少し前にとある宗教の話を聞きに行きました。
題目と呼ぶマントラを唱えることにより自分の内側とマントラを呼応させることにより自身の力を引き出すと説明していました。
良い香りのする木の葉を口に咥えたりもしてました。
それにより病気が治癒したり、良縁に恵まれるようになるとも言ってました。
香りや音には様々な効果を発揮するものがあると思ってます。
なのでその部分は否定しません。
その人たちは宗教を軸にして組織化?集まって世の中を良くしようとしているというようなことを話していました。
自分は思うところがあり、また特定の団体には所属したくないので入信は辞退しましたが、それでご本人たちが幸せなら良いことなのかもしれません。
ただ自分は社会の裏側を多少見てしまったので、ついつい裏読みをしてしまいます。
宗教は、これまで争いのために利用されてきましたが、攻撃しあったり排除しあったりするのではなく、違いを認め尊重しあえるようになったらいいのにって思います。
そのためにはやはり食は見直す必要があるのではないかと思います。
ある方は言ってましたが、争いのためは?攻撃し合うために?明確には言葉にはしていませんでしたが、そんな感じに思える前置きの後に、「食べると言うことを利用するのは効果的な方法だ」ということなのだそうです。
恐らくですが、相手の尊崇の対象やシンボル的なものを食べさせることにより◯術的効果を狙っての発言なのかもしれません。あとは心理的影響も生じさせるのかもしれませんし。
寺などに鳥獣供養碑があるのを見かけることがありますが、供養された先に供養された彼らがどのやうな状態に置かれることになるのか‥自分としては気になるところです。
供養された対象が幸せであることを願っています。
宗教とは生きるための指針となる教義であったり、生命力を引き出すための知恵だったりというのが原初の様子だったのではないかと自分は思っています。
自分は宗教自体は否定はしませんが、人間がそれを捻じ曲げ利己的に利用するための道具にしてしまうことには賛成できません。
今日も皆さんが幸せであることを願っています。
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