信じられないようなショッキングなニュースが、
昨日のお昼に流れてきました。
~日刊スポーツより~
1992年(平4)バルセロナ五輪柔道男子71キロ級金メダルの「平成の三四郎」こと古賀稔彦氏が死去した。53歳だった。
平成の三四郎の早すぎる死に、
ショックがぬぐえません。
強くたくましいイメージしかない古賀氏の死は、
衝撃以外の何物でもありませんね。
古賀さんといえば、
もちろん92年のバルセロナ五輪の金メダルが印象に残ります。
「絶対の金メダル候補」というか、
「古賀は金メダル確実」とまで言われていましたが、
大会前の調整練習で足を故障して、
ほぼ歩けないような状況になったという事が伝えられると、
あの84年ロス五輪の山下さんのことを、
日本の多くの人は思い出したんじゃないですかね。
そして足を引きずりながら金メダルを取った山下さんと同じく、
古賀選手も足の痛いそぶりをも見せずに勝ち進み、
苦しみながら金メダルを獲得したのでした。
その前の88年ソウル五輪で、
この時も「金メダル確実」と言われながら敗退し、
悔し涙を流していた姿も忘れられません。
そしてバルセロナの金で、
「あれ(ソウルの敗退)があったからこの金メダルがある」
と言っていた古賀さんを、
まぶしく見ていたものでした。
ワタシがオリンピック柔道と言って思い出すのは、
84年ロス五輪の、山下さんの脚を引きずりながらの金メダル、
88年ソウル五輪での、日本柔道界最大の危機を救った斎藤さんの金メダル、
そして92年バルセロナでの負傷をおして金メダルをつかんだ古賀さんの雄姿ですね。
なんだかその頃のオリンピックでは、
「日本の国技」である柔道で、
追い詰められながら最後「大和魂」を見事に世界中に見せて勝つサムライの姿を、
本当に「これがニッポンだ!」と誇らしく、そして涙ながらに見ていましたね。
柔道は何度も日本人に、
奇跡というものを見せてくれる。
だからこそ、
柔道家は尊敬をもって、
見られているのだと思います。
その日本柔道の歴史の中でも、
象徴でもあった古賀選手。
あまりにも早いその死を、
まだまだ受け入れることはできません。
壮絶な闘病だったという事。
そしてその事実を、
全く明かすことなく逝ってしまった平成の三四郎。
ワタシ達は彼の雄姿を、
忘れることはないでしょう。
本当の侍がまた一人、
この世を去りました。
合掌。