梅雨入りして早速、じめじめと雨が降り始めました。
この時期の日本の天候はバイオリンなどの木製の楽器を最悪の環境に晒してしまいます。
生の木を使っている楽器の天敵は直射日光や、高温多湿、極端な温度変化などです。
日本はヨーロッパに比べると、やはり湿度が高いので、夏の長雨には注意が必要です。
うっかり、ケースにしまいっぱなしにしておくと、カビが生えることもあるので、少し気を付けて手入れをしなければいけません。
普段、ケースにはしまわないピアノですが、大部分は木で作られているので、やはり部屋の温度や湿度には気を遣います。
雨の日には除湿器を一日中かけたりもします。
よく、映画やドラマなどで、バイオリンやチェロを川原や浜辺で弾いているシーンがありますが、楽器に当る日光や、砂埃、それに水辺の湿度のことを考えると、気が遠くなります(笑)
あくまで、フィクションの世界のお話ですから、あまり現実的に考えてはいけませんね。
かつて、結婚式場でバイオリンを弾く仕事をしていた時があるのですが、たいていはチャペル内で挙式をするのに、たまたまガーデン(屋外)で挙式をするカップルがいました。
とても陽射しの強い日で、しかも何も遮る屋根のようなものもない場所に挙式の間中いなければいけない状況になりました。
自分にあたる日光もさることながら、抱えている楽器がどんどん生温くなっていくのが分かり、楽器に何か異常が出たらどうしよう?と内心すごく焦りました。
バイオリンの場合、楽器一つ一つの音が違うので、買い換えれば済むという話ではありません(エレキバイオリンなら同じかも)。
まったく同じ音の楽器、同じ弾き心地の楽器を探すのが困難なので、使い慣れている楽器を失うことはかなりのダメージです。
(値段も安くはないですからね・・・)
さて、お金を貯めるには使わないことが一番の近道ですが、一方で、一度身につけた知識や、体得した技術を使わないでいると、次第に減っていってしまい、最終的には全くできなくなってしまいます。
今は漢字のテストで当たり前のように満点を取っている学生さんたち。安心して使わないでいると、あっという間に書けなくなり、読めなくなりますよ!
(今は書く機会もそんなにないのかな???)
勉強に限らず、ダンスや楽器演奏、体操やスポーツ、その他の技術をレベルを下げずに常に保つことは、本当に難しいことです。
大リーグで活躍しているイチロー選手は、チームとの契約金の額ではなく、自分のトレーニングが継続できる環境があるかどうかを重視すると、以前インタビューで話されていました。
気力があっても、体力が徐々に低下していく年齢にあって、なおトレーニングを続けることができる姿に、野球への深い情熱を感じます。
今季はもう試合に出場されないそうですが、彼の夢「50歳まで現役」が叶うといいなと心から願っています。
彼の夢が叶ったら、ハッピーに感じる人が沢山いると思いますし、そんなふうに多くの人をハッピーにできるイチロー選手は、唯一無二の存在だと思います。
彼と同じ時代に生まれて来られてハッピーです。
つい、「ハッピー」という言葉を連呼してしまいましたが、私にとっては「幸せ」という言葉より、「ハッピー」の方が、言葉にできない沢山の気持ちを表現してくれるような気がします。
それは、英語本来の「happy」とはまた違う感覚なのです。
言葉は使う人間によって様々な意味合いを持ちますし、使われる言葉によって話し手の人格が如実に表されてしまうものです。
イギリスの女王様が話す英語と、アメリカ合衆国の大統領が使う英語とでは、全く違う印象を抱かせるように。
また、言葉に対して抱くイメージは人によって千差万別です。
私がある種の思い入れを抱いて使う「ハッピー」という言葉に対して、他の人はなんて薄っぺらで軽い言葉なんだと感じるかもしれません。
それは仕方のないことです。他人の感覚を支配することはできません。誤解を生まないように使う言葉が、かえって修復のできない溝を作ってしまうなんてことは、よくあることです。
一人一人、違う考えを持つ人間が、それぞれ言葉を使うのですから、この世には人の数だけ言語が存在すると言っても過言ではないのかもしれません。(いや、そりゃ言い過ぎだよ・・・)
いずれにしろ、言葉は人間が分かりあうために必要なものであり、同時に余計な物でもあり得るのだと思います。
そんなふうに、掴みどころのない言語の形態が(まるで生き物の観察をしているようで)、私は好きです。
ところで、言葉は使われるうちに、そのイメージが一人歩きしてしまい、言葉本来の意味とはかけ離れた意味で使われるようになる場合もあります。
例えば、古い考えややり方に固執して、新しい事物に順応できない人のことを、旧態依然というような意味で「アナログ人間」と言ったりします。
しかし、この「アナログ」という言葉自体には「古い」とか「遅れた」という意味はありません。
アナログ方式とは、ずらっと並んだ文字列で物事を提示する方法のことです。
時計で言えば、1から12までの数字が書かれた文字盤を使って、長針と短針で時間を示すのがアナログ方式です。
表示される情報量が多いので、なんとなくコンパクトではない印象を抱かせ、そこから人の頭の中で言葉の意味が変換されていったのでしょう。
「アナログ方式→数字が沢山→なんかスマートじゃない→ダサい→古臭い」という風に。
個人的には、アナログ時計の方が分かりやすくていいと思いますが。。。
それに、デジタル時計の方が、液晶がダメになると使えなくなるのが早いですし、修理してもらえないことの方が多いので、よっぽど不便でエコじゃないと思います。
アナログが必ずしも「古くてダサい」わけではありませんし、そもそも「古いこと」はそんなに悪いこととも思えないのですが、一般的にはどうなのでしょうか。
さておき、前述の言葉の意味で考えると、私はどちらかというと「アナログ人間」です。
一度気に入った物は、世間の流行とは関係なく使い続けますし、何か新しいことを始める時も、できるだけ今ある物を活用できないか考えたりします。
ですから、パソコンのOSが常に更新していくことが、私にはストレスです。
それをしないと使えなくなる恐れもあるので、仕方ないことなのかもしれませんが、更新以前の方が使いやすかったのに!と舌打ちすることも珍しくありません。
一度慣れた使用環境が変化してしまうことをストレスに感じるのも「アナログ人間」としての特徴なのかもしれません。
そんな私が、最近、とうとうガラケーからスマホにしました。
今まで、10年以上も同じ機種のガラケーを使っていましたし、学生のころから携帯電話会社を変えたこともありませんでした。
その会社のサービスに不満があったわけでもありませんし、わざわざ変える必要性も感じなかったので、変えませんでした。
思えば、スマホが出回り始めた時、たまたま、その契約している会社の代理店に行ったら、携帯電話のユーザーにはもう興味がないというような素っ気ない対応をされて、少なからずショックを受けた記憶があります。
その店員さんにしてみれば、店の売り上げのためにはスマホに買い替えるお客さんの方がありがたかったのかもしれませんが、その時点で私はその携帯電話会社を何年も使い続けていた、いわば「お得意様」じゃないの?と内心私は不満に思ったのです。(口には出しませんでしたが。。。)
また、同時に、スマホに乗り換えない自分は、時の流れに置いて行かれた感をひしひしと身に覚えたのです。
それでも、使っていたガラケーの機種がお気に入りだったので、使えるうちは使いたくて、スマホにする気持ちにはなれませんでした。
それから時がたち、現在、さすがに携帯電話が突然壊れたら、仕事に支障をきたすかもしれないと思い、スマホにしようと決心したのです。
それまで、スマホに関する情報が皆無だった私は、早速、インターネットを駆使して、一番安上がりで、丈夫で長持ちする機種を探し求めました。
そして、ある格安スマホにしようと、代理店らしきところへ行きました。すると、今度は素っ気ないどころか、受付がいっぱいで新規の対応ができない、とのこと。。。
仕方ないので、とぼとぼ家に帰って、自宅のパソコンから申し込みをして、前の電話会社から新しい会社に切り換える手続きも、新しい機種の設定も、いろいろ調べながら自分でやりましたよ。。。
かなり面倒でしたよ。
私の心の叫び→「昔は、お店の人が全部やってくれたよね???」
自分でやるの面倒だから、お店に行ったのにぃ(涙)無駄足。。。
新しい物を導入するために骨を折ることは、アナログなことなのか、新しいことなのか、よく分からなくなりました。
まあ、自分が進んでいると思ったり、新しいと思ったりすること自体が錯覚で、物事は常に変わり続けていて、人間はその変化の中で翻弄されているだけにすぎないのかもしれませんけどね。
この時期の日本の天候はバイオリンなどの木製の楽器を最悪の環境に晒してしまいます。
生の木を使っている楽器の天敵は直射日光や、高温多湿、極端な温度変化などです。
日本はヨーロッパに比べると、やはり湿度が高いので、夏の長雨には注意が必要です。
うっかり、ケースにしまいっぱなしにしておくと、カビが生えることもあるので、少し気を付けて手入れをしなければいけません。
普段、ケースにはしまわないピアノですが、大部分は木で作られているので、やはり部屋の温度や湿度には気を遣います。
雨の日には除湿器を一日中かけたりもします。
よく、映画やドラマなどで、バイオリンやチェロを川原や浜辺で弾いているシーンがありますが、楽器に当る日光や、砂埃、それに水辺の湿度のことを考えると、気が遠くなります(笑)
あくまで、フィクションの世界のお話ですから、あまり現実的に考えてはいけませんね。
かつて、結婚式場でバイオリンを弾く仕事をしていた時があるのですが、たいていはチャペル内で挙式をするのに、たまたまガーデン(屋外)で挙式をするカップルがいました。
とても陽射しの強い日で、しかも何も遮る屋根のようなものもない場所に挙式の間中いなければいけない状況になりました。
自分にあたる日光もさることながら、抱えている楽器がどんどん生温くなっていくのが分かり、楽器に何か異常が出たらどうしよう?と内心すごく焦りました。
バイオリンの場合、楽器一つ一つの音が違うので、買い換えれば済むという話ではありません(エレキバイオリンなら同じかも)。
まったく同じ音の楽器、同じ弾き心地の楽器を探すのが困難なので、使い慣れている楽器を失うことはかなりのダメージです。
(値段も安くはないですからね・・・)
さて、お金を貯めるには使わないことが一番の近道ですが、一方で、一度身につけた知識や、体得した技術を使わないでいると、次第に減っていってしまい、最終的には全くできなくなってしまいます。
今は漢字のテストで当たり前のように満点を取っている学生さんたち。安心して使わないでいると、あっという間に書けなくなり、読めなくなりますよ!
(今は書く機会もそんなにないのかな???)
勉強に限らず、ダンスや楽器演奏、体操やスポーツ、その他の技術をレベルを下げずに常に保つことは、本当に難しいことです。
大リーグで活躍しているイチロー選手は、チームとの契約金の額ではなく、自分のトレーニングが継続できる環境があるかどうかを重視すると、以前インタビューで話されていました。
気力があっても、体力が徐々に低下していく年齢にあって、なおトレーニングを続けることができる姿に、野球への深い情熱を感じます。
今季はもう試合に出場されないそうですが、彼の夢「50歳まで現役」が叶うといいなと心から願っています。
彼の夢が叶ったら、ハッピーに感じる人が沢山いると思いますし、そんなふうに多くの人をハッピーにできるイチロー選手は、唯一無二の存在だと思います。
彼と同じ時代に生まれて来られてハッピーです。
つい、「ハッピー」という言葉を連呼してしまいましたが、私にとっては「幸せ」という言葉より、「ハッピー」の方が、言葉にできない沢山の気持ちを表現してくれるような気がします。
それは、英語本来の「happy」とはまた違う感覚なのです。
言葉は使う人間によって様々な意味合いを持ちますし、使われる言葉によって話し手の人格が如実に表されてしまうものです。
イギリスの女王様が話す英語と、アメリカ合衆国の大統領が使う英語とでは、全く違う印象を抱かせるように。
また、言葉に対して抱くイメージは人によって千差万別です。
私がある種の思い入れを抱いて使う「ハッピー」という言葉に対して、他の人はなんて薄っぺらで軽い言葉なんだと感じるかもしれません。
それは仕方のないことです。他人の感覚を支配することはできません。誤解を生まないように使う言葉が、かえって修復のできない溝を作ってしまうなんてことは、よくあることです。
一人一人、違う考えを持つ人間が、それぞれ言葉を使うのですから、この世には人の数だけ言語が存在すると言っても過言ではないのかもしれません。(いや、そりゃ言い過ぎだよ・・・)
いずれにしろ、言葉は人間が分かりあうために必要なものであり、同時に余計な物でもあり得るのだと思います。
そんなふうに、掴みどころのない言語の形態が(まるで生き物の観察をしているようで)、私は好きです。
ところで、言葉は使われるうちに、そのイメージが一人歩きしてしまい、言葉本来の意味とはかけ離れた意味で使われるようになる場合もあります。
例えば、古い考えややり方に固執して、新しい事物に順応できない人のことを、旧態依然というような意味で「アナログ人間」と言ったりします。
しかし、この「アナログ」という言葉自体には「古い」とか「遅れた」という意味はありません。
アナログ方式とは、ずらっと並んだ文字列で物事を提示する方法のことです。
時計で言えば、1から12までの数字が書かれた文字盤を使って、長針と短針で時間を示すのがアナログ方式です。
表示される情報量が多いので、なんとなくコンパクトではない印象を抱かせ、そこから人の頭の中で言葉の意味が変換されていったのでしょう。
「アナログ方式→数字が沢山→なんかスマートじゃない→ダサい→古臭い」という風に。
個人的には、アナログ時計の方が分かりやすくていいと思いますが。。。
それに、デジタル時計の方が、液晶がダメになると使えなくなるのが早いですし、修理してもらえないことの方が多いので、よっぽど不便でエコじゃないと思います。
アナログが必ずしも「古くてダサい」わけではありませんし、そもそも「古いこと」はそんなに悪いこととも思えないのですが、一般的にはどうなのでしょうか。
さておき、前述の言葉の意味で考えると、私はどちらかというと「アナログ人間」です。
一度気に入った物は、世間の流行とは関係なく使い続けますし、何か新しいことを始める時も、できるだけ今ある物を活用できないか考えたりします。
ですから、パソコンのOSが常に更新していくことが、私にはストレスです。
それをしないと使えなくなる恐れもあるので、仕方ないことなのかもしれませんが、更新以前の方が使いやすかったのに!と舌打ちすることも珍しくありません。
一度慣れた使用環境が変化してしまうことをストレスに感じるのも「アナログ人間」としての特徴なのかもしれません。
そんな私が、最近、とうとうガラケーからスマホにしました。
今まで、10年以上も同じ機種のガラケーを使っていましたし、学生のころから携帯電話会社を変えたこともありませんでした。
その会社のサービスに不満があったわけでもありませんし、わざわざ変える必要性も感じなかったので、変えませんでした。
思えば、スマホが出回り始めた時、たまたま、その契約している会社の代理店に行ったら、携帯電話のユーザーにはもう興味がないというような素っ気ない対応をされて、少なからずショックを受けた記憶があります。
その店員さんにしてみれば、店の売り上げのためにはスマホに買い替えるお客さんの方がありがたかったのかもしれませんが、その時点で私はその携帯電話会社を何年も使い続けていた、いわば「お得意様」じゃないの?と内心私は不満に思ったのです。(口には出しませんでしたが。。。)
また、同時に、スマホに乗り換えない自分は、時の流れに置いて行かれた感をひしひしと身に覚えたのです。
それでも、使っていたガラケーの機種がお気に入りだったので、使えるうちは使いたくて、スマホにする気持ちにはなれませんでした。
それから時がたち、現在、さすがに携帯電話が突然壊れたら、仕事に支障をきたすかもしれないと思い、スマホにしようと決心したのです。
それまで、スマホに関する情報が皆無だった私は、早速、インターネットを駆使して、一番安上がりで、丈夫で長持ちする機種を探し求めました。
そして、ある格安スマホにしようと、代理店らしきところへ行きました。すると、今度は素っ気ないどころか、受付がいっぱいで新規の対応ができない、とのこと。。。
仕方ないので、とぼとぼ家に帰って、自宅のパソコンから申し込みをして、前の電話会社から新しい会社に切り換える手続きも、新しい機種の設定も、いろいろ調べながら自分でやりましたよ。。。
かなり面倒でしたよ。
私の心の叫び→「昔は、お店の人が全部やってくれたよね???」
自分でやるの面倒だから、お店に行ったのにぃ(涙)無駄足。。。
新しい物を導入するために骨を折ることは、アナログなことなのか、新しいことなのか、よく分からなくなりました。
まあ、自分が進んでいると思ったり、新しいと思ったりすること自体が錯覚で、物事は常に変わり続けていて、人間はその変化の中で翻弄されているだけにすぎないのかもしれませんけどね。
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