父親の「火葬式」当日の朝、認知症で母親がお世話になっている特養にお迎え。
朝食の時間には出発したかったので、朝食は抜きで施設を出発。
普通にお出かけ気分で「サンドイッチ」を食べるご機嫌な母親。
我が家の3号ちゃんも一緒に
施設からは「ショックを受けるといけないので、ご家族から伝えてもらったほうが。。」と言われていたので、父親が亡くなったことをいつ伝えようか。。。。と思いながらの火葬場へのドライブ。
高速道路を使って1時間ほどのドライブの間、いつものように母親は色々なおしゃべりして、普通にお出かけの気分でご機嫌。
途中で「のど飴食べる?」と聞くと
「あら、良いの?二つくれる?」
「一つはじじ(父親)にあげるから」と。。。
切ない。。。
そして数年前に建て替えられてリゾートホテルのような建物になった火葬場到着。
自然がいっぱいの素敵なお庭で母親が
「綺麗な庭だね~写真撮ってくれる?」と、これから父親が火葬される建物をバックに写真撮影
そこで、母親に「じじが死んじゃったんだよ。だから今日はここで火葬するんだよ」と、ついに告白。
「え??死んじゃったの?」
「なんで?いつ?」と。。。納得がいかない様子。。。
つい2週間前に父親と面会したことももちろん忘れている
火葬場の駐車場で父親が到着するのを待って、ワンコたちも最後のお別れ。。。
左から
「我が家の4号ちゃんになり損ねた妹宅のスムチーちゃん」
「我が家の元保護犬スムチーの3号ちゃん」
「妹宅のミニピンちゃん」
本当は家族だけで父親を見送るつもりだったが、仙台に住む叔父、近くに住む叔母夫妻、そして近くに住む母親の弟夫妻もお別れに来てくれた。
最終的に火葬式は、母親、私たち夫婦、妹夫婦、姪っ子や甥っ子、叔父叔母たちの全部で15人でお見送りをした。
途中渋滞でセレモニーホールから父親の到着が少し遅れたものの、特に僧侶は呼ばず、火葬室の前室でみんなでお花を棺に入れたり、ゆっくりと最後のお別れすることができた。
中でも母親がどうして棺に入って父親が冷たくなって寝ているのか、理解できず、何度も私たちに聞く。。。
最後は理解したようで「じじ、私も後で行くから待っててね。。。」と顔を撫でたところで皆が涙する
火葬している間、ゆったりとした控室の窓からは火葬室の前室を見ることができる。
無事、火葬が終り、全員で近くの日本料理屋さんへ移動。
その道中も、母親は・・・また父親が居ないことを不思議がる。
「ねぇ~じじは今日来ないの?」
「さっき火葬して、今ここ(骨壺指して)にいるよ」
「そう。。。」(ちょっと悲しそうな顔をした母親)
でも、またこのやり取りの無限ループ
火葬場からすぐの日本料理屋さんの静かな離れでお食事。
火葬後の食事の予約をするときに「影膳はどうされますか?」聞かれた私。
しかし意味が分からず「かげぜん??」と聞き返す無知さを披露
父親はもういないけど、どうして遺影なのか、母親の意識の中にはないのかもしれない。。。
ふたりとも、ものすごく素敵な笑顔。。。余計に切なさ募る
この後、実家に立ち寄ったが、1年ぶりの我が家に、母親は全く我が家だとは気づかなかった
それもそうだね。。。。和室は最近リフォームしちゃったし、家具なども処分してしまっていたし、母親が住んでいた時の面影はあまりなかったし
こうして、父親の火葬式を無事に終え、父親が11か月間お世話になっていた住宅型ホスピスのお部屋の解約手続きとお部屋の片付け、そして母親を施設に送り届け、慌ただしく悲しむ暇もない火葬式の1日だった。
これ以降、私は一気に気が抜けて抜けて無気力状態が続いてはいるが、この涙もろい私が、なぜか父親が亡くなった際も火葬式でも全く涙が出なかったことに自分でも驚く
恐らく、お別れへの準備期間が長く覚悟が出来ていたことと、それ以降も喪主(一応)としての手配や手続きに追われていて、気持ちが張り詰めていたからかしらね。。。
色々あった手続きも大体終わり、あとは年金事務所での手続きを残すのみなので、それまで頑張りましょう
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