドの凋落の末」とかあれこれあって何一つ決定打がない。
(↑ご本人らには気の毒なんだが、ここら辺が推理小説みたいで非常に面白い)
彼らの差別からの開放への道は長く、フランス革命以降といわれる。
現在ではすでに消滅した差別、過去の重い遺産として語られるのみとなった。
…なんてことを知ったのがこの本の著者が当時、ナバーラ地方のとある渓谷に
残った最後のアゴテの居住地にて、たらふくメシを食った…というとこからきたわけで。
こういう豆知識発見が楽しくてやめられないよな、古本遊び。
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