不定期でヒマなときに書いている≪スポーツ懐古主義≫。
『あ~そんなこともあったなあ』
というのを、
何の脈略もなく”思いつくまま”書いています。
第1回はテニスのボルグvsマッケンローの激闘。
第2回は西武ライオンズが初めて優勝した時。
そして今回は、
80年代初頭にかけての、
海外ボクシングが熱かったころのお話。
戦後の白井義男、ファイティング原田の時代から、
ボクシングはプロレスと並んで『庶民の娯楽』のトップ3に入るような、
黄金時代を築き上げてきました。
ワタシも物心ついたころから、
ボクシングは常に身近に、
いつもテレビの画面の上にありました。
当初は日本人の世界チャンプに、
強いあこがれを抱いていましたね。
ワタシの幼少時代で印象に残る選手と言えば、
古くは大場政夫。
そして輪島功一。
その後の柴田国明とガッツ石松。
更に時代が進むと、
具志堅用高や渡辺二郎に歓声を送りました。
70年代のことです。
そして70年代も終盤に差し掛かると、
ワタシの目は段々と海外にも向いていくようになりました。
そこで目に入ったのは、
まずはヘビー級のモハメド・アリ。
70年代に強烈な個性と輝きを放ったこのボクサー、
ボクシング殿堂では、
いまだに最も人気のあるボクサーです。
なんといっても『キンシャサの奇跡』で”象をも倒す”ジョージ・フォアマンをマットに沈ませたのはすごかった。
しかしワタシは、
あの試合前にも後にも、
とにかく吼えまくる彼のキャラにはどうしてもなじめなかった!
やっぱり日本人で言うと、
サムライのようなたたずまいを持った、
『無駄なことを言わず、ズバッと斬る』
タイプが好きだったんですねえ、これが。
ということで、
アリ全盛のヘビー級戦線にはあまり興味を抱けないでいたところ、
それより下の中・重量級のの戦線に、
素晴らしい選手がたくさんいることを、
だんだん知ることになっていったんです。
まずは、
【石の拳】と言われた、
パナマの英雄、ロベルト・デュランがライト級に飛び出してきます。
この選手はガッツ石松と防衛戦を行ったこともあり、
『とんでもなく強いボクサーだな』
ということを覚えていましたが、
更に更に強くなってワタシの目の前に再登場してくれました。
日本人のボクサーにも、
この頃チャンピオンはいましたが、
『なんだか、世界のボクシングは次元が違うんだな』と思ったことを覚えています。
そのデュランの試合を『見たいなあ』と思っていたところで、
登場してきたのが【天才】と言われたシュガーレイ・レナード。
アリの後継者と言われ、
76年のモントリオールオリンピックの金メダルを引っ提げてプロ入り。
80年6月に、
デュランと拳を交えます。
これがその後【黄金のミドル】と言われる時代の、
最初の『ビッグファイト』となりました。
80.6 デュラン〇 vs ●レナード 15R 判定
この試合、
もちろんワタシは見ていません。
しかし結果は知っていました。
『さすがはデュラン。レナードでもかなわなかったのかあ』
がワタシの感想。
その後80年11月に再び2人は拳を合わせますが、
デュランの放棄試合で、
レナードの勝ち。
80.11 テュラン● vs 〇レナード 8R 放棄試合
ここまではワタシ、
映像で見ていない試合です。(そのずっと後には見ましたが)
この結果などにも『へ~っ』ぐらいのものだったのですが、
時の経過とともにヒートアップしてきたミドルクラスでのバトル。
この頃確固たる地位を築いてきたトーマス・ハーンズが、
この『強者のバトル』に参戦してきました。
ハーンズは長身といかつい顔、
そして速射砲のような連打で、
【ヒットマン】と呼ばれていましたが、
『本当の意味での強者』との対戦はなかったので、
81年の9月に組まれたレナードとのタイトルマッチは、
世界中の注目を浴びました。
81.9 レナード◎ vs ●ハーンズ 14R TKO
この試合でも光を放ったのはシュガーレイ・レナード。
”ヒットマン”の速射砲を上手くかわすアウトボクシングで、
ついに14回、
相手のガソリン切れを待っていたかのような連打をたたき込んで勝利をつかみました。
ハーンズはやはり、
現役の最後まで、
『スタミナがイマイチ』
という印象ですね。
レナードはこれで『すべてを手に入れた』と思ったのか、
さっさと引退を表明してしまいました。
そこに登場してきたのが、
リアルにミドル級の体重を持つ、
【マーベラス】マービン・ハグラーでした。
ムキムキの体にスキンヘッド。
しかしもの静かな雰囲気をたたえた、
タイプでいうと『サムライタイプ』。
ワタシはハグラーが、
この4人の登場人物の中で、
最も好きなボクサーでした。
そのハグラーに挑戦状をたたきつけたのが、
”石の拳”デュラン。
83年に両者の対戦は実現しましたが、
このタイトルマッチは、
『デュランの試合』となりました。
83.11 ハグラー〇 vs ●デュラン 15R 判定
判定ではハグラーがきわどく勝利をおさめますが、
『大差で、たぶんKOでハグラーが勝利』
と思っていたワタシにとっては、
このビッグマッチは”消化不良”の感が否めない終わり方でしたね。
そしてこの”善戦”に気を良くしたデュランが、
ハーンズに挑戦状をたたきつけますが、
これがとんでもないことに。
84.6 デュラン● vs ◎ハーンズ 2R KO
わずか2RでのKO劇。
ハーンズの恐ろしいまでの強さを目の当たりにした我々は、
『やっぱりハーンズが一番強いのではないだろうか』
ということを、
心の奥に刷り込まれてしまいました。
それほど衝撃的な、
このKO劇でした。
そしてこの【黄金のミドル】の集大成ともいえる戦いが、
85年の4月に行われました。
”マーベラス”マービン・ハグラー vs ”ヒットマン”トーマス・ハーンズ。
脂の乗り切った両者の対決は、
【世紀の対決】
とも言われ、
世界中の注目を集めました。
果たしてその結果は!!!
85.4 ハグラー◎ vs ●ハーンズ 3R TKO
なんと!
ハグラーがわずか3RであのハーンズをKO!!
まさに”マーベラス(完ぺき)”な戦いぶりで、
この≪頂上決戦≫を制したのでした。
この試合でのハグラー。
強いなんてもんじゃ、ありませんでした。
リング上でハグラーに詰められたあのハーンズの体が、
木の葉の様にひらひらと舞って散っていく姿は、
まさにワタシにも脳天直撃のショックを与え、
立ち上がることができませんでした。
そしてその、
≪パウンド・フォー・パウンド≫
の称号を手に入れたと思われたハグラーに、
『ちょっと待て!!』
とばかり挑戦していったのが、
引退して3年は経っていた、
レナードでした。
この挑戦、
世間では『いくらなんでも無謀』と言われ、
『ミスマッチ』の声もある中で調印され、
行われました。
しかし、
『俺が一番強いんだ!』
というレナードの強い思いは、
まさに『岩をも砕く』まさかの結果を生み出しました。
87.4 レナード〇 vs ●ハグラー 12R 判定
ここに【黄金のミドル】の戦いは、
完結したのです。
(ここで終わりであると、ワタシの中では完結させています)
ハグラーはこのレナードとの戦いの後、
引退を表明しました。
レナードはこの試合ですべてを出し尽くしたかのごとく、
その後は感動のバウトを演出することは出来ませんでした。
ハーンズは、戦いの場をいろいろ移して戦い続けましたが、
その後光を放つことはありませんでした。
デュランは衰えを見せながらいつまでも戦い続けていましたが、
ついに50歳で完全なる引退を表明。
長いリング生活に別れを告げました。
この80年6月から87年4月まで。
期間にして7年ほど。
この間の、
4人の勇者による、
まさに≪パウンド・フォー・パウンド≫を決める何度にもわたる【頂上決戦】は、
遠い海のかなたの極東に住むワタシにも、
胸をわくわく躍らせながら『世界最強はだれ?』という興味を持たせ続けてくれました。
本当に一つ一つの試合がすごかった!!
どの戦いもキラキラと輝いていて、
『本物の輝き』
という以外に、
形容する言葉が見つかりません。
そんな輝きの中で、
こんなすごいバウトを見続けられたこと、
幸せだったなと思います。
そういえば去年でしたか、
Numberが『あなたが選ぶボクシング、ベストバウト』
を募集したところ、
ランキングの上位には、
ずらっとこの【黄金のミドル】の試合が並びましたね。
『やっぱり』という思いと、
『さすがは皆さん、見る目があるなあ』
という思いで、
結果を眺めていました。
さてその80年代の【黄金のミドル】終焉後、
この時代のワクワク感があまりにも強烈すぎたので、
その次の時代に出てきた、
タイソンを頂点とする『ヘビー級のバウト』には、
イマイチのめり込むことができませんでした。
タイソンはマジで強かったけどね。
そして時代は変わり、
現在のボクシング界を眺めてみると。
乱立する団体。。。。。
乱立するチャンピオン。。。。。。
何だか我々には理解できない、暫定王者とか、スーパー王者とか。。。。
いったい何人いるの????
という『世界チャンピオン』。
そして、
『世界ランキングのあまりの曖昧さ、テキトーさ』
さらに、
『試合のレベルの低さ』
如何ともしがたいな、こりゃ。。。。
ってなもんです。
ため息しか出てこないですね。
この頃の【黄金のミドル】の試合をVTRで眺めた後、
日本の『作られた、チャンピオンベルトマニア』とでもいうべきボクサー達の世界戦を眺めると。。。。。。
『これが同じ競技???』
これが偽らざるワタシの本音です。
そんな中で、
『ホンモノ』
を探し当てることだけしか、
もう楽しみもありません。
現在の日本人の世界チャンプの中にも、
何人かはそんな『ホンモノ』のボクサーがいることが、
わずかな救いなんですが。。。。
もう、
『テレビ局が作った世界チャンピオン』が、
適当な『えっこいつが世界ランカー???』という相手を見繕って、
”負けようがない”防衛を重ねるって手法、
いい加減やめてほしいと思いますね。
スポーツじゃない、バラエティ番組みたいですもんね、見ていても。
新しく若いボクシングファンに、
『ボクシングって、しょせんこんなもん』
と思われるのが、
一番腹立たしく悲しいことで、
そうならないように知恵を絞る時期に来ていると思いますがね。
そうしなきゃ、
本当に誰にも見向きもされないスポーツになっちまうよ。
危機感持ってほしいよ。
最後に。
本物を目指す村田選手には、
本当に期待しています。
頑張ってね。
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