時には目食耳視も悪くない。

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ネガティブキャンペーンの思わぬ功績

2020年03月23日 | 本の林
 自分のとある行為が、意図したものとは違う結果になった、もしくは、それ以上の成果を上げたという経験がありますか?

 例えば、気に入らない相手を困らせてやろうと思ってした言動が思わぬ誘い水となって、世論を変えるような社会現象まで引き起こしてしまうとか。。。

 自分が想定していなかった注目の浴び方をして、なんとも居心地が悪くなったり、そんなはずじゃなかったのにと困惑したり、こんな結果になるのならば、やらなければよかったと後悔したり…。
 とかく、人生は思い通りにやすやすといかないものです。

 18世紀にヴェネツィアで活躍したベネデット・マルチェッロ(1686-1739)は、ライヴァルに対して行ったネガティブキャンペーンによって、後世の音楽学者のみならず、歴史や社会文化を研究する人たちに大いに貢献することになった功労者です。

 もっとも、本人にはそんなつもりは毛筋ほどもなかったと思います。
 彼の最大の功績は、そのネガティブキャンペーンが冊子の出版であったことにあると思います。

 その印刷物に書かれている内容から、300年近く経った今を生きる私たちにも、当時のヴェネツィアの人々の生活や、音楽が社会の中でどのような役割を果たしていたのかを知ることができるのです。

 コンビニには必ずコピー機がある現在と違い、印刷技術が一般的ではなく、高価であった時代に、誰かの評判を落とすためだけに冊子を出版するということを思うと、その行為の裏にあるマルチェッロのライヴァルに対する並々ならぬ憎しみのようなものを感じずにはいられません。

 では、そこまでの行為にマルチェッロを駆り立てたライヴァルとは誰なのでしょうか。
 実は、日本でその作曲家の曲と名前を知らない人はいないと言ってもいいくらい、有名な人です。

 彼の名前はアントニオ・ヴィヴァルディ(1678-1741)。
 テレビCMでBGMに使われることも多い、ストリングスアンサンブル「春」(《和声と創意の試み》作品8より第1番)を作曲した人です。

 日本では、義務教育の音楽の教科書に必ず登場するヴィヴァルディですが、一方、ベネデット・マルチェッロの名前は少し音楽に詳しい人でないと知らないのではないかと思います。
 この事実をマルチェッロが知ったならば、それこそ地団駄を踏んで悔しがることは想像に難くありません。

 なぜなら、貴族出身のマルチェッロは音楽学校で正統派の音楽教育を受け、自分こそが当代随一の大作曲家であるというプライドを持っていたからです。

 対するヴィヴァルディは床屋の息子で、音楽も独学で身につけたという、マルチェッロからしてみれば、「たたき上げの音楽芸人」なわけです。
 ヴィヴァルディを自分のライヴァルと見なすことも屈辱だと思っていたかもしれません。

 しかし、父親が劇場の共同経営者をしていた関係で、ヴィヴァルディは自分の作品を上演する機会に恵まれ、劇場の経営戦略と相まって、彼の作品と名前はマルチェッロを凌ぐものとなったのです。
 そして、それに我慢のならなかったマルチェッロが発行した冊子《当世流行劇場 IL TEATRO ALLA MODA》(1720)が今、私たちの手元に残されているのです。

 しかし、これも裏を返せば、ヴィヴァルディというライヴァルがいたからこその功績だなんて言ったら、堪忍袋の緒が切れたマルチェッロが、あの世から化けて出るかもしれません。

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