☆本記事は、Youtubeチャンネル『本の林 honnohayashi』に投稿された動画を紹介するものです。
ご興味を持たれた方は是非、動画の方もチェックしてみて下さいね!
●本日のコトノハ●
真心のある寛大な気持というものを、尊ばない人たちがいる。
ここにいる二人の性質は、それが欠けているために、一人のほうは我慢のならないほど辛辣な
性質となり、もう一人のほうは、さげすみたくなるほど無味な性質となってしまった。
判断力がなく感情ばかりなのは、全く水っぽい薬である。が、感情にやわらげられることの
ない判断力ばかりなのは、人間が飲み下すには、余りに苦くてかさかさしている。
『ジェイン・エア 上巻〔全2冊〕』シャーロット・ブロンティ著/遠藤寿子訳(1957)岩波書店より
「真心」という言葉を、この令和の時代に聞くことがあまりないような気がします。
どちらかといえば、お婆ちゃんが使う言葉というイメージがあるかもしれません。
どことなく古ぼけた語感のようにも思えますが、本来ならば、いつの時代でも「真心」は人にとって重要なもののはずです。
お互いに「真心」を持つことで、衝突や不和が減り、平和な社会が実現します。
しかし、いつの頃からか、この「真心」で応じるのではなく、「悪意」をもって他人の「真心」を利用するようになったのです。
現在ほど豊かで便利な社会ではない一昔前なら、他人からしてもらった親切は、身に沁みて嬉しかったはずです。
ところが、便利なのは当たり前、欲しい物が欲しい時に好きなだけ手に入るのが当たり前の現代において、人の親切など何の役にも立たないと考える人が増えているのかもしれません。
豊かさや便利さの裏側には、必ず誰かの尽力があります。
どんなに機械化や、インターネットの普及が進んでも、それらは人間の労力なくしては有り得ないことなのです。
直接、人の顔が見えていないだけで、世の中の人が利用するサービスやシステムを開発、準備調整してくれている人はいます。
それらの恩恵に浴している私たちは、そうした人々のことを忘れてはいけないと思いますし、何かの原因でそれらの機能に不具合が生じ、不便さに陥ったとしても、苦情を言い立てたり、嫌がらせをするのはとんだお門違いであり、一生懸命復旧に奔走してくれている人たちに感謝と労いの気持ちを持つべきだと思います。
小説『ジェイン・エア』の著者シャーロット・ブロンティは深い洞察力、とりわけ人間観察に優れた人物だということが、この作品から如実に伝わってきます。
『ジェイン・エア』は主人公ジェインの幼少期から、結婚して家庭を持つまでを描いた長編小説であり、物語の主軸は年の離れたミステリアスな男性ロチェスター氏との関係性ではあるのですが、私にはそれ以上に登場人物一人一人への詳細な描写、ジェインの育った家庭環境や社交界に集う貴族たちの様子、当時の男性観や女性観、結婚に対する捉え方などから、それらを読者に伝えようとする作者の執念のようなものを感じます。
単純な恋物語を描いたものではないことは、この作品が公開された当時に「婦女子に読ませてはならない書」という扱いを受けたことからも分かります。
シャーロットが生活した社会は、彼女にとって決して生きやすいものではなかったのでしょう。
そして、そのことを疑問に思うことすら許されなかったのかもしれません。その行き場のない苦しみ、憤り、嘆きを『ジェイン・エア』という作品を通して、思う存分吐き出したのだと思います。
そして、人が見失いやすいもの、だが決して失ってはいけないものは「真心」だということを、世の人々に訴えたかったのかもしれません。
ヒトコトリのコトノハ vol.79
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●本日のコトノハ●
真心のある寛大な気持というものを、尊ばない人たちがいる。
ここにいる二人の性質は、それが欠けているために、一人のほうは我慢のならないほど辛辣な
性質となり、もう一人のほうは、さげすみたくなるほど無味な性質となってしまった。
判断力がなく感情ばかりなのは、全く水っぽい薬である。が、感情にやわらげられることの
ない判断力ばかりなのは、人間が飲み下すには、余りに苦くてかさかさしている。
『ジェイン・エア 上巻〔全2冊〕』シャーロット・ブロンティ著/遠藤寿子訳(1957)岩波書店より
「真心」という言葉を、この令和の時代に聞くことがあまりないような気がします。
どちらかといえば、お婆ちゃんが使う言葉というイメージがあるかもしれません。
どことなく古ぼけた語感のようにも思えますが、本来ならば、いつの時代でも「真心」は人にとって重要なもののはずです。
お互いに「真心」を持つことで、衝突や不和が減り、平和な社会が実現します。
しかし、いつの頃からか、この「真心」で応じるのではなく、「悪意」をもって他人の「真心」を利用するようになったのです。
現在ほど豊かで便利な社会ではない一昔前なら、他人からしてもらった親切は、身に沁みて嬉しかったはずです。
ところが、便利なのは当たり前、欲しい物が欲しい時に好きなだけ手に入るのが当たり前の現代において、人の親切など何の役にも立たないと考える人が増えているのかもしれません。
豊かさや便利さの裏側には、必ず誰かの尽力があります。
どんなに機械化や、インターネットの普及が進んでも、それらは人間の労力なくしては有り得ないことなのです。
直接、人の顔が見えていないだけで、世の中の人が利用するサービスやシステムを開発、準備調整してくれている人はいます。
それらの恩恵に浴している私たちは、そうした人々のことを忘れてはいけないと思いますし、何かの原因でそれらの機能に不具合が生じ、不便さに陥ったとしても、苦情を言い立てたり、嫌がらせをするのはとんだお門違いであり、一生懸命復旧に奔走してくれている人たちに感謝と労いの気持ちを持つべきだと思います。
小説『ジェイン・エア』の著者シャーロット・ブロンティは深い洞察力、とりわけ人間観察に優れた人物だということが、この作品から如実に伝わってきます。
『ジェイン・エア』は主人公ジェインの幼少期から、結婚して家庭を持つまでを描いた長編小説であり、物語の主軸は年の離れたミステリアスな男性ロチェスター氏との関係性ではあるのですが、私にはそれ以上に登場人物一人一人への詳細な描写、ジェインの育った家庭環境や社交界に集う貴族たちの様子、当時の男性観や女性観、結婚に対する捉え方などから、それらを読者に伝えようとする作者の執念のようなものを感じます。
単純な恋物語を描いたものではないことは、この作品が公開された当時に「婦女子に読ませてはならない書」という扱いを受けたことからも分かります。
シャーロットが生活した社会は、彼女にとって決して生きやすいものではなかったのでしょう。
そして、そのことを疑問に思うことすら許されなかったのかもしれません。その行き場のない苦しみ、憤り、嘆きを『ジェイン・エア』という作品を通して、思う存分吐き出したのだと思います。
そして、人が見失いやすいもの、だが決して失ってはいけないものは「真心」だということを、世の人々に訴えたかったのかもしれません。
ヒトコトリのコトノハ vol.79
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