1998年2月4日ー3月1日美術館「えき」kyoto ≪ゲルニカ≫についで好きなのはこの作品群だ。ピカソ晩年の作品。これは京都でみたし、カタログも、もっているがエロチシズムの芸術の極致、描かれている「女」がなんともいえずいい、優と美。「泣く女」をかいた、ピカソの夢であったのか。
両手を上にあげて落ちて行く男の姿である。このモチーフは≪ゲルニカ≫作品群の中では、一回だけしか登場しないが、最終作では、画面の右端で両手を挙げて落ちて行く女の姿に変貌してあらわれている。……23.2×29の小さな作品。1937.5.27の作品。いいですなあ。この図録、薄くて古いんだが、なんどみてもいい。
案内状いただく。いよいよ今年も始動。昨日は[岡田慶隆絵画展]~その向こうから~2.18~28ギャラリーはたなか…はたしてなにがでてくるのか?今日は[山口ヒロミ銅版画展]「抱っこパリ」天音堂ギャラリー。昨年パリ個展の「抱っこパリ」がフランスボルドーのワインラベルに選ばれたのだ。その作品がみられる。ぼくが以前、みたとき明るくていい作品だおもっていたのだ。
いずれも大阪。
いずれも大阪。
1962年刊行。この詩集の背景には、三年間、群馬県の山の中で過ごした生活がある。なかんずく冬の生活は、ぼくのなかに『自然』をはげしくめざめさせてくれた。『見えない木』は、そういう意味で、この詩集の原型となりうる。 雪のうえに足跡があった 足跡を見てはじめてぼくは 小動物の 小鳥の 森の支配する世界を見た …… <現代詩文庫 思潮社>より 田村は、自伝のなかで、日本的な語法、日本的な抒情と論理を殺戮することが、生理的な快感にうったえた、日本の、七・五を基調とする詩歌はもとより、朔太郎、光太郎といった前世代の詩人たちの作品にも、まったく興味をもたなかった。そういう意味で「文学少年」としては、ぼくはかなり畸型的であった。と書いている。早川ミステリーの翻訳、エッセイなど、興味をそそる詩人である。こんなの周知のことかもしれないが、ぼくには発見だ。この『見えない木』好きな詩だ。
「開発」是非の選挙は、残念ながら「開発」に負けた。何故?樹を切る?山を削る?樹が死ぬ。鳥が死ぬ。生きものが死ぬ。何故だ。その近くには、草ぼうぼうの「開発地」があるのですよ。あーあ、またやってしまった。
「谷川俊太郎への手紙」 地上から樹が失われてゆくのは悲しい。アフリカや南米の原野には天を遮る樹林があり、名付けようもない奇怪な姿の樹が、いまも強い拒絶の意思をもちつづけているだろう。しかしそれは、(つまり)ぼくが こうして記述しようとする樹々は、再生産可能な想像力の領域範囲にあり、絶対的な外的相貌としてあるものではない。…(後略)武満は谷川俊太郎の詩からひとと樹との繋がり、関係について書いている。それだけではないのだが、少し難解、ぼくなりに解釈しておこう。樹とひととは太古から強く関わってきた。もちろん、ひとだけではない。現在、その樹を切ったり山や谷を崩したりする(開発)が各地でされてきたが、それは批判され草ぼうぼうの空地になり、地方自治体は財政破たん。税金は住民、やめてくれ。わが市ではその是非で選挙が行われている。やはり詩を読まないといけない。
初めて読んだのは15才ののときでした。初めて六十二のソネットの一篇を読んだとき、私はある共感を覚えました。今まで生きていながら他人とのへだたり、自分の存在などについていつも何かを感じていました。それを貴方の詩に発見したのです。このとき、初めて私は現代詩にふれることができ、すばらしさを知りました。今まで読んでいたハイネ、ヴェルレーヌなど外国の詩にあきてしまい、日本の現代詩をもっと読もうとしました。 山梨 清水千代子 (手紙) <現代詩文庫>27裏表紙より…谷川俊太郎、髭を生やし若い。 谷川俊太郎作詞・谷川賢作作曲「さようなら」を≪mitatake≫が演奏している。4月3日(土)ギャラリーAMIROROでライブをする。彼らを交えてのパーティーも予定している。
この前、古本屋で買った「富岡多恵子詩集」を読むというより、おもしろそうなところを捜している。この詩論と<ひとの死に方><自伝><森茉莉の富岡多恵子論>など読んでいる。そして詩というものも教えを受けるものか、小野十三郎にみてもらってたという。発見。2010年はぼくにとって詩をさがす年だから。
今日は1.17阪神淡路大震災。追悼の意を表します。重なるようにハイチの大地震、悲しみにたえません。空から海から、大量の水、食料送りこめないのか。
加藤眞琴プログ、ドローイングの日々。gallery,amk8
いきものは、生きている限り、視覚.聴覚.嗅覚.触覚…が躯を刺戟する…それをことば.形で表したい。