《ぼくたちの奉仕活動(原題:Role models)》(2008、アメリカ、ドイツ)は、主演俳優のポール・ラッドさんの話す英語のリズムが音楽のように耳に心地よくて、ちょっと英語が好きになれた映画です。
この映画の良いところは、シリアスなシーンなのに何故か笑えてくる。
もしくは、おちゃらけたシーンなのに、何故か笑えないキツさを感じるところです。
他人にとっては笑い話でも、当人にとっては深刻なことってありますよね。
それが、うまく表現されていると思います。
日本人にはちょっとシュールな笑いに感じるかもしれませんが、私は嫌いではありませんでした。
(下ネタやスラングが苦手な人には、ちょっとオススメできません…)
それから、観ていて居心地が悪くなるような間合い。
芸人さんが、お客さんを笑わそうとしてすべってしまった時のような、気まずい空気。
「みっともない」とか「いたたまれない」という言葉がぴったりですが、本人が図らずも陥ってしまうピンチ。
それを画面上に演出するテクニックが素晴らしいです。
観る者に何らかの感情、衝動を起こさせるものというのが、作品のあるべき姿だと思います。
それが、良い感情であるばかりではないし、悲しみや憤り、不快感すらもそれらが作品によって喚起されたのならば、その作品は成功していると言えると思います。(興行収入の話ではありません。。。)
もしかしたら、そういったネガティブなもの、居心地の悪さの描写は言葉で説明するよりは、画面で演出する方が易しいのかもしれません。
あまり、文章で目にする機会が少ないのですが、それを見事に成功させているのがゲーテJohann Wolfgang von Goethe(1749-1832)さんです。
彼の代表作《若いウェルテルの悩み(原題:Die Leiden des jungen Werthers)》(1774)、また《親和力(原題:Die Wahlverwandtschaften)》(1809)という小説があるのですが、それらの中に実によく演出された「居心地の悪さ」があります。
本当ならば、誰にも知られたくない恥ずかしい体験であり、人生の中で経験せずに済むならばそれに越したことはないそれらのこと。
作品からは削ってしまいたいくらいなのに、それを敢えて書き出す、書き表せる筆力。
私が言うまでもないことですが、文豪と呼ばれるに相応しい偉大な作家さんです。
さて、そのゲーテさん。モーツァルトWolfgang Amadeus Mozart(1756-1791)さんやベートーヴェンLudwig van Beethoven(1770-1827)さんより先に生まれ、彼らより後まで生きたご長寿さんです。
(モーツァルトさんは35歳没、ベートーヴェンさんは56歳没。)
音楽の時代区分でいえば、古典からロマン派前期への過渡期にあたり、彼自身、変化してゆく音楽の様相に戸惑いを隠せなかったようです。
ロマン派歌曲の開祖とも見なされ、「歌曲王」の異名を持つシューベルトFranz Schubert(1797-1828)さんが、ゲーテさんの詩に作曲した革新的な《魔王(Erlkonig)》D.328(1815)を、好きになれなかったというエピソードは有名です。
おそらく、ピアノの連打が激し過ぎてビビったのではないでしょうか(笑)
(私も、初めてロックバンドの人がステージ上でギターを叩き壊すパフォーマンスを見たときは、ビビりました…)
時期的にちょうど、(現在のものと比べて)貧弱な性能しかなかったピアノという楽器が、現在の形へと革新されようかという時でもあったので、この時期の作曲家さんたちはこぞって、この新しいピアノの可能性を探るべく、それまでにない音や音楽作りを模索したのです。
今では定番のアイドルの女の子たちが集団でするパフォーマンスも、流行り初めの頃は珍しく映ったものです。
お年寄りの人たちには、理解できない現象だったかもしれませんね。
私が勝手に推測するに、ゲーテさんが好んだ音楽の傾向は、それこそ上品なレースに縁どられた子供部屋で見る優しい夢の中でのみ聞くことのできる、耳に心地良いオルゴールの音楽なのであり、ベートーヴェンや他のロマン派の作曲家たちが音楽によって浮き彫りにした、生々しい人間の叫びやうめき声、たぎる情熱の迸りではなかったのではないでしょうか。
彼の価値観では、憤りや欲望などはポーカーフェイスの下に隠されていなければならず、それらそのものを音楽を使って露わにするという発想自体を理解できなかったのだと思います。
また、そういった音楽を聴くことによって、自身の感情を揺さぶられるのも、嫌だったのかもしれません。
言葉に、人の心に訴えかける力があるように、音楽にも人の心に作用する何かがあります。
日常の様々な場所で流される、何気ない音楽はそのことを証明しています。
ある音楽は人の購買意欲を掻き立て、ある音楽は人をリラックスさせ、あるいは人の注意を引きつけもします。
ゲーテさんは決して、音楽を聴く耳を持っていなかったわけではなく、音楽が人の心に作用する可能性をきちんと分かっていたと思います。
だからこそ、ロマン派の音楽に対してある種の居心地の悪さを感じもし、毛嫌いしたのです。
端的に言えば、肌が合わなかったのでしょう。
自分の趣味に合わない音楽を受け入れなかったからといって、彼の音楽に関する感覚や知識水準を過小評価する理由はありません。
音に敏感だからこそ、敬遠してしまう。
そんなゲーテさんだからこそ、人が感じる居心地の悪さを見事に言葉で表現することができたのでしょう。
この映画の良いところは、シリアスなシーンなのに何故か笑えてくる。
もしくは、おちゃらけたシーンなのに、何故か笑えないキツさを感じるところです。
他人にとっては笑い話でも、当人にとっては深刻なことってありますよね。
それが、うまく表現されていると思います。
日本人にはちょっとシュールな笑いに感じるかもしれませんが、私は嫌いではありませんでした。
(下ネタやスラングが苦手な人には、ちょっとオススメできません…)
それから、観ていて居心地が悪くなるような間合い。
芸人さんが、お客さんを笑わそうとしてすべってしまった時のような、気まずい空気。
「みっともない」とか「いたたまれない」という言葉がぴったりですが、本人が図らずも陥ってしまうピンチ。
それを画面上に演出するテクニックが素晴らしいです。
観る者に何らかの感情、衝動を起こさせるものというのが、作品のあるべき姿だと思います。
それが、良い感情であるばかりではないし、悲しみや憤り、不快感すらもそれらが作品によって喚起されたのならば、その作品は成功していると言えると思います。(興行収入の話ではありません。。。)
もしかしたら、そういったネガティブなもの、居心地の悪さの描写は言葉で説明するよりは、画面で演出する方が易しいのかもしれません。
あまり、文章で目にする機会が少ないのですが、それを見事に成功させているのがゲーテJohann Wolfgang von Goethe(1749-1832)さんです。
彼の代表作《若いウェルテルの悩み(原題:Die Leiden des jungen Werthers)》(1774)、また《親和力(原題:Die Wahlverwandtschaften)》(1809)という小説があるのですが、それらの中に実によく演出された「居心地の悪さ」があります。
本当ならば、誰にも知られたくない恥ずかしい体験であり、人生の中で経験せずに済むならばそれに越したことはないそれらのこと。
作品からは削ってしまいたいくらいなのに、それを敢えて書き出す、書き表せる筆力。
私が言うまでもないことですが、文豪と呼ばれるに相応しい偉大な作家さんです。
さて、そのゲーテさん。モーツァルトWolfgang Amadeus Mozart(1756-1791)さんやベートーヴェンLudwig van Beethoven(1770-1827)さんより先に生まれ、彼らより後まで生きたご長寿さんです。
(モーツァルトさんは35歳没、ベートーヴェンさんは56歳没。)
音楽の時代区分でいえば、古典からロマン派前期への過渡期にあたり、彼自身、変化してゆく音楽の様相に戸惑いを隠せなかったようです。
ロマン派歌曲の開祖とも見なされ、「歌曲王」の異名を持つシューベルトFranz Schubert(1797-1828)さんが、ゲーテさんの詩に作曲した革新的な《魔王(Erlkonig)》D.328(1815)を、好きになれなかったというエピソードは有名です。
おそらく、ピアノの連打が激し過ぎてビビったのではないでしょうか(笑)
(私も、初めてロックバンドの人がステージ上でギターを叩き壊すパフォーマンスを見たときは、ビビりました…)
時期的にちょうど、(現在のものと比べて)貧弱な性能しかなかったピアノという楽器が、現在の形へと革新されようかという時でもあったので、この時期の作曲家さんたちはこぞって、この新しいピアノの可能性を探るべく、それまでにない音や音楽作りを模索したのです。
今では定番のアイドルの女の子たちが集団でするパフォーマンスも、流行り初めの頃は珍しく映ったものです。
お年寄りの人たちには、理解できない現象だったかもしれませんね。
私が勝手に推測するに、ゲーテさんが好んだ音楽の傾向は、それこそ上品なレースに縁どられた子供部屋で見る優しい夢の中でのみ聞くことのできる、耳に心地良いオルゴールの音楽なのであり、ベートーヴェンや他のロマン派の作曲家たちが音楽によって浮き彫りにした、生々しい人間の叫びやうめき声、たぎる情熱の迸りではなかったのではないでしょうか。
彼の価値観では、憤りや欲望などはポーカーフェイスの下に隠されていなければならず、それらそのものを音楽を使って露わにするという発想自体を理解できなかったのだと思います。
また、そういった音楽を聴くことによって、自身の感情を揺さぶられるのも、嫌だったのかもしれません。
言葉に、人の心に訴えかける力があるように、音楽にも人の心に作用する何かがあります。
日常の様々な場所で流される、何気ない音楽はそのことを証明しています。
ある音楽は人の購買意欲を掻き立て、ある音楽は人をリラックスさせ、あるいは人の注意を引きつけもします。
ゲーテさんは決して、音楽を聴く耳を持っていなかったわけではなく、音楽が人の心に作用する可能性をきちんと分かっていたと思います。
だからこそ、ロマン派の音楽に対してある種の居心地の悪さを感じもし、毛嫌いしたのです。
端的に言えば、肌が合わなかったのでしょう。
自分の趣味に合わない音楽を受け入れなかったからといって、彼の音楽に関する感覚や知識水準を過小評価する理由はありません。
音に敏感だからこそ、敬遠してしまう。
そんなゲーテさんだからこそ、人が感じる居心地の悪さを見事に言葉で表現することができたのでしょう。
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