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あみの3ブログ

土豪の城から美濃金山城の支城へ 今城 2025年1月25日

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天文年間(1532~1555)頃に地元の士豪である小池家継が築いたと伝えられています。小池氏は美濃金山城に森長可が入城した後、今城を退去して農民になったと伝えられています。

城自体は小さいですが、横堀を巡らし、曲輪を堀切・土塁で区画するなど戦国末期の技巧的な縄張を用いています。この状況から、本能寺の変があった天正10年(1582)以降、美濃金山城主である森氏によって改修されていることが推測されます。特に周辺の状況と考え合わせると、天正12年(1584)における小牧・長久手の戦いの際に改修された可能性が高いと思われます。、、、可児市作成パンフより



場所は岐阜県可児市今
東海環状線「美濃加茂IC]下車、国道41号線を美濃加茂市内に向かい、「太田交差点」を左折します。国道248号線を南下し国道113号線へ左折。「今交差点」を左折し町内に入ります。道が狭く住宅が建て込んでいるので要注意。用水路を渡り突き当たりのT字路を右折。120m程先の「鈴木酒店」の向かいにある「集会場」に車を停めさせて頂きました。集会場横で作業をしていたご主人に尋ねたところ、快くお許しを得ました。





この集会場横の路地を150mほど歩くと



畑の中に小高い丘があり、城址碑が建っています。







今庄跡の公式駐車場は「今公民館」なので参考に住所を記載しておきます(〒509-0246 岐阜県可児市今2008)

今城イラスト
※可児市作成パンフより、以下同じ


縄張図




「三の丸」
城主居館跡


本丸より俯瞰


本丸切岸





二の丸下「小池家墓・五輪塔」


同 二の丸より俯瞰



「腰曲輪と矢倉跡」






「二の丸」


空堀


空堀東側


空堀と土橋


東面の空堀跡




「本丸」
土橋


本丸東屋


本丸城址碑


北側の眺望



食い違い虎口


食い違い虎口と東面土塁


南面土塁



南面空堀跡




本丸北側にある「出丸」







大手門から城外南方向
小池一門屋敷跡



「今城址を整備する会」の皆さんが手作りで整備した城址公園です。
環境整備やグッズの製作など、地域を巻き込んで親しまれ愛される公園になっています。
皆さんのご苦労に感謝です。
ぜひ御城印を作って頂、気軽に手に入れることができるようになればいいと思います。



【今城】
《発達した虎口を有する山城》

名称(別名);いまじょう(なし)
所在地;〒509-0246 岐阜県可児市今371
城地種類;平山城
標高/比高;160m/20m
築城年代;天文年間(1532年-1555年)
廃城年代;天正10年(1582年)以降
築城者;小池刑部藤原之家継
主な改修者;森長可
主な城主;小池氏、森氏
文化財区分;未指定
主な遺構;曲輪、土塁、堀切、井戸
近年の主な復元等;公園
地図;


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