戦国時代の天文年間(1532~1554)、当地の井田を本拠とした豪族斎藤氏が居城した館跡は、現在法華宗妙法寺、白山社、浄土真宗立泉寺の境内となっている。敷地面積およそ「縦(65間)、横(97間)」と伝えられ、周囲の土塁・空堀跡や、西側の石垣などがこの名残である。
関連する遺構には、城生城跡、井田主馬ヶ城跡がある。城生城主は、日常は井田館に住み、南側の山上にある主馬ヶ城はその警備のための砦として、敵が襲ってきた非常時に立て籠もって防ぐ詰城であったと考えられている。、、、現地案内板より(富山県教育委員会)
三者の位置関係を地図で示します。
豪族斎藤氏の詰城
井田主馬ヶ城の記事は→こちら
後の居城
城生城の記事は→こちら
場所は富山市八尾町井田
八尾市街から富山市内方に向かい、県道7号線「中井田交差点」より2つ目、右手の大きな忠魂碑が目印です。
堀を巡らせた格式の高い忠魂碑のようですが、いわれは未調査ですが💦
忠魂碑隣に建つ白山社の大鳥居と参道。
細い参道の突当りが白山社です。(車の場合は一筋手前に市道があり、正面まで行けます)
井田館の案内板がありますが、縄張り図や復元イラストなどが無いので範囲や規模が分からないのが残念。
井田館は現在の白山社を中心に妙法寺、立泉寺の境内となっているそうですが、土塁の範囲や堀跡の用水の分布・道などを考慮して地図上に「縦65間(約118m)、横97間(約176m)」の空間を落とし込んでみました。
これはあくまでも妄想なのでお間違えの無いように(笑)
「白山社」
境内には土塁らしき痕跡も。
社殿外側の土塁
堀は用水路に改修されたのだろうか?
浄土真宗「立泉寺」
南側民家との境まで続く土塁跡
周囲には石塁が残るも、下草に覆われているところと道路側では時代が違うようです
法華宗「妙法寺」
北側民家との境まで続く土塁跡
市道で分断された土塁
西側は空き地や用水(堀跡?)の様子から、県道7号線に面した神社参道と忠魂碑の辺りまで広がっていたのかもしれませんね。
一般に市街地に近い平城や居館跡は開発によって破壊され、遺構が残っていないのが現実ですが、寺社等によって広大な敷地が保たれると現代でも当時を忍ぶことができますね。
土塁や石垣などの遺構の説明があれば自分のようなミーハーにはありがたいのですが(笑)
【井田館】
《豪族斎藤氏の居館》
名称(別名);井田城
所在地;富山市八尾町井田
城地種類;平城
標高/比高;
築城年代;天文年間
廃城年代;不明
築城者;斎藤氏
主な改修者;
主な城主;斎藤氏
文化財区分;
主な遺構;土塁・空堀・石垣
近年の主な復元等;現在は妙法寺、白山社、立泉寺の境内となっている
※出典、、、
地図;
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