男女の恋愛を扱うハーレクインコミックス作品に寄せられる電子書籍サイトのレビューの多くに、「終りがあっさりしていて物足りない」という意見があります。
これは、一つの小説を一冊の漫画にまとめる都合がありますから、省略や変更をせざるを得なくなるという事情があってのことです。
小説ならば、本編で結ばれた二人のその後をエピローグとして描けますが、漫画では使えるページ数の関係で、ラストはだいたい見開きページで、結婚式などの結ばれた二人の姿が描かれます。
どうしても、その後の二人を連想しにくいので、収まりが悪い印象を受けるのでしょう。
でも、ちゃんとお話が完結しているのだから、いいじゃないの?と単純な私は思うのです。
そもそも、ハーレクインコミックス作品の読者レビューには辛辣なものが多く、気軽に作品を読んで楽しみたい人の心に水を差すというのを通り越して、アイスバケツチャレンジばりに氷水を浴びせ、震え上がらせるようなものが少なくありません。
ヒロインが純真無垢な、誰からも愛されそうな可愛らしい娘だったりすると、文字通り八つ裂きというか毒舌のマシンガンで蜂の巣にされます。(いや、マジで…)
世の中の怖いものに、「地震、雷、火事、おやじ」とありますが、女性の嫉妬も入れた方がいいかもしれません。(語呂が悪いけど…)
そんな恋に飢えた…(失礼)、恋に憧れる乙女たちの不満の中でも、ラストが物足りないというレビューを書く人に、イチオシの恋愛ものの古典作品」があります。
《落窪物語 ― 国民の文学 第5巻 王朝名作集I》川端康成、他訳(1964、河出書房新社)です。
漫画化もされています。《マンガ日本の古典2 落窪物語》花村えい子(1999、中央公論新社)
成立年代は10世紀の中頃と言われていますが、何しろ大昔のことなので、はっきりした成立時期や作者は不明です。
生まれは高貴にもかかわらず、母親を亡くしたために継母のもとで極貧生活を強いられていた薄幸の姫君が、貴族の中でも有力な家の子息に見初められて結婚し、幸せな人生を送るといういわば日本版シンデレラストーリーです。
何種類か漫画版があるようですが、やはり原作の現代語訳を読んだ方がいいいと思います。(古語が得意ならば、ぜひ原文で!)
物足りないどころか、長すぎて途中で挫折するかもしれませんが、エピソードの一つ一つが面白いので、私は退屈せずに読めます。
古典の中でも、王朝文学と呼ばれるものは《源氏物語》もそうですが、とにかく長いです。
現代のように、テレビもインターネットもなかった時代ですから、人々はこういう長い読み物を読んで、秋の夜長を過ごしていたのでしょう。
男性が女性の家に通う当時の結婚形式では、おそらく、夫が自分の所ではなく、違う女のもとへ通ってしまう《蜻蛉日記》のパターンも多かったはずです。
にもかかわらず、この物語の男君は、女君のためならば危険をも顧みず彼女を救出しに来ますし、自分の屋敷で彼女を養い、よそに女を作らない誠実さもあります。
しかも、女君に冷たい仕打ちをした継母に、手の込んだ仕返しをする執念深さもあります。
貴族の知識層の中でも、こうした読み物を読むのは女性が多かったそうですから、女性ウケを狙ってこうしたヒーローを書いたのか、もしくは、著者が女性なのではないかと思うくらい、理想の男性が描かれています。
旦那にしたい男性トップ3に、間違いなくランクインするでしょうが、まず現実にはいなさそうです。
(少なくとも、私の周りにはいません…)
夫を妻の実家が養うスタイルが常識だった当時の結婚観を覆す、この物語の構想は、もしかしたら、出世しないくせに女性関係にだらしない夫を養うことに不満を感じていた妻の実家側の人間によって考えられたのかもしれません。
(鎌倉時代に加筆されたのでは?という説もあるんですけどね…)
あるいは、当時の貴族男性の間では、妻の実家での待遇が良くないとか、義父母に出世のことや妻との関係のことで、いろいろ干渉されて困るというような愚痴が絶えなかったのかもしれませんね。
現在のように、夫と妻が二人で生活できたらいいのに、と感じる人もいたのでしょうか。
この作品を読むと、当時の価値観、習俗の中で人々が何を考え、何を感じ、どんな風に生きたのかが、まざまざと心に映される思いがします。
いったい、どんな人が作者だったのでしょうね。
とにかく、昔に書かれた作品は、作者がはっきりしない場合が多いですよね。
何しろ、コピー機などなかったので、みんな手書きで写していましたし、書き写す途中で間違ったり、人によっては自分の勝手な創作を盛り込んでしまったりと、一つの物語に、いろいろなバージョンが存在していたようです。
自分が持っている作品と異なる内容のものを持っている相手と、お互いに貸し合って読み比べるなんていうのも、楽しそうですね。
さて、この物語で、私の好きな場面があります。
女君は裁縫が得意なのですが、布を裁つ時に、男君が大きな布を広げたり、畳んだりするのを手伝ってあげたり、布の端を押さえてあげたりと、甲斐甲斐しく世話をする(イチャつくともいう)のです。
そんな、微笑ましい二人の姿にほっこりします。
その様子をたまたま覗き見た継母が、嫉妬する気持ちがよく分かります。
幸せそうな人を見ると悔しくなる人って、いますよね。
私はどちらかと言えば、不幸な人たちを見るより、幸せそうな人を見る方が明るい気持ちになれたり、希望が持てるのですが、世間ではどうなんでしょうか。
ハーレクインコミックスの読者レビューに辛辣なものが多いというのも、ほとんどの作品で人間的に問題のあるカップルがハッピーエンド&結婚するので、婚活に疲れ切っている女の子たちには余計、登場人物たちの幸せが妬ましいのかな?と勘ぐってしまいます。
でも、お話はハッピーエンドで終わっても、現実ではその後のストーリーがまだまだ続いていくのです。
結婚はゴールではなく、人生の通過点なのだと女の子たちが気がついたら、辛辣なレビューも少なくなるのでしょうか。
いずれにせよ、あまり他人の恋路に水を差すと馬が蹴りにやってきますので、ほどほどに。。。
これは、一つの小説を一冊の漫画にまとめる都合がありますから、省略や変更をせざるを得なくなるという事情があってのことです。
小説ならば、本編で結ばれた二人のその後をエピローグとして描けますが、漫画では使えるページ数の関係で、ラストはだいたい見開きページで、結婚式などの結ばれた二人の姿が描かれます。
どうしても、その後の二人を連想しにくいので、収まりが悪い印象を受けるのでしょう。
でも、ちゃんとお話が完結しているのだから、いいじゃないの?と単純な私は思うのです。
そもそも、ハーレクインコミックス作品の読者レビューには辛辣なものが多く、気軽に作品を読んで楽しみたい人の心に水を差すというのを通り越して、アイスバケツチャレンジばりに氷水を浴びせ、震え上がらせるようなものが少なくありません。
ヒロインが純真無垢な、誰からも愛されそうな可愛らしい娘だったりすると、文字通り八つ裂きというか毒舌のマシンガンで蜂の巣にされます。(いや、マジで…)
世の中の怖いものに、「地震、雷、火事、おやじ」とありますが、女性の嫉妬も入れた方がいいかもしれません。(語呂が悪いけど…)
そんな恋に飢えた…(失礼)、恋に憧れる乙女たちの不満の中でも、ラストが物足りないというレビューを書く人に、イチオシの恋愛ものの古典作品」があります。
《落窪物語 ― 国民の文学 第5巻 王朝名作集I》川端康成、他訳(1964、河出書房新社)です。
漫画化もされています。《マンガ日本の古典2 落窪物語》花村えい子(1999、中央公論新社)
成立年代は10世紀の中頃と言われていますが、何しろ大昔のことなので、はっきりした成立時期や作者は不明です。
生まれは高貴にもかかわらず、母親を亡くしたために継母のもとで極貧生活を強いられていた薄幸の姫君が、貴族の中でも有力な家の子息に見初められて結婚し、幸せな人生を送るといういわば日本版シンデレラストーリーです。
何種類か漫画版があるようですが、やはり原作の現代語訳を読んだ方がいいいと思います。(古語が得意ならば、ぜひ原文で!)
物足りないどころか、長すぎて途中で挫折するかもしれませんが、エピソードの一つ一つが面白いので、私は退屈せずに読めます。
古典の中でも、王朝文学と呼ばれるものは《源氏物語》もそうですが、とにかく長いです。
現代のように、テレビもインターネットもなかった時代ですから、人々はこういう長い読み物を読んで、秋の夜長を過ごしていたのでしょう。
男性が女性の家に通う当時の結婚形式では、おそらく、夫が自分の所ではなく、違う女のもとへ通ってしまう《蜻蛉日記》のパターンも多かったはずです。
にもかかわらず、この物語の男君は、女君のためならば危険をも顧みず彼女を救出しに来ますし、自分の屋敷で彼女を養い、よそに女を作らない誠実さもあります。
しかも、女君に冷たい仕打ちをした継母に、手の込んだ仕返しをする執念深さもあります。
貴族の知識層の中でも、こうした読み物を読むのは女性が多かったそうですから、女性ウケを狙ってこうしたヒーローを書いたのか、もしくは、著者が女性なのではないかと思うくらい、理想の男性が描かれています。
旦那にしたい男性トップ3に、間違いなくランクインするでしょうが、まず現実にはいなさそうです。
(少なくとも、私の周りにはいません…)
夫を妻の実家が養うスタイルが常識だった当時の結婚観を覆す、この物語の構想は、もしかしたら、出世しないくせに女性関係にだらしない夫を養うことに不満を感じていた妻の実家側の人間によって考えられたのかもしれません。
(鎌倉時代に加筆されたのでは?という説もあるんですけどね…)
あるいは、当時の貴族男性の間では、妻の実家での待遇が良くないとか、義父母に出世のことや妻との関係のことで、いろいろ干渉されて困るというような愚痴が絶えなかったのかもしれませんね。
現在のように、夫と妻が二人で生活できたらいいのに、と感じる人もいたのでしょうか。
この作品を読むと、当時の価値観、習俗の中で人々が何を考え、何を感じ、どんな風に生きたのかが、まざまざと心に映される思いがします。
いったい、どんな人が作者だったのでしょうね。
とにかく、昔に書かれた作品は、作者がはっきりしない場合が多いですよね。
何しろ、コピー機などなかったので、みんな手書きで写していましたし、書き写す途中で間違ったり、人によっては自分の勝手な創作を盛り込んでしまったりと、一つの物語に、いろいろなバージョンが存在していたようです。
自分が持っている作品と異なる内容のものを持っている相手と、お互いに貸し合って読み比べるなんていうのも、楽しそうですね。
さて、この物語で、私の好きな場面があります。
女君は裁縫が得意なのですが、布を裁つ時に、男君が大きな布を広げたり、畳んだりするのを手伝ってあげたり、布の端を押さえてあげたりと、甲斐甲斐しく世話をする(イチャつくともいう)のです。
そんな、微笑ましい二人の姿にほっこりします。
その様子をたまたま覗き見た継母が、嫉妬する気持ちがよく分かります。
幸せそうな人を見ると悔しくなる人って、いますよね。
私はどちらかと言えば、不幸な人たちを見るより、幸せそうな人を見る方が明るい気持ちになれたり、希望が持てるのですが、世間ではどうなんでしょうか。
ハーレクインコミックスの読者レビューに辛辣なものが多いというのも、ほとんどの作品で人間的に問題のあるカップルがハッピーエンド&結婚するので、婚活に疲れ切っている女の子たちには余計、登場人物たちの幸せが妬ましいのかな?と勘ぐってしまいます。
でも、お話はハッピーエンドで終わっても、現実ではその後のストーリーがまだまだ続いていくのです。
結婚はゴールではなく、人生の通過点なのだと女の子たちが気がついたら、辛辣なレビューも少なくなるのでしょうか。
いずれにせよ、あまり他人の恋路に水を差すと馬が蹴りにやってきますので、ほどほどに。。。
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