昭和62年から63年に行われた発掘調査でこの館が南北朝意外に、戦国~江戸時代の初期にかけても利用されていたことが判明した。戦乱の続いた時代を反映し、屋敷の周りに高さ3mを超える土塁を築き、その外周に幅5m深さ2m余りの空堀を巡らせ敵に備えていた姿が明らかになった。館の大きさは堀の外側で東西80m、南北50mをはかる。
江戸期に神明社が祀られ、ぐるりを取り囲んでいた土塁は「ゴロベエ山」の名で親しまれてきた。なお現在の地名「やかた」はこの遺跡にちなむものである。富山県教育委員会・南砺市教育委員会、、、現地案内板より
場所は富山県南砺市やかた、
南砺市福野文化創造センター「ヘリオス」の斜め向かい、ラヲタ的には「円城」の近くと言った方が分かり易い(笑)
現状は神明社が建っており、その敷地内に土塁が遺っている。
城域の南側に神明社の入り口があり、鳥居が建っています。
◆城址碑
鳥居から入ると左手に城址碑があります。
◆資料館
また右手には神社としては異質な、コンクリート製の建物があります。
六角形をした建物は「六角堂」をイメージしたものでしょうか?
これは昭和62年~63年に行われた発掘調査で出土した遺物の一部を展示している「資料館」的なものです。
内部
南側の一画に展示コーナーが設けられ、休憩スペースもあります。
当時の様子を伝える写真パネルや
出土した陶磁器の破片等が展示されています。
【遺構】
神社北側と東側に土塁が現存しています。
◆北面土塁
北東隅方向(内側より)
同(外側より)
北東隅(外側より)
土塁上から西側を見る
◆東面土塁外観
石垣が積まれていますが、近年のものです。
東面土塁(北から南方向を見る)
奥は資料館、右手は神社本殿
東面土塁内側(南から北方向を見る)
古い絵図には東面に虎口が描かれており、現在も城戸口として使われています。
資料館に展示してある絵図に、東面と南面に虎口が描かれています。
【旧福野町やかた】
この地名の由来にもなった「館跡」
旧福野町が予算を出して神社境内に資料館を建設し、地域のアイデンティティを物語るうえでも貴重な遺産ですね。
【寺家新屋敷館】
《じけあらやしきやかた》
名称(別名);寺家新屋敷館、田中氏第、寺家新屋敷城
所在地;富山県南砺市やかた241
城地種類;平城
築城年代;南北朝期
築城者;田中貞行
主な城主;田中貞行、田中太郎兵衛
文化財区分;南砺市指定史跡
近年の主な復元等;
天守の現状、形態;なし、現状神社
※出典、、、現地案内板、北日本新聞とやまお城探検隊他
地図;
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