このユニット、youtubeでご検索ください。いいですよ。
若い頃、瀬戸へ瀬戸電に乗って、よく絵を描きにいった。中谷泰の絵に魅せられて…、瀬戸の山はその頃、山がえぐられ、凄い風景だった。中谷泰はそれを静かな風景に描きそれはいい絵だった。だが僕には難しかった。
そこで育った伊藤舞依子が瀬戸の土でやきものをつくり、生駒のギャラリ-AMIROROで個展をするテーマは「自然」、どんな作品だろうか。 たのしみだ。
そこで育った伊藤舞依子が瀬戸の土でやきものをつくり、生駒のギャラリ-AMIROROで個展をするテーマは「自然」、どんな作品だろうか。 たのしみだ。
前にも書いて恐縮だが、陶と音のコラボレーションが住宅街の小さなギャラリーで5時から開催される。伊藤舞依子は瀬戸で修業した若い陶芸家、MITATAKEは東京の中央線あたりで活動している2人組、ギター、ボーカル、ハーモニカはいいですよ、youtubuで検索されたし、コラボは3日だけ、陶芸展は11日まで(9金休)3日は演奏のため2000円、あとパ―ティ―で作家、演奏家との交流会がありますよ。
第15回中原中也賞に文月悠光さん(18)の詩集「適切な世界の適切ならざる私(わたし)」思潮社に決まった。18歳6カ月の同賞受賞は最年少とのことどんな作品か興味をそそる。文月さんは札幌生まれ同市在住で高校3年生。
私は芸術家だという気どりもなくといえば失礼かもしれないが、作品はそれぞれの独自性があり毎年、新鮮なものを感じるのだ。今日はメンバーが大体そろっているところに画廊にいったら、真ん中の席に、どうぞ、どうぞといわれすわったのはいいが、こういう場合、どうすればよいのか出されたビールを飲んで周りの人たちの話を聞く、女性がたの乳がん検診の話を聞いていると、面白くなってくる。花見の話やらもりあがる…いいなかまたちだなあ。
「クレーの詩」平凡社、を買った。吉増剛造が前文を書いているぼくの読書力では難解だがクレーの詩と絵画からすればこの詩人がふさわしい。この本の真ん中あたりにある<猫と鳥>は好きな作品だがこの本の中にはいると違った佳さがみえてくる。
今日はテレビをみる、こういうものならテレビもよろしい。映像明るくきれい。カメラマンにまず拍手!キューバ革命でアメリカに経済封鎖されて、かえってよかったね。医療、家、無料、家は自由に改造して、かっこいい、車は古いアメ車を修繕しながらつかっている。カストロよりゲバラが人気みたい。キューバの人たち、唄や踊りで陽気。江口洋介曰く「祐福じゃないけど祐福に見える」。キューバは一度いってみたいね。
今はもうないが大阪球場の客席の下の所に店があった。その一部に古本屋街があった。その中の一軒にピカソの演劇の脚本があったのだ。ぼくは、へえっ、ピカソは劇作もするのか。その本おもしろかったが、懐寂しくというか、また買えるだろうと買わなかった。あの本は手に入れておきたかった。もうないでしょうな。
図書館で借りている本の返却期限がきた。その中で「風穴をあける」谷川俊太郎の中で気にいった文章があったので、書きとめておきたい。……「ほそい がらす」と題された八木重吉の短詩に接した。
ほそい
がらすが
ぴいん と
われました
「細いガラスがぴいんと割れました」と表記すれば、この四行はたちまち散文の中に埋もれかねない。この四行を辛うじて詩にしているもの、それは作者の意志ではないかと私は思った。すでに存在している「詩」を選ぶというよりは、これが詩だと闇雲に主張することで、ある言葉の連なりを他から区別する。……なるほどこれは美術でもいえることだ。
ほそい
がらすが
ぴいん と
われました
「細いガラスがぴいんと割れました」と表記すれば、この四行はたちまち散文の中に埋もれかねない。この四行を辛うじて詩にしているもの、それは作者の意志ではないかと私は思った。すでに存在している「詩」を選ぶというよりは、これが詩だと闇雲に主張することで、ある言葉の連なりを他から区別する。……なるほどこれは美術でもいえることだ。
何年か前、アフガニスタンへ行った時のアフガンの人たちとの交流をかいた本を読んだことがある。あたたかい本だった。ここに奈良美智の人気の本質があるのかもしれない。新聞を整理していたらアフガンの記事をみつけた、国連アフガニスタン支援団によると、爆撃などで死亡した民間人は09年の1年間で2412人。
ペシャワール会の医師中村哲は「治安悪化を抑えようと外国軍が出てくると、戦闘が始まって状況はさらに悪化する。民間人が死ねば、家族は復讐を誓う。暴力の連鎖だ」と訴える。
ペシャワール会の医師中村哲は「治安悪化を抑えようと外国軍が出てくると、戦闘が始まって状況はさらに悪化する。民間人が死ねば、家族は復讐を誓う。暴力の連鎖だ」と訴える。
加藤眞琴プログ、ドローイングの日々。gallery,amk8
いきものは、生きている限り、視覚.聴覚.嗅覚.触覚…が躯を刺戟する…それをことば.形で表したい。