龍門寺は正安元年(1299)悦巌崇善によって創建されたと伝えられています。
この地は府中の南端にあたることから軍事上の要衝とされ、天正元年(1573)には織田信長が朝倉攻めの際にここに本陣を構えた。朝倉氏滅亡後、同二年には越前の門徒領国化を狙う一向一揆勢によって支配され、この討伐のために同三年には羽柴秀吉・明智光秀らに龍門寺城に攻め入らせ、再び支配を取り戻した。
その後信長は府中とその近辺十万石を府中三人衆(不破光秀・前田利家・佐々成征)に支配させ、龍門寺城には不破光秀が入った。
しかし賤ケ岳の戦いで柴田勝家軍として秀吉と対峙したため改易となったが、その後子の直光の代には前田利家に臣従している。
天正十三年(1585)に若狭の村常陸介が府中を支配し、城内の南隅に龍門寺を再興した。
現在南部の堀跡は墓場となっている。また本堂や庫裏は台地上にあって平城の名残がある。
昭和45年11月1日指定、、、越前市教育委員会
不破光治は美濃の国で斎藤氏に仕えていたが斎藤氏滅亡後は信長に臣従し、将軍足利義明への使者を務めるなど重用された。 柴田勝家に与して賤ケ岳の戦いに敗れた後秀吉によって改易となったが、その子直光の代には前田利家に臣従しているという皮肉なめぐりあわせは戦国の世の習い。
利家は正室まつと共に勝家に勝利した秀吉をこの龍門寺城で迎え、本来なら自刃するところだが旧友の秀吉の裁量で免れ、恭順したため以降秀吉政権を支える大大名として地位を固めていく。
(一部加筆)、、、越前府中・利家紀行
【見どころ】
信長の命で北陸攻めをしていた柴田勝家の与力、前田利家・佐々成征・不破光治(府中三人衆)のそれぞれの城を歩く旅。
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府中城址(越前市役所)から総社大神宮を経て、
国道365(蓬莱通り区間)を渡り、寺院群に入る。
懐かしい通りです。わたくし若かりし頃この通りにあった『手塚商店』というお店に営業担当として出入りしていて、写真の蕎麦屋さんで同店の社長(故人)から「越前蕎麦(おろしそば)」をごちそうになったことを昨日のことのように思い出します。
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そこを抜けると
卍が辻というおどろおどろしい地名が、、、(;'∀')
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現在の龍門寺、山門
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本堂と庫裏
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忠魂碑、
一段低い堀跡が墓地となっている。
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龍門寺城址の碑が建つ
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この辺りから雨が本降りとなり、急いで撤収。
市役所からかなり歩いてきて、駐車場にたどり着いたころにはべちゃべちゃになっていました。
しかも途中の石段で滑ってつまずき、買ったばかりのトレッキングパンツのひざ小僧に穴をあける始末。Wで痛かった(笑)
【龍門寺城跡】
《》
名称(別名);
所在地;福井県越前市本町9-5
城地種類;平城
築城年代;龍門寺創建は正安元年(1299)
築城者;龍門寺創建者は悦巌崇善
主な城主;織田信長が朝倉攻めの本陣を置いた
文化財区分;市指定史跡
近年の主な復元等;天正13年(1585)木村常陸介により龍門寺を再興
天守の現状、形態;堀跡
地図;
※出典、、、越前市教育委員会