金沢城にまた一つ新たな名所が復元されました。
【金沢城 鼠多門と鼠多橋の復元】
金沢城公園西側の発掘調査を経て、2018年7月に着工
工期は当初計画より前倒しされ、2020年の東京オリンピック開催に合わせて完成させることになり、いよいよこの7月18日午後から一般に開放されました。
7月1日既報の時点では橋桁には白い布で養生してありましたが、それも奇麗に取り払われ、能登ヒバで覆われたの橋の全容が現れました。
尾山神社東参道より、橋と門の全景

尾山神社からは回廊が橋と繋がり、テラスからゆっくり見ることができる。

橋の真ん中に立てば
折からの雨で濡れた「能登ヒバ」から、真新しい木材の芳香が立ち上っていた。

城内から門の扉越しに尾山神社方向を見る

復元された石垣と旧の石垣

城内側の石垣
戸室石を切り石積みで復元

城内から見た鼠多門

玉泉院丸庭園側から見た鼠多門

鼠多門の二階部分を見学することができます。
開館時間:9:00~16:00(入館無料)
年中無休

櫓門、入母屋造り 木造二階建て鉛瓦葺き
櫓部は一階と二階とに分かれている。門部分は地下。
間口(桁行)22.03m×奥行(梁間)7.35m×門下部から櫓屋根までの高さ3.12m+9.04m
床面積323.84㎡
使用木材:欅、松、ひば、杉(屋化粧裏板)
出典、、、石川県土木部及び金沢城公園管理事務所作成パンフより

【玉泉院丸庭園】
二代藩主前田利長の正室玉泉院(織田信長の娘)の屋敷跡を玉泉院丸と称した。
三代藩主前田利常による寛永11年(1634)の作庭を始まりとし、歴代藩主により手を加えられながら廃藩時まで玉泉院丸に存在していた庭園。
兼六園に比べ藩主の内庭としての性格の強い庭園であったと考えられている。
平成25年から整備が始まり、平成27年に歴代藩主が愛でたであろう庭園の姿が再現された。
休憩所「玉泉庵」
歴代藩主たちも、そこからの眺めを愉しんだことでしょう。

庭の背景に城の石垣や三十間長屋があり、なかでも黒色戸室石を配した石垣や、辰巳用水を引き込んだ「色紙短冊積石垣」などは金沢城ならではの傑作とされいます。

唐傘の高台休憩所より

兼六園から城内を抜け、玉泉院丸庭園を通って尾山神社、そして片町・香林坊を経て、武家屋敷群まで一気通貫となりました。