先ず写真ですが、パッと見、これは城郭建築か?しかも、望楼型の天守を供えているような造りではありませんか。
そして、「あすまで」という限定に弱い自分のハートわしづかみのフレーズ
文中の「富山藩士ゆかりの、、、」という藩士→武士→城という興味の連鎖
「七面堂」という初めて目にする文字も好奇心をくすぐります。
これは行くしかないでしょ((^^)/
場所は富山市呉羽町
旧8号線(現県道211号線)沿いで、呉羽小学校近くにある鉄筋コンクリート造りの立派な施設です。
11月6(土)、7(日)の両日は「呉羽地区文化祭」が開催されており、屋外では自衛隊の広報やクラシックカーの展示会、屋内ではバザーなどが催され、多くの住民の方で賑わっていました。
「七面堂模型の展示会」もその一環として開催され、こちらは地元住民の他にも新聞記事を見て駆け付けた、建築や歴史ファンで人だかりができていました。
【展示模型】
正面
正面図(当日配布資料より 職蓺学院作成)
右側面
右側面図
背面
左側面
内部の構造が分かるように、模型の左半分は屋根を葺いていません。
瓦葺きではなく、当時は檜皮葺だったんでしょうね。
【そもそも「七面堂」とは】
日蓮宗の守護神、七面大明神(鬼門を閉ざして七面を開くとされる女神)を安置するための堂のことで、その建築様式を「七面造」と言うそうです。
特徴としては
一階が拝殿、二階が本殿という二階建ての重曹構造。
外観としては
一階の拝殿が、入母屋造で正面中央の向拝(ごはい)が最高の格式である唐破風となっている。
また二階の拝殿は、方形造りで正面と背面が千鳥破風、両側面が軒唐破風という複雑な形になっています。
つまり
寺社建築としては、特異な重層様式であり、大変壮麗な建物であるということです。
【歴史】
場所は
富山市五福、峠茶屋
いつ・誰が
江戸時代の万治年間(1658~1660)に
富山藩士・奥村蔵人が
初代富山藩主・前田利次公から峠茶屋の東側斜面、五時谷を拝領して山上近くに七面大明神を祀る七面宮を建立したのが始まり。
明治維新で、神仏分離令に端を発するとされる、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)が全国に広がり
富山では
明治3年(1871)の「合寺令」が発令され、
建物群は取り壊されました。
【復元目的】
一般的な社殿の配置を無視し、拝殿の二階に本殿を載せると言った独創的な発想で造り上げた「七面造」は比類見ない奇想天外な造りであり、建築史上も貴重である。
富山県にこのような貴重な建築物があったことを、後世に伝えことも目的の一つだと思われます。
【全国初の模型復元】
そのような背景で、
匠の技術を伝承する「富山職蓺学院」の授業の一環として、
数年前から生徒や指導員らが図面から起こし、上野教授の指導のもと、1/10模型が造られた。
【展示の目的】
呉羽地区にこのような貴重な建築物があったことを後世に伝え、跡地である呉羽地区に整備復活を期待するという側面もあり、今回の呉羽地区文化祭に展示したことのようです。
展示は終了しています
※出典、、、職蓺学院・上野教授、北日本新聞、呉羽山観光協会
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