静岡県のお城巡りまとめは→こちら
駿府とは駿河の国の中心を意味し、徳川家康が幼少時今川氏の人質となっていたところでもある。今川氏の居館があったとされる場所に家康が最初に城を築いたのは天正13年(1585)と言われるが、詳細は不明である。その後、隠居した家康が城を改築したのは慶長12年(1607)だった。この時西国の大名たちに負担させて大御所にふさわしい3重の堀と六重七階(五重七階)の天守を持つ城に大改築させた。しかし、天守は失火で寛永12年(1635)焼失して以後は再建されなかった。二の丸や三の丸の堀、大手御門の虎口はよく残されている。また、二の丸御門、巽櫓や本丸堀の一部が復元公開されている。
場所は静岡県静岡市葵区駿府公園
公園内に駐車場が無くて周辺をぐるぐる回ったけど、なにせ静岡市のど真ん中で交通量も多く通行規制があるので焦ってしまいました💦
日赤病院近くのビル(伊勢丹か?)にある駐車場に飛び込みましたが2時間で1250円の痛い出費となりました😿
後日調べてみると結構安くて近い駐車場があるんですね(;^ω^) 便利な情報サイトを添付しておきます。→こちら
駐車場からは七軒町通りを北上し中央警察署から外堀にいたりました。
石垣とカフェの共存(^^♪
「大手門御門」
その先は静岡県庁
城内へ入る正面出入り口で、三の丸堀を土橋で渡って、右手へ直角に曲がり「渡櫓門」から城内に入る構造です。
大手御門の東で屈折しています
外堀の東端
「城代橋」
外堀を渡り「城代屋敷跡」(現静岡市歴史博物館)を抜け中堀に向かいます。
「巽櫓」
東御門のすぐ隣、二の丸南東隅に位置する二重三階の大きな櫓です。江戸時代中期の記録に基づき平成元年に復元されました。
観光遊覧船
「東御門」
駿府城二の丸の東に位置する主要な出入り口。二の丸堀(中堀)に架かる東御門橋と高麗門、櫓門、南・西の多聞櫓で構成される枡形門です。
東御門の前が安藤帯刀の屋敷だったことから「帯刀前御門」、また台所奉行の松下淨慶にちなんで「淨慶御門」ともよばれ、主に重臣たちの出入り口として利用されました。
江戸時代中期の記録に基づき平成8年に復元されました。
東御門橋から中堀北方向
枡形
櫓門
鏡石
城内より
東御門は寛永12年(1635)天守閣、御殿、巽櫓などと共に焼失し、同15年(1638)に再建された姿を復元したものです。
「東御門券売所」
御城印はこちら
「本丸堀」
三重の堀の一番内側の堀で本丸を取り囲んでいます。幅約23m~30mで深さは江戸時代には約5mありました。堀の内側は「打ち込み接ぎ」で角の部分は「算木積み」となっています。
「二の丸水路」
この水路は本丸堀と二の丸堀を繋ぐ水路で本丸堀の水を外に流す目的で築かれています。長さは約95mあり、4回折れ曲がっています。水路内側はは石積みで、底部にも石が敷かれていました。
「紅葉山庭園」
「北御門」
門を入ると石垣による枡形空間を通り、二の丸へと至ります。二の丸へ入るとすぐ西側には、石垣造りの喰違虎口土手構造による「馬場先御門」があり、その先に馬場がありました。
北御門橋
北御門橋から中堀、紅葉山庭園方向
「本丸」
公園となっています
家康公像
「天守台発掘ゾーン」
「天守・天守台」
本丸の北西部に位置し五層七階(または六層七階)の天守が築かれたが寛永12年の火災による焼失後は天守台のみが残っていたが明治29年に取り壊され、その土砂で本丸堀が埋められました。
発掘の結果慶長期(大御所家康)天守台は東西約61m×南北約68mの日本一大きい天守台であることが分かりました
天正期本丸西面
大御所家康が天正期に築いた石垣(「打込接」、急勾配、裏込め栗石幅広い)と、それより古い時代の天正期に築いた石垣(「野面積み」、緩勾配、栗石幅狭い)の二つの石垣は、作り方が異なっています。
慶長期本丸西面
周囲と石垣の積み方が違うところがあります。これは宝永地震などにより崩れた石垣を積み直したものだと考えられています。
角石
庫裏石などの石垣内部構造をよく見ることができます。
発掘現場北東隅
慶長期天守台に入る木橋が架かっていたとみられ、本丸側に天守台下御門がありました。
天守台御門から内側に入った場所では、枡形虎口が確認されています。
発掘現場北面
北面の石垣は積み直しの痕跡が見られず、築城当時の石垣である可能性が高い。
記念
出土した石
内堀を埋め立てるために投げ入れられた石垣の石。発掘調査で引き上げられ、積み上げられている。
発掘調査資料室
発掘調査の拠点で、成果を展示している。資料の閲覧、冊子の販売もあります。
「西門橋」
西門橋から中堀南方向
「清水御門」
清水御門から遊歩道へ
土手上の遊歩道
かつては多聞櫓の塀が巡っていたのか
遊歩道の突当りは坤櫓
「二の丸御門跡」
三の丸から二の丸に入る正面出入り口で、二の丸大手門とも呼ばれていました。
門の全体は、第一の門を入り石垣で囲まれた広い空間を経て右に折れ、第二の門へと至る重厚な枡形の構造であり、第一の門は高麗門、第二の門は渡櫓門となっていました。
第二の門を入って左手に進むと西の丸に至ります。第二の門の正面には石垣の仕切り(中仕切り)があり、本丸の正面入り口である御玄関前御門へは直接入れない仕組みになっていました。
二の丸橋
中堀
二の丸御門の屈折とその先坤櫓
「坤櫓(ひつじさるやぐら)」
二の丸南西隅にある櫓で、二層三階の構造となっています。二階には堀側に石落としを設け、敵の侵入を防ぐ工夫がなされていました。櫓は防御の拠点や見張り場として建てられていますが、坤櫓には槍が保管されている武器庫としても機能していました。
建物の復元は、宝暦年間(1750年代)の絵図資料と発掘調査資料を基に平成26年に復元されました。
「四つ足御門跡」
駿府城南側、西寄りの個所に設けられた出入り口で、三の丸堀を土橋で渡って、左手へ直角に曲がり、渡櫓門から城内に入る仕組みになっていました。
※参考、、、日本100名城公式ガイドブック、現地説明板、公式パンフレット、駿府城ガイドブック他
【駿府城】
《富士を望む地に構えられた徳川家康の隠居城》
名称(別名);すんぷじょう
所在地;静岡県静岡市葵区駿府公園1-1
城地種類;平城
築城年代;天正13年(1585)、慶長12年(1607)
築城者;徳川家康
主な城主;徳川氏
文化財区分;
近年の主な復元等;平成元年に巽櫓を復元、平成8年に二の丸東御門を復元
天守の現状、形態;ー
※出典、、、日本100名城 公式ガイドブック・日本城郭協会監修(学研)
地図;
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