☆本記事は、Youtubeチャンネル『本の林 honnohayashi』に投稿された動画を紹介するものです。
ご興味を持たれた方は是非、動画の方もチェックしてみて下さいね!
●本日のコトノハ●
きみたちが自分の本性をいつも出していたら、間違いなく社会生活は営めない。
友人とはケンカする、上司とはぶつかることになる。普通、そうしないように我慢して、
自分の本性を隠し、もう一つの好かれる自分というものを作っています。
(中略)…しかし、上司や先輩に二重性があるからといって、彼を軽蔑したり、
イヤな男だと思うのは間違いです。多かれ少なかれ、社会の中で生きていくということは、
二重性をもっていることなのですから。
あなたもまた二重性をもって生きているではありませんか。
それを考えるならば、他人が二重性をもっているからといって、それを非難する資格は
あなたにはないはずです。この世の中は、二重性を持たないでも生きていけるほど
甘いものではないのです。
『あまのじゃく人間へ』遠藤周作(1987)青春出版社より
二枚舌、八方美人、日和見主義、風見鶏など、人の二重性を批判的に言い表す言葉は沢山あります。
しかし、誰に対しても態度を変えない人、お世辞や社交辞令の通用しない人が好意的に捉えられているかというと、そうでもないのが人間社会の難しいところです。
どんな時でも、誰に対しても態度を変えない人は「融通がきかない」とか「カタブツ」でつまらない人間だと思われがちです。
私自身について言えば、10代や20代の頃は相手を不愉快にさせないようにしようという意識が強かったように思います。
父親が日常的に大声で怒鳴る人だったので、なるべく父親の機嫌を損なわないようにビクビクしていましたし、私の家では、兄たちが優先されていたので、末娘の私は兄たちの存在をたてなければいけないという姿勢が、知らず知らずのうちに身についていたのです。
高校生の時には、ほとんど条件反射的に相手を怒らせないように自分の鳴りを潜め、相手を不愉快にさせないように、相手の顔色を窺う癖がついてしまいました。
そんな私の反応をどう誤解したのか、私がとある人のことを好きなのではないかという噂がささやかれたこともありました。
(40歳過ぎた今思うと、その頃の私はとても「痛い」感じの子供…)
その頃の私の態度について、どうしてそういう反応をしてしまうのか、理由や原因を知ろうとする人はいませんでした。
当然です。そんなことに興味を持つのは、人間の精神状態について研究している人か、その分野の専門家、例えばお医者さんくらいだろうと思うのです。
一般の人は、他人の行動について好き勝手に発言しますが、その行動を引き起こす原因には興味を示しません。
高校のクラスメイトの女子が、私が学校の男子たちに興味を持たないことに対して「レズなの?」と興味津々に聞いてきたことがありました。
私は苦笑することしかできませんでした。
その頃の私は、家族関係に疲弊していて恋愛というさらなる人間関係を増やすことが憂鬱に思えましたし、父親や兄たちの私に対する態度から、男性に対して不快感を抱いていたのも確かです。
だからといって、ストレートに同性愛者かどうか聞いてくるそのクラスメイトの神経もどうかと思います。
私は家庭内での自分の立場を誰にも話していませんでしたし、話してもおそらく誰も理解してはくれなかったでしょう。
結局は「他人事」なのですから。他人の事情なんて知ったことではないし、知ったところで何もできはしないのです。
私は社会の中ではまるで「普通の家庭」に育った人間のフリをしていました。
名付けブームが来る30年も早く、自分の娘に変な名前をつけ、子供の人生の進路を強制的に決定するような毒親に育てられたことはおくびにも出さずに「可愛がられて育った娘」として生きてきました。
今でも、三人の兄を持つ末っ子長女の私に「甘やかされたでしょう?」と聞いてくる人は沢山います。
父は兄たちにしか興味がなく、私に変な名前をつけた張本人の母は、他の家族の誕生日は覚えているのに、私の誕生日だけはいつも忘れていました。
私の七五三の時に、私に着物を着せてくれたのは、父の兄のお嫁さん(義理の伯母)でした。
その時の写真を見ると、暗い顔をした女の子が家の庭先に一人でポツンと立っているのです。(まるで心霊写真のように…)
この写真を見て、そこに写っている女の子が家族に愛されていると感じるのか、可哀想だと思うのかは私には分かりません。
いずれにしろ、子どもの頃の記憶はほとんどないので、この時の気持ちは全く覚えていません。
本人はすっかり忘れていたのに、写真だけはその瞬間をいつまでも残し続けているのです。残酷です。
決して、私は自分が愛されなかったと嘆きたいわけではありません。
両親には、それでなくても手のかかる重度障害者の第一子がいましたし、大人しい私よりも活発な兄たちの世話で手一杯で、私まで面倒を見切れなかったのだと思います。
子どもを育てることがどんなに大変なことか、子どものいない私にも多少は理解ができます。
けれど、私の両親は決して完璧な人間ではありませんでした。私も含めて、完璧な人間など存在しないのだと思います。
自分の未熟さと向き合った上で子育てをするか、そこからは目を逸らし、自分は親なのだから絶対的に正しい、自分は間違うはずがないという態度で子どもと接するか、あるいは、そんなことを考える余裕もないくらい、仕事、家事、子育てに翻弄される日々を送るのか、一言に「親」といっても様々な親がいることは確かです。
人間が完璧ではないということを、私は家族との関係性から学びました。
二重性どころか、多重人格なんじゃないかと思えるほど、会う人毎に態度を変える人なんて世の中に沢山います。
そんな人たちの言葉や行動の一つ一つを写真のように切り取って批判するのではなく、どうしてそんなことを言ったり、やったりしてしまうのかを思いを巡らす。それが「思いやり」の本来の意味なのかもしれません。
たまたまインターネット上で目にした他人の失敗や過ちを、全く無関係のどこの誰とも分からない人間が追及するという昨今の風潮には、自分もまた未熟な人間の一人だという意識が欠けているような気がしてなりません。
ヒトコトリのコトノハ vol.76
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●本日のコトノハ●
きみたちが自分の本性をいつも出していたら、間違いなく社会生活は営めない。
友人とはケンカする、上司とはぶつかることになる。普通、そうしないように我慢して、
自分の本性を隠し、もう一つの好かれる自分というものを作っています。
(中略)…しかし、上司や先輩に二重性があるからといって、彼を軽蔑したり、
イヤな男だと思うのは間違いです。多かれ少なかれ、社会の中で生きていくということは、
二重性をもっていることなのですから。
あなたもまた二重性をもって生きているではありませんか。
それを考えるならば、他人が二重性をもっているからといって、それを非難する資格は
あなたにはないはずです。この世の中は、二重性を持たないでも生きていけるほど
甘いものではないのです。
『あまのじゃく人間へ』遠藤周作(1987)青春出版社より
二枚舌、八方美人、日和見主義、風見鶏など、人の二重性を批判的に言い表す言葉は沢山あります。
しかし、誰に対しても態度を変えない人、お世辞や社交辞令の通用しない人が好意的に捉えられているかというと、そうでもないのが人間社会の難しいところです。
どんな時でも、誰に対しても態度を変えない人は「融通がきかない」とか「カタブツ」でつまらない人間だと思われがちです。
私自身について言えば、10代や20代の頃は相手を不愉快にさせないようにしようという意識が強かったように思います。
父親が日常的に大声で怒鳴る人だったので、なるべく父親の機嫌を損なわないようにビクビクしていましたし、私の家では、兄たちが優先されていたので、末娘の私は兄たちの存在をたてなければいけないという姿勢が、知らず知らずのうちに身についていたのです。
高校生の時には、ほとんど条件反射的に相手を怒らせないように自分の鳴りを潜め、相手を不愉快にさせないように、相手の顔色を窺う癖がついてしまいました。
そんな私の反応をどう誤解したのか、私がとある人のことを好きなのではないかという噂がささやかれたこともありました。
(40歳過ぎた今思うと、その頃の私はとても「痛い」感じの子供…)
その頃の私の態度について、どうしてそういう反応をしてしまうのか、理由や原因を知ろうとする人はいませんでした。
当然です。そんなことに興味を持つのは、人間の精神状態について研究している人か、その分野の専門家、例えばお医者さんくらいだろうと思うのです。
一般の人は、他人の行動について好き勝手に発言しますが、その行動を引き起こす原因には興味を示しません。
高校のクラスメイトの女子が、私が学校の男子たちに興味を持たないことに対して「レズなの?」と興味津々に聞いてきたことがありました。
私は苦笑することしかできませんでした。
その頃の私は、家族関係に疲弊していて恋愛というさらなる人間関係を増やすことが憂鬱に思えましたし、父親や兄たちの私に対する態度から、男性に対して不快感を抱いていたのも確かです。
だからといって、ストレートに同性愛者かどうか聞いてくるそのクラスメイトの神経もどうかと思います。
私は家庭内での自分の立場を誰にも話していませんでしたし、話してもおそらく誰も理解してはくれなかったでしょう。
結局は「他人事」なのですから。他人の事情なんて知ったことではないし、知ったところで何もできはしないのです。
私は社会の中ではまるで「普通の家庭」に育った人間のフリをしていました。
名付けブームが来る30年も早く、自分の娘に変な名前をつけ、子供の人生の進路を強制的に決定するような毒親に育てられたことはおくびにも出さずに「可愛がられて育った娘」として生きてきました。
今でも、三人の兄を持つ末っ子長女の私に「甘やかされたでしょう?」と聞いてくる人は沢山います。
父は兄たちにしか興味がなく、私に変な名前をつけた張本人の母は、他の家族の誕生日は覚えているのに、私の誕生日だけはいつも忘れていました。
私の七五三の時に、私に着物を着せてくれたのは、父の兄のお嫁さん(義理の伯母)でした。
その時の写真を見ると、暗い顔をした女の子が家の庭先に一人でポツンと立っているのです。(まるで心霊写真のように…)
この写真を見て、そこに写っている女の子が家族に愛されていると感じるのか、可哀想だと思うのかは私には分かりません。
いずれにしろ、子どもの頃の記憶はほとんどないので、この時の気持ちは全く覚えていません。
本人はすっかり忘れていたのに、写真だけはその瞬間をいつまでも残し続けているのです。残酷です。
決して、私は自分が愛されなかったと嘆きたいわけではありません。
両親には、それでなくても手のかかる重度障害者の第一子がいましたし、大人しい私よりも活発な兄たちの世話で手一杯で、私まで面倒を見切れなかったのだと思います。
子どもを育てることがどんなに大変なことか、子どものいない私にも多少は理解ができます。
けれど、私の両親は決して完璧な人間ではありませんでした。私も含めて、完璧な人間など存在しないのだと思います。
自分の未熟さと向き合った上で子育てをするか、そこからは目を逸らし、自分は親なのだから絶対的に正しい、自分は間違うはずがないという態度で子どもと接するか、あるいは、そんなことを考える余裕もないくらい、仕事、家事、子育てに翻弄される日々を送るのか、一言に「親」といっても様々な親がいることは確かです。
人間が完璧ではないということを、私は家族との関係性から学びました。
二重性どころか、多重人格なんじゃないかと思えるほど、会う人毎に態度を変える人なんて世の中に沢山います。
そんな人たちの言葉や行動の一つ一つを写真のように切り取って批判するのではなく、どうしてそんなことを言ったり、やったりしてしまうのかを思いを巡らす。それが「思いやり」の本来の意味なのかもしれません。
たまたまインターネット上で目にした他人の失敗や過ちを、全く無関係のどこの誰とも分からない人間が追及するという昨今の風潮には、自分もまた未熟な人間の一人だという意識が欠けているような気がしてなりません。
ヒトコトリのコトノハ vol.76
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