大桑城 四国堀と登城道編は→こちら
大桑城は標高407.5mの古城山山頂一帯にある、美濃国守護土岐氏が居城とした山城です。
逸見義重が承久の乱での功績により大桑の地を賜り、子の義光は大桑を名乗りここに住んだとあります。その後5代目守護土岐頼忠の子頼名が大桑氏を名乗ったことや、7代目が一時大桑に住んだこと、さらに8代目土岐成頼の次男、大桑定頼が大桑城を改修して居住したとの資料があり、土岐氏と大桑の深い関わりがうかがえます。
16世紀になると土岐氏は守護所の場所を次々に移動させ、天文4年(1535)に起きた長良川の大洪水により守護所が大桑に移され、このとき大桑城と城下町が本格的に整備されたと考えられています。
その後、稲葉山城を居城とする家臣の斎藤道三と対立関係になり、大桑に侵攻した斎藤道三は守護土岐頼芸を美濃から追放し、土岐氏の守護家としての隆盛は終わりを告げます。 大桑城落城後、道三は城下の人々を稲葉山城下の井口へ移し、土岐氏が大桑に築いた遺産は後の岐阜へ引き継がれていきました。、、、山県市教育委員会作成パンフレットより抜粋
「はじかみ林道登山口」から登り始めて約15分、いよいよ城域に到達。
東尾根最初の遺構「帯曲輪」が見えてきました。
大桑城縄張図
※山県市教育委員会作成パンフレット「大桑城跡石垣見学マップ」
大桑城では全体で大小180か所ほどの曲輪が分布しており、石垣は約90か所で確認されています。土岐氏は石垣という新しい技術を導入し、城造りを行っていたことが明らかになりました。
帯曲輪周辺の「⑩石垣」
「猿馬場」
馬ならし場があったと考えられています。
南西尾根にも「馬場」があったようですが、大手筋の緩やかな傾斜と広い平坦面に比べ、こちらは急峻な東尾根にあって、馬など登ってこれないと思いますが、まさか「猿」を飼いならしていた場所なので「猿馬場」???
だったら解るような気がします
「竪堀」
「山頂・井戸・石垣」分岐案内
「⑤石垣」
石垣の先にある「景観スポット」
同眺望
眼下に広がる城下町や、はるか金華山・岐阜城(稲葉山城)まで一望できます。
「⑥石垣」
「古城山コース」と合流
頂上を目指します。
「伝台所」
天守の下にあたる場所。
発掘調査の結果、建物のほか「池跡」や「玉石」などが発見され、「大名庭園」があったものと考えられています。
「天守台・石垣」分岐
「帯曲輪」
「①石垣」
天守がある斜面を覆っていたのでしょうか?
「曲輪群」看板
西側斜面下にある曲輪群のことかな?
台所曲輪から山頂へ
「主郭部」
古地図に天守台とある場所。山の斜面を背後とし、東に開けた作平地。現在は小さな祠が祭られています。
山頂に建つ「天守」
地元のお城愛のたまもの
昭和63年に建てられた高さ約3mの模擬天守
写真映えスポット
このミニチュア天守を観に全国からファンが来るとか
眺望
最後部中央に金華山と岐阜城(稲葉山城)
対峙する斎藤道三の動きが丸見えですね。
山頂を極めたので尾根を下り、古城山登山口方向に移動
「③石垣」
「曲輪群」
城域中央部の北西谷部に階段状に30余りの曲輪が配置されており、発掘調査の結果、中央部には石垣を配した幅2.2mの直線通路が確認されています。また中国製の磁器片や瀬戸・美濃産の陶器片も発見され、身分の高い人物が暮らしていた可能性が指摘されています。
現在は立ち入りが制限されています。
「竪堀」
「⑦石垣」
「堀切」
「馬場」
尾根沿いに広大な曲輪があり、うまならし場があったと考えられています。
「堀切・土橋」
東尾根には堀切が一つとわずかな竪堀があるのみですが、南尾根(大手)には大規模な堀切・竪堀が連続して設けられ、大手から侵入してくる敵から曲輪群や本丸を守る意図が感じられます。
「堀切」
「⑧石垣」
この後古城山ルートに戻り番屋(伝岩門)に行くはずがなぜか失念
山頂部に向かって引き返してしまいました。
ここでは大きな石を使った石垣(⑨)や「立石列」も発見されているそうです。
当時交流のあった隣国・越前朝倉氏の拠点、一乗谷にみられる巨石を使った「城戸門」の影響を受けたことがうかがえます。
さらに大桑城を攻めた斎藤道三は居城の稲葉山城山上部にこれとよく似た「一の門」を築いており、繁栄の遺産はのちの岐阜へと引き継がれていきました。
現在文化財の指定はありませんが、環境整備や地元の機運も高く、国の史跡指定に向け発掘調査も進んでいます。
ぜひ国指定史跡となるよう、取り組みを応援したいものですね。
ヤマップ活動状況
活動時間1:49
移動距離2.2Km
比高185m
ヤマップ3D
※参考、、、現地案内板、山県市教育委員会作成パンフレット他
【大桑城】
《美濃国守護土岐氏 最後の居館》
名称(別名);おがじょう
所在地;岐阜県山県市大桑
城地種類;山城
標高/比高;408m/370m
築城年代;鎌倉時代
廃城年代;天文16年(1547)
築城者;大桑又三郎
主な改修者;土岐定頼
主な城主;大桑氏、土岐氏
文化財区分;なし
主な遺構;曲輪、井戸、土塁、石垣、堀
近年の主な復元等;
地図;
【御城印】
取扱店:インディアンビレッジ・TWO-SPIRITS
住所;〒501-2101 岐阜県山県市大桑3341
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