そのとき、ようやく消防車が来ました。
たぶん飛び起きてから、10~15分くらい待ったと思います[E:coldsweats02]
はしご車が伸びてきて、やっと助けてもらいました[E:crying]
そのまま、救急車に乗り座って病院に行きました。
救急車が着いて、病院に入るときの自分の姿がガラス越しに見えて笑ってしまいました[E:sweat01]
その姿が、マンガに出てくるように、まるで爆発にあった姿で[E:sweat01]
ヨレて崩れたパジャマ姿で、フラついていて顔は黒くすすけて、髪の毛は火事ドライヤーにあたりすぎたために、逆立って爆発頭だし
救急センターに行くには、命拾いしてテンション上がってしまって、二人してめちゃくちゃ元気だし[E:sweat01]
心理的には恥ずかしいのと、戦火から帰ってきて、すごい事をした気分になっていて、しゃべりまくっていて、今、思っても笑っちゃいます[E:coldsweats01]
救急室で血液中の一酸化炭素を動脈から調べて、そのまま入院しました。
次の朝、朝食にドンブリに一杯のおかゆが出て、多いなと思ったのですが、ずっと食欲があまり無かったM子も、おいしそうに食べきっていました。
それが、生きてるって、ことなんだよな・・・この数日「死」というものに直面し続けてきたな・・・と、心で思いつつ私もペロッと食べていました。
そして、刑事さんが病室に来て、簡単に状況を質問してきました。
マンションの階段をはさんで、向こうの部屋で、亡くなられた方が一人いたとの説明を受けました。
その話を聞いて、隣のベットのM子と思わず顔を合わせて、息をのみました[E:shock]
マンション自体は、ほとんどが事務所になっていて、階段向こう縦並びの3階の火元になった部屋と
4階の階段をはさんだ両脇の部屋にしか、人は住んで居なかったようでした。
もう10年以上経っていますが、お隣の方には、あらためて、ご冥福をお祈りします。
そうして、次の日に帰れることになり、シャワーを浴びにいきました。
ちょっと、一人でというのに内心ビクつきながら、シャンプーしたら、黒い泡が、何度、洗っても出てくるのに、てこづり、改めて凄さを感じました[E:coldsweats02]
次の朝、無事検査して退院して、私の実家に帰り、どっと疲れて寝ました。
朝、横になったまま目を開けて、一瞬、ここはどこだろう・・?と、ボーと思いました。
すぐに実家の風景だと悟り、次の瞬間、「生かされている・・!」と、思いました。
そのとき、生きていることの感謝と、まだ私は生きなくてはならなくて、自分だけではない何かか、誰かに、「生かしてもらっているのだ」と、気づきました。
そして私は、こんな目に遭わないと感謝して生きていけないのだ・・と、感じました[E:wobbly]
それから、いろいろと感謝をするようになり、「ありがとう」をたくさん使うようになりました[E:happy01]
感謝をする中で自分を見つめると、気づきは早くなるような気がします。
あれから日々、私の生きる目的、テーマは、「人生を生き抜くこと」と「人生を愉しむこと」なのではないかと思います[E:shine]
うまく言えないけど私は、主人に逢うまで、人生を楽しんではいたかもしれないけど、捨て鉢になっていました。
幼少のインナーチャイルドの傷を主人が癒してくれて、私自身の意思を尊重して自由にしてくれる大らかさが
失われていた時間(日々の豊かさを味わっていなかった時間)を取り戻している心境です[E:shine]
生きていたからこそ、主人と39歳ではありましたけど結婚できました[E:heart02]
次回は35歳のときの、あるお話をしたいと思います[E:clover]
人生に[E:shine]宇宙に[E:shine]感謝をこめて[E:heart02]SAUDE[E:bar]乾杯[E:note]