前田利継公墓所【高徳寺跡】
永禄元年(1558)文藝という僧侶が砺波郡の矢波村に「曹洞宗 高徳寺」という草庵を建てた。天正13年(1585)の大地震により木舟城が倒壊し、城主前田秀継夫妻が死亡した折、その子利秀がこの「高徳寺」を両親の菩提寺とした。
その後利秀は今石動城に入場し、「高徳寺」も今石動に移ることとなり、寺号を秀継の戒名(瑞光院殿密庵永傳大居士)をとって、「永伝寺」と改め、現在の小矢部市八和町に移転した。
しかし前田利継公夫妻の墓は、そのまま残され今に至る。
~後略
小矢部市・小矢部市観光協会
国道8号線から『宮島峡』へ向かうようにして進みます。途中で324号線を左に入り「子撫川」を渡ると右手に案内看板が見えますので民家の方向に入ります。
しかし駐車場がなく農道なので車では入らない方が良いでしょう。
向かいに流れる「子撫川」土手からの遠景。
正面に見える住宅の背後、木立の切れ間に登り口があり、陵墓は画面右手中段辺りです。
公園下には猪対策の「高圧電気柵」が張り巡らしてあるので危険、要注意!
民家横に階段と案内看板が設置されています。
階段を登りきると右手に平坦な空間が広がります。
石で造った椅子やテーブルもあり見晴らしが効く高台ですが、公園としてはあまり利用されていないのか寂れ具合が歴史を感じさせてくれます。
陵墓に至る門は後世に造られたもののようですが、結界として俗世との隔たりを感じさせます。
草むらに覆われた石碑の一部にも歴史を感じます。
階段を登ったところに柵で囲まれた陵墓が見えてきます。
正面には門があって、城主としての威厳を感じられます。
天正大地震で圧死した木舟城主前田利継公夫妻の墓
嫡男の今石動城主前田利秀によって、供養塔も合わせて3基の五輪塔が建立された。
旧高徳寺境内に残る陵墓とその周辺は、地元の人なのか管理者の小矢部市によるものか分かりませんが、雑木林を切り開き、雑草を刈り取るなど手入れされていることが分かります。
小高い丘から望む南の方角には小矢部市内(今石動)があり、麓の村落の水田風景をみながら波乱の人生を送った秀継公夫妻は眠っているのでした。
現在の【曹洞宗 永伝寺】
〒932-0048 富山県小矢部市八和町12-5
0766-67--1311
→こちら
木舟城記事は→こちら
とやまたびドットコム→こちら
前田家ゆかりの地Map、、、小矢部市→こちら
【前田利継公記念公園】
名称(別名);旧高徳寺跡
所在地;富山県小矢部市矢波
城地種類;曹洞宗寺院跡
築城年代;永禄元年年(1558)
築城者;僧 文藝
主な城主;前田利継の子、利秀により両親の菩提寺とした
文化財区分;小矢部市指定史跡
近年の主な復元等;今石動に移転後は「永伝寺」と改め現在の地に移転
天守の現状、形態;「永伝寺」廃寺後も墓所として残り門や休憩所が設置され、記念公園として整備された
地図;
※出典、、、小矢部市・小矢部市観光協会
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