《落窪物語》の作者は身分の低い男性ではないかと考えられています。ですが、私はそんなに身分の高くない女性かもしれないともおもいます。
なぜなら、自分の愛する女性のために、長年に渡って手の込んだ復讐をし続ける男性というのが、私には信じ難く、仇の中納言家に対して執念を燃やす男君からは、むしろ女性的発想を感じるのです。
第16位に選んだ歌からも分かるように、女性がされて嫌なことをこの物語の作者は知り尽くしているような気がします。
そういう女性ならではの感覚に、男性は疎いのではないかと思ってしまいます。
たいていの男性は鈍感だと言うつもりはありませんが、そういう部分を理解できる男性は本当に貴重な存在です。
また、一夫多妻が主流の時代において、主人公の落窪の君(女君)を一途に愛する男君は、彼氏または夫にするならまさに理想の男性そのものです。
なので、この作品の作者は、自分の理想の男性を夢見る女性が書いたか、もしくはそういう姉妹を持った男性なのかもしれません。
日常的に、姉妹から男性との関係について相談されていて、女性の気持ちをよく理解できるようになったとも考えられます。
[好きな和歌 落窪物語から 巻の四/筑紫の師]
☆第15位☆
逢ふことの ありその浜の 真砂をば
今日君思ふ かずにこそすれ
この歌は、新婚の夫から新妻に送られた歌ですが、第16位の歌と同じく、受け取ったのは中納言家の姫、四の君です。
面白の駒との1回目の結婚は子供こそできたものの、やはり、半ば騙されて夫婦になったこともあり、想いが通じ合うことなく、疎遠になってしまいました。
そんな四の君の異母姉にあたる落窪の君(女君)は、四の君の境遇を気の毒に思い、男君に誰か良い人を探して欲しいと頼みます。
そして、男君が見つけたのが身分も立派で人格者の筑紫の師です。
この歌は四の君と夫婦となった翌朝に、筑紫の師から送られてきた、いわゆる「後朝の歌」と呼ばれるものです。
1度目の結婚で、残念な歌を送られてしまったため、また似たような歌が来るのではないかと不安に思っていた四の君でしたが、今度はちゃんと世間並に「あなたが恋しい」という内容の歌で、安心したようです。
ちなみに、四の君が面白の駒と結婚したのが14歳の時、翌年には女の子を出産しました。
そして、筑紫の師と再婚する時には、その子が12歳になっており、体裁が悪いので自分の妹として側に置いていたという裏話まで、この作品には細かく描写されています。
この作品が鎌倉時代まで加筆訂正されていた可能性はあるとしても、当時、女性が再婚する時に前夫との子供を実子として公にするのを憚られる風潮があったということが分かります。
時代性や、物語の世界観が垣間見える興味深いエピソードです。
なぜなら、自分の愛する女性のために、長年に渡って手の込んだ復讐をし続ける男性というのが、私には信じ難く、仇の中納言家に対して執念を燃やす男君からは、むしろ女性的発想を感じるのです。
第16位に選んだ歌からも分かるように、女性がされて嫌なことをこの物語の作者は知り尽くしているような気がします。
そういう女性ならではの感覚に、男性は疎いのではないかと思ってしまいます。
たいていの男性は鈍感だと言うつもりはありませんが、そういう部分を理解できる男性は本当に貴重な存在です。
また、一夫多妻が主流の時代において、主人公の落窪の君(女君)を一途に愛する男君は、彼氏または夫にするならまさに理想の男性そのものです。
なので、この作品の作者は、自分の理想の男性を夢見る女性が書いたか、もしくはそういう姉妹を持った男性なのかもしれません。
日常的に、姉妹から男性との関係について相談されていて、女性の気持ちをよく理解できるようになったとも考えられます。
[好きな和歌 落窪物語から 巻の四/筑紫の師]
☆第15位☆
逢ふことの ありその浜の 真砂をば
今日君思ふ かずにこそすれ
この歌は、新婚の夫から新妻に送られた歌ですが、第16位の歌と同じく、受け取ったのは中納言家の姫、四の君です。
面白の駒との1回目の結婚は子供こそできたものの、やはり、半ば騙されて夫婦になったこともあり、想いが通じ合うことなく、疎遠になってしまいました。
そんな四の君の異母姉にあたる落窪の君(女君)は、四の君の境遇を気の毒に思い、男君に誰か良い人を探して欲しいと頼みます。
そして、男君が見つけたのが身分も立派で人格者の筑紫の師です。
この歌は四の君と夫婦となった翌朝に、筑紫の師から送られてきた、いわゆる「後朝の歌」と呼ばれるものです。
1度目の結婚で、残念な歌を送られてしまったため、また似たような歌が来るのではないかと不安に思っていた四の君でしたが、今度はちゃんと世間並に「あなたが恋しい」という内容の歌で、安心したようです。
ちなみに、四の君が面白の駒と結婚したのが14歳の時、翌年には女の子を出産しました。
そして、筑紫の師と再婚する時には、その子が12歳になっており、体裁が悪いので自分の妹として側に置いていたという裏話まで、この作品には細かく描写されています。
この作品が鎌倉時代まで加筆訂正されていた可能性はあるとしても、当時、女性が再婚する時に前夫との子供を実子として公にするのを憚られる風潮があったということが分かります。
時代性や、物語の世界観が垣間見える興味深いエピソードです。
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