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あみの3ブログ

大溝城@滋賀県高島市 令和三年(2021)9月30日

お城検索は→こちら



ここに大溝城が構えられた理由には、水陸交通の要衝だったこの地を高島郡支配の拠点とする織田信長の琵琶湖の支配権掌握の目的があったと考えられる。大溝城の初代城主は信長の甥・織田信澄であるが、この他にも信長は、安土城・長浜城・坂本城など琵琶湖に面した水城を築かせ、「琵琶湖城郭ネットワーク」を作り上げた。大溝城は、琵琶湖や内湖を堀として取り込み、各城と湖上交通で直結する軍港でもあった水城としての景観をそのまま残している貴重な遺跡である。
発掘調査ではほぼ同時期に築城された安土城と同じ文様の軒丸瓦が出土されると共に、大溝城が水城として機能していたことを裏付ける、船着き場や土橋、本丸を囲む堀跡も見つかっている。現存する天守台の石垣部分は全体的に規模の大きい石材が用いられており、全体は野面積で、隅部は算木積みです。、、、現地案内板より


場所は滋賀県高島市
JR湖西線「近江高島駅」の目の前と言ってもいいくらいの近さです。
コンビニ側のガード下にある案内板より



JR湖西線「近江高島駅」



駅前にある市民病院の前を通って一つ目の信号を右折すると角に「陽光の里」という老健施設があります。



その脇道を入ると田んぼの中に遺構が見えてきます。




縄張りと現状、、、現地案内板より
本丸天守台跡は病院と琵琶湖の内湖に囲まれた田んぼの中にあります。
北西の方向「陽光の里」隣には【三の丸】、


南西の方向「高島市民病院」駐車場辺りには【二の丸】があったと推定されています。



また北東側には琵琶湖が、南東側には内湖の乙女が池があり、築城当時はこの内湖に囲まれ琵琶湖に浮かぶ水城だったようです。






信長に背いた磯野氏に代わって天正6年2月、明智光秀の娘婿で信長の甥織田信澄が城主となりました。琵琶湖の内湖を巧みに取り込んだ水城は明智光秀の縄張りとも言われています。



西隅に近い石段脇に、城址碑と説明板が設置されています。



◆南西面
遠景


南方向石垣
わりと横の目地が通っているように感じました。


南隅
角石は残っていますがその横が崩落しています。


南隅上部石の崩れ
全体的に大きな石で、ゴツゴツした感じより丸みを感じます。



◆東南面
遠景


東方向石垣
こちらは少しゴツゴツした印象


東隅石
角石が明確に残っています。




◆西北面
遠景



西隅




◆北東面
こちらは小さく平べったい石が積み重ねてあります。
隙間に小石を詰め込んでもいます。


北隅の折れ
横矢を効かせようとしたのでしょうか?


東側竹藪の中の池と石垣




◆天守台、看板


南側
巨石を配しています


北側
こちらが虎口だったのでしょうか


東隅石
やや反りが見られます




天正10年6月2日、明智光秀が本能寺に謀反を起すと、光秀の娘を妻としている信澄に嫌疑がかかり、信澄の蜂起を恐れた織田信孝(信長の三男)は丹羽秀長と図って大阪城二ノ丸で攻めたため、信澄は自刃した。
その後大溝城は解体され、甲賀郡水口の「水口岡山城」に移された。
(その水口岡山城も破城され、資材は水口城に再利用された) 水口岡山城の記事は→こちら

元和5年(1619)伊勢の国上野から大溝藩主として入封した分部(わけべ)氏は、明治維新まで250年に渡り高島郡内32か村、野洲郡内に2か村、二万石の領主として城下町の整備や藩校の開校などに取り組みました。



♪☆★♪☆★【城下町】♪☆★♪☆★

近江高島駅ガード下の案内板より抜粋




◆総門
織田信澄のあと二万石で入封した分部光信は、大溝城の西に陣屋・武家屋敷を構築し瀬戸川を境として石垣・土塁を巡らせて総門を設けました。棟瓦には家紋の丸の内に三引が残り、両袖に部屋のあるこの長屋門は大溝城関係で唯一残る遺構です。、、、現地案内板より



◆武家屋敷
分部氏譜代家臣の武家屋敷町の一角に残る笠井家遺構。
通りに面して長屋門があったが、大正の初めころ玄関わきに移築改造され、今もその面影を残している。なお、庭園・生け垣などは当時の武家屋敷を想像させる。とありますが現状のヤラレタ感はハンパないです(;^ω^)



◆古い町並み







◆古式水道
円筒分水槽???w
山から下った水を一旦ここに溜め(タチアガリ)、下流域の住宅へ導管を通して配水したそうです。
領主の分部氏が使用した「殿さんの水」として親しまれているそうです。



◆琵琶湖



◆今でも古い町名が残っています




【大溝城】
《》

名称(別名);高島城、鴻溝(こうこう)城
所在地;滋賀県高島市勝野1667-14
城地種類;平城
築城年代;天正六年(1578)
築城者; 織田信澄
主な城主;織田信澄,植田重安,加藤光泰,生駒親正,京極高次,織田三四郎,吉田修理,岩崎掃部佐,分部氏
文化財区分;市指定文化財
近年の主な復元等;
天守の現状、形態;本丸天守台跡・石垣

※出典、、、
地図;
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