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つぶやき(愚痴多し、閲覧注意)

2023-05-07 09:27:00 | 日記
したいことたくさんあるのに
体調のせいで自由に活動できない。
しかも集ストで孤立してるし
リアルで関わる相手がほとんどいなくて

引っ越したい。
自然の中で暮らしたい。
きれいな水ときれいな空気と汚染されてない土壌があって、変な電磁波の少ない場所へ行ければすぐに回復するから。

これから夏になるとまた体調悪化しそうだから怖い。
なかなか買い物にも行けなくなる。

どうすれば回復するのか、どうして悪化するのか
これまで自分の身体を観察しながらいろいろ試してきたからわかるようになってきた。
もしも自分と同じ症状に苦しんでいる人たちがいるならそんな人たちにもラクになってほしい。

たかがアトピーだけど、アトピーは重症になれば人生を奪ってしまうほどの破壊力がある。
喘息は物理的に◯ぬ可能性があるけど、アトピーは精神を◯す。

731部隊の残党たち
人体実験はもうやめてほしい。
未だにいろいろしてるの知ってるから。
医療マフィアの手先。
他にもいろんな病気を発明した。

それだけじゃない。
秘匿技術を悪用して身体だけじゃなくて精神に干渉したりもしてきた。
ラジコンみたいに人を操って。
自分のせいじゃないので操られて人生を破壊されてきた人たちがどれほどいることか。
しかもされた当人は気づいていなくて自分が悪いと思い込まされたりもしてきた。

彼らが元の技術の持ち主から盗んだ技術を悪用して元の持ち主たちの末裔を攻撃して淘汰しようとしてきたことをわたしは知ってる。

その技術を善用すればみんなが豊かに暮らせるのに悪用してきた奴ら。
偽の世界観を作り上げてその上に胡座をかいてきた京都。
対象を老化させたり醜くしたりして嘲り笑う忌むべき性質の腐れ外道ども。

前世のカルマなどという概念を作り出して見えない攻撃を行いその原因を被害者に押し付け不当に罪の意識を植え付けようとするその魂胆が気に入らない。

腐れ外道どもは早く始末されろ。
本気でそう思うことがある。




補足
病気が作られる理由のひとつには
秘匿技術を悪用して昏睡状態を作り出し、眠らされている間に身体に危害を加えられることもある。
「現代のカラクリ屋敷」って記事にも書いたけど、日本家屋の多くにはカラクリ仕掛けが施されていて、玄関や窓以外からも室内に侵入出来る場合が多い。
完全犯罪なんていうのもそのため。
昏睡強姦の被害に遭ってる女の子を何人も知ってる。
そして「仲間の警察官には逮捕されない」って以前結社工作員が得意げに話していたのを直接聞いたけど、今はその時とは状況が変化してきてるからどうなのかはわからない、けど捜査も司法も未だ恣意的に行われているんじゃないかと疑ってる。
この国の闇は根深く、一朝一夕に改善されるかは疑問。

これまでに自分が見せつけられてきた数々の現実。
あまりにも卑劣であまりにも薄汚い。
改善されたことをこの目で確かめるまでは信用などできない。

あたりまえにあると思っているもの

2023-05-07 08:55:00 | 日記

あたりまえに思っているもの


この辺りは今日は雨です。

風も吹いてます。


寺の保育園に通っていた(そこでも孤立していましたが)幼い自分は、ある年の6月に「お空が泣いてるから(保育園を)お休みして6月はおうちにいる」と言って家で静かに過ごしていたそうです。

6月は水無月。何かを感じていたのだと思います。

そういえば一昨年の6月30日に道路で車に撥ねられて意識不明になり一時的な記憶障害を起こし救急搬送されたのですが、この日は京都では水無月という住民を利用した呪詛儀式が行われている日だそうです。


話を戻します。

自分はこれまではまるで呪われたかのような人生を送ってきたのですが、その中で拉致や監禁や◯害未遂も何度も経験しました。

臨死体験も。


不当に拉致監禁された場所によっては酷く虐待され人権は皆無だったりしたこともあります。

外に出られない、窓も開けられない、四六時中監視され、陽光を浴びることも風を感じることも雨に当たることも出来ないこともありました。(なので劣悪な環境で飼育される生き物たちの気持ちが想像できます)

こんな天気の日には、そんな悲惨だった生活を思い出し、ベランダで(まだ体調のため思うようには外出出来ないので)景色や空を眺める自由や、風や雨に当たることのできる自由を幸せに感じたりします。

夜には月や星が見られることも幸せに感じます。

ベランダで育てている植物に話しかけながらその香りを楽しんで幸せを感じたりもしています。(でも侵入者により植物を枯らされたり奇形にされたり、害虫をばら撒かれたりしているのでとても困っています)

自分は何度も野宿したこともあるし、一時的に数日間ホームレス的生活も送ったことがあるので、住む家があることや、布団で寝られること、食事が出来ることも幸せなことなんだなって思います。

でも不幸な状態と比べて今を幸せに思うっていうのもなんだか悲しいことなんですけどね。


身近にあたりまえに在ると思っているものって、実はあたりまえじゃないんですよね。

今日と同じ明日が必ず来るっていう保証もないのだけど、そんなことを考える暇もないほどみんな忙しくってこころに余裕がないのだと思います。

後悔とは後で悔やむと書きますが、本当にその通りで、でも予め後悔することを前提とした予測を立てて後悔しないための行動すればそれは自身に対する言動を制限するという呪縛になってしまうし。

そんなことを考えたりもしますが、自分としてはやはり

「考えるより感じる」

そんな感じなのかな、なんて思います。


生まれてからのこれまで過ごした時間の流れの中で、いろんなことが少しずつ変化してきて、気づくと大きく様変わりしていた、ってことは少なくなくて。

でも時々イベント的に大きな出来事がある時には急激に変化したりもして。

早いか遅いかって違いだけなのですが、やはり様々な変化は続いているんだと感じます。

忙しかったりこころに余裕がなかったりすると感じにくくなることですが。


ゆっくりと空を見上げたり風を感じたり雨に当たったり

植物や生き物たちと触れ合ったり

そんな経験の中から何を感じたのかを味わったり

多くの人たちがそんな緩やかな穏やかな時間を過ごせるようになれれば、もっと世の中も人のこころも豊かになるんだろうな、なんて想像してます。


あたりまえに在ると思っているものたちを大切に感じていたいと思っています。




今この本を読んでます。まだ途中ですがとても楽しく読ませていただいています。

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軽快で絶妙な文章によって今昔各地においてのウ◯コやトイレ事情ついての学術的考察が述べられています。

読みながら何度も笑ってしまってます。


『ウ◯コは中世には「畏怖」され、「信仰」され、近世・近代には「重宝」され、「売買」され、「利用」され、近代・現代には「汚物」と名付けられて「処理」され、「嫌悪」され、その結果「排除」され、そして「忘却」されつつ、今日に至る。』

193Pより引用)