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初期段階の横須賀城の主郭部分と考えられる松尾山と本丸は、小笠山丘陵の先端に山城として築かれ、近世中期までに二の丸棟の平城部分が拡張付加されて、現在の横須賀城が完成したと考えられています。近世中期までは城の手前まで海が深く入り込み、三方が入江と沼や深田に囲まれた天然の要害でした。また、この入り江には横須賀湊があり、物流の拠点にもなっていました。
横須賀城(別名松尾城)は平山城として、山城から平城に移る過渡期の特徴を備え、中世城郭と近世城郭のふたつを併せ持っています。
また、普通一つしかない大手門が、この横須賀城には東西にあり、「両門の城」と言われた他、「玉石積み」と呼ばれる丸い川原石を用いた石垣も、特徴としてあげられる。
武田勝頼によって失った高天神城を奪還すべく家康は、天正6年(1578)大須賀康高に命じて横須賀城を築かせ、家康は横須賀城を拠点として天正9年(1581)高天神城を攻め落城させました。
天正18年(1590)家康の関東移封に伴い、翌年二代城主の大須賀忠政は上総国に移され、豊臣氏の家臣である渡瀬氏、有馬氏が城主となりました。慶長6年(1601)松平(大須賀)忠政が再び城主となり、以後譜代大名の居城となり江戸中期からは、西尾氏八代の支配が続きました。
場所は静岡県掛川市西大渕
国道150号線「弁財天側橋交差点」から県道41号線に入り、小さな川を渡ると350mほどで市道に出る。この交差点を左折し200m県道41号線に合流する。合流する交差点を50mほど直進すると城域に突き当たります。町道沿いの集落を左に進むと横須賀城正面の駐車場に至ります。
また、そこから100mほど西に進み右折すると「横須賀城址公園駐車場」があります。
正面駐車場
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全景
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「遠州横須賀城絵図」国立国会図書館蔵、、、現地説明板より
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天守台方向へ至る厳寒のような重要な部分にあたり、自然の尾根や谷を巧みに利用して門や塀などの施設により厳重に固められていました。発掘調査の結果と絵図などの資料を基に、平成7年から8年度にかけて、復元整備工事が行われたそうです。
櫓門
本丸南下門
発掘調査の結果、門が載っていたと考えられる石垣の基礎となる石の列や、入り口のスロープと考えられる遺構が出土しています。スロープからは大量の廃棄瓦が出土しています。
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櫓門排水口
石垣の東端からは排水口と考えられる遺構が検出され、石垣の暗渠口として復元しましたが、現在は危険防止のため穴の口を扁平な石で閉じています。
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櫓門東石垣
復原した石垣の石は大井川から採取した石を使っています。東側コーナー隅に見える灰茶色の石は発掘調査で出土した石をそのまま見せています。
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「本丸南下区域」
天守台がある本丸の南側斜面と、その下段部。
絵図には、本丸前の高石垣と三か所の登り路が描かれています。平成6年~8年度にかけて、復元整備工事が行われました。
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本丸方向登り口
復原された石垣に使われている灰青色の玉石は大井川から採取された石を使っています。
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西の丸方向登り口
本丸へ登る東西の登り路は、発掘調査では検出されませんでしたが当時の絵図と遺構を顕彰して位置を決め設置したそうです。
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「西の丸」
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「本丸」
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本丸から天守台
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本丸土塁
絵図によると、この土塁の上に白壁の塀があったようです。
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天守台石碑
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天守台石垣
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天守台
遺構保護のため被覆処理し、発掘された石と同様の石を配置しています。
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天守からの眺望
宝永4年(1707年)の大地震によって海岸が隆起し海岸線が後退した。築城当時は目の前に海が迫る海城でした。
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「三日月池北側中段」
直径4㎝ほどの句と色の玉砂利が一面に敷き詰められていました。さらにこの玉砂利を縁取るように直径10㎝から20㎝ほどの灰茶色の丸石が二列に据えられていました。
これは建物の壁の基礎となる地覆石と、立て門物内の土間と考えられています。
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本丸東端部から、三日月池方向へ下るスロープ状部分と石垣
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三日月池
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「天守台東下平坦面」
本丸より俯瞰
この区域は天守台北側の北の丸から本丸南側区域へ続く通路のような細長い部分です。
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ここからは、池のような大きな穴が検出されていますが用途は分かっていません。
また、鍛冶作業に関する遺構や遺物が出土しています。
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お姫様祠
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「北の丸」
本丸方向
現在北の丸の広大な平坦面は公園や避難場所として住民に利用されているようです。訪れた日は熟年の男女が多数集い(笑)パークゴルフ場として活用されているようでした。
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松尾山方向
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北の丸土塁
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石列遺構
北の丸平坦面からは、溝状石列や地覆石溝石列、建物跡石列などの遺構が数多く発掘されています。
これは排水施設・庭園の一部や、絵図に描かれている倉庫のような建物の跡と考えられています。
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「松尾山」
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土塁
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削平地
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多聞櫓跡
遠州横須賀城図をみると、松尾山の東側と北側に細長い建物が描かれています。
周囲より約1.7m高い櫓台上に、南北16.5m×東西4.5mの範囲から、長さ約20㎝~30㎝の自然石を据え付けた跡が見つかりました。
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同、礎石遺構
石の配列が不均等な状況から、この石の上に布基礎(横木土台)を施し柱を建てたものと考えられています。
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「三の丸・東大手門」
現地説明板
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三の丸削平地
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東大手門跡案内板
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東大手門枡形跡か?
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町内の通りはかつての南外堀か?
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なごり?
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太鼓櫓・東大手門と関連がるのか不明
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「二の丸」
二の丸削平地
この広大な敷地を手つかずで保存しているのは凄い。手前はゲートボール場として利用されていたようですが、今は北の丸広場のパークゴルフに興味は移ったようです。
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不開門方向
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二の丸池南端
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町道は堀のあとか?
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「北外堀」
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米蔵跡
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城址公園駐車場
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「不開門・馬場・西大手門」
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西外堀跡?
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馬屋跡周辺
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西大手門、西櫓跡周辺
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同、屈折した石垣跡
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同、謎の石碑
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住宅街に突然現れた社、関連あるのか?
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玉石垣に目を奪われてしまいましたが、背後には山城の名残があって、後退した海岸線に面しては平城の広大な郭と城域が広がる複合的な城跡でした。
それにしても掛川市は、広大な城跡の敷地を確保して保存していることに驚きました。
この他に横須賀城の移築門が現存しています。
撰要寺は→こちら
本源寺は→こちら
※参考、、、現地説明板、公式パンフレット他
【横須賀城】
《徳川家康が高天神城攻略の起点とした城》
名称(別名);よこすかじょう
所在地;静岡県掛川市西大渕5383
城地種類;平山城
標高/比高;25m/20m
築城年代;天正2年(1574)~天正6年(1578)ころ
廃城年代;
築城者;徳川家康
主な改修者;
主な城主;大須賀氏
文化財区分;国指定史跡
主な遺構;曲輪、石垣、天守台、土塁、三日月掘
近年の主な復元等;
地図;
【御城印】
掛川三城御城印(掛川城・高天神城・横須賀城)セット販売
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取扱店:掛川観光協会ビジターセンター
住所;静岡県掛川市南1丁目1-1JR掛川駅南口構内
営業時間;9:00~17:00
※横須賀城からは結構離れているので、すぐ近くにある掛川城を訪問する際に買っておくのが良いと思います。