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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

絶対に忘れないよ、斉藤さん!

2015年01月21日 | オリンピック

80年代の日本の柔道界において、
【不世出の天才】山下泰裕氏と並んで日本のエースとして活躍した斉藤仁氏が亡くなりました。

まだ54歳という若さ。
残念としか言いようがないほど、
大きな存在を失ってしまいましたね。

斉藤氏と言えば、
ロサンゼルス、ソウルの両オリンピックで連覇を遂げ、
日本の重量級のエースとして活躍しました。

まだまだ『柔道ニッポン』の威光が世界の隅々まで轟きわたっていた時代の、
まさに『世界の顔』ともいえる存在でしたね。

いろいろな意味で現役時代は山下氏と対比され、
国民栄誉賞の山下氏とは”光と影”のような扱いを受けたことも多かったのですが、
彼の柔道の真髄を見たのは、
なんと言っても88年のソウル・オリンピックの時でしたね。


この時の日本選手団、
前回のロサンゼルスの時と違って何か波に乗り切れず、
水泳・鈴木大地氏の『バサロ』での金メダル獲得以外、
ため息の方が圧倒的に多かった記憶があります。

特に柔道は、
軽量級から始まって、
悪い流れに飲み込まれて最終日の重量級まで金メダルなし。

絶対視されていた古賀氏が敗れるともう、
歯止めがきかない状態となっていました。

そこに登場したのが、
日本の絶対的エースにして前回のオリンピックでも金メダルを獲得している斉藤選手。
『柔道の本家・日本の最後の砦』
としての登場でした。

東京オリンピックからずっと、
金メダルを量産し続けてきた日本柔道に漂ったあの黄昏感、
今でもはっきりと思い出すことができるほど鮮明な記憶です。

『もう日本柔道はダメなのか?』

という異様な雰囲気の中畳に上がった斉藤選手の、
あの決意のこもった表情。
日本中がかたずをのんで斉藤選手に『頼んだぞ!』と声援を送る中、
その両肩にずっしりと思い重圧を背負ったまま、
戦いの場に向かっていきました。

黒沢映画『7人の侍』の決戦のシーンを思い起こさせるような、
そんなシーンでした。

そして斉藤選手は、
見事にその決勝の舞台で
『ニッポンの柔道』
を見せてくれて判定勝ち。

『ニッポンを救ってくれた』
救国のヒーローという感じで、
本当にかっこよかったなあ。

その後のインタビューで、
ホッとした表情で『この金メダルは、みんなで獲った金メダルです』といった彼の言葉、
忘れることができません。

スポーツを観戦していて、
それまで涙が出るなんていうことはほとんど皆無であった当時のワタシでしたが、
この時は一気に涙腺が崩壊して、
ボロボロっと涙が出たのを思い出します。

それほどの感動と、
私達も何か重圧から解放されたという様な感覚に陥っていました。

このソウルオリンピック・・・・・。
日本選手団の不振、
韓国でのアウェー感満載の雰囲気、
そして天皇陛下のご病状。

すべてが何だか灰色の雲に包まれたようなオリンピックだった感覚があるのですが、
そのすべてを斉藤選手が一瞬だけ、
拭い去ってくれたように感じました。

そんな思い出とともに、
斉藤選手のあの汗にまみれた素晴らしい表情が、
鮮明によみがえってきています。


現役引退後は、
日本柔道界の重鎮として、
代表監督も長く勤められ、
いつもオリンピックの最前列には、
現役時代そのままの気合いの入った斉藤氏の顔を見ることが出来ました。

そんな彼の訃報に触れて、
本当に寂しさを禁じ得ません。


そういえば前日には、
元中日の大豊選手の訃報も伝えられました。
わずか51歳という若さ。

ほぼ同じ時代に中日で活躍した山本昌投手は、
49歳にしていまだ現役を続けています。

その事を考えると、
何だか感慨も深くなってしまいますね。


日本の柔道界は、
巨星を失いましたが、
残された現役の選手たちは、
頑張って『本家の意地』を見せ続けてください。

斉藤さん、お疲れ様でした。
いつまでも、忘れません。


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