外国語のリスニング学習のために、時々YOUTUBE動画を見ます。
外国の方がアップしている動画でも、日本語の字幕が付いているものもありますし、自動で字幕が付く機能(ただし、かなりいい加減。)もあります。
一度では分からなくても、気軽に何回も繰り返し見られるのがYOUTUBEの良いところです。
さて、先日見た動画は日系4世のアメリカ人青年たちが、日本とアメリカの社会や伝統、文化について話しているものでした。
動画タイトル《日系アメリカ人に質問!価値観?差別?苦悩?日系アメリカ人ならではの視点!》
アップ主さん:「Yusuke NYブログ」
※興味があったら検索してみて下さい。
この中で、日系4世の青年の母親は、自分自身が日本人の名前であるためにアメリカ社会でイジメを受けた経験から、自分の子供にはアメリカ人の名前を付けたと言うのです。(ミドルネームは日本名。)
この動画を見ながら、私はなんだかやりきれない気持ちになりました。
アメリカ社会の中での「日本」という概念の扱われ方についてもそうですが、むしろ、子供の名づけ方に対する親の考え方についてです。
(ここからは私の個人的な愚痴になるので、読んでいて不愉快になられる方もいると思います。あらかじめ警告しておきます。笑)
私は生粋の日本人です。もちろん、両親も日本人です。
私の名前は変わった漢字を使うわけではありませんが、読み方が微妙に難しく、よく「なんて読むの?」と聞かれます。
そして、「ん」という文字が入っているので、名前全体を発音すると「ん」が他の文字の響きに吸収されてしまって聞き取りづらいのか、口頭で言っても何回も聞き返されます。
ひらがなで書いてみせるのが一番の解決法ですが、電話では使えません。
そういう時には、「サシスセソのサ・・・」というふうに文字を1つ1つ説明しないと十中八九正しく伝わりません。
名前全体の響きも、外国人のようにも思えますし、通常、日本人が人名には使わない別の言葉を連想させるので、実際に耳にすると腑に落ちなくて、聞き返してしまうようです。
「は?マジで?聞き間違いじゃないよね?」という感じで。
正しく聞き取れていても、「それが名前なの?」という反応をされるのです。
いわゆる、DQNネームだと感じる人もいると思います。
子供の頃には、私の名前を聞くとクスクス笑ったり、吹き出す人もいました。
さすがに今はあからさまにそんな反応を示す人はいませんし、「素敵な名前ですね」と言ってくれる人も(ごくたまに)います。
最近では諦めて、公的な書類など絶対に間違ってはいけない手続きの場合以外では、相手が間違って名前を読んだり、聞き間違っても訂正しなくなりました。
いちいち説明したり訂正するのは精神的に疲れますし、いい加減そんな自分の名前に愛想が尽きているので、正しく呼ばれようが呼ばれまいが、個体識別ができていればいいや、くらいにしか思えません。
自分でもウンザリする名前を、いちいち説明しなければ分かってもらえないこと、そして何度も説明しなければならないことは、かなりのストレスです。
これは、実際に変な名前を付けられた人でないと分からないことかもしれません。
私は子供の頃から、自分の名前が嫌いでした。
今でこそ、かなり自由なお子さんの名前を目にしますが、私が生まれた約40年前では、私のような名前は嘲笑の対象でしかありませんでした。(と私は感じています。)
学校では、同級生から変な名前だからと仲間はずれにされ(軽いイジメですね)、周囲の大人たちからは「名前負けしている。名前に恥じない人間にならないといけない。」というようなことを言われました。
「こういう名前だから、こう生きなくてはいけない」というルールがどこにあるのでしょうか。
親が勝手につけた名前のせいで、(非行に走っているわけでもないのに)自分の生き方を云々される謂れはないと、私は子供心にずっと思っていました。(口には出さなかったけれど・・・)
「親は親だからエライ。子供は親に逆らってはいけない。」という考えの両親でしたし、男尊女卑+年功序列が徹底している家族だったので、末っ子の女児である私の気持ちを聞いてもらえたことはありません。
私の進路も職業も親が決めました。
もちろん、親の言いなりになるばかりではなく、自分の望みを何度も主張しました。
「こんな名前は嫌だ。」
「親の選んだ業種以外の勉強がしたい。」
「大学は自分の勉強したいことができるところへ行きたい。」
しかし、これらの主張は全部私の「ワガママ」の一言で片づけられ、まるで相手にされませんでした。
それどころか、親に逆らうならば家から出ていくように脅されたこともあります。
未成年で、社会的に頼るすべを何も持たない人間が、ある日突然、家を出て一人で生活して行けるのでしょうか。
できる人もいるのかもしれませんが、私には無理でした。
そして、人生のほとんどの選択を親に決められた今の私がいるのです。
やりたくないことを仕事としてやっていくしかない人生、しかも、生計を立てるのが厳しい業種(自営)です。
もしも、自分で選んだ人生ならば、どんなに経済的に苦しくても希望を持って頑張れるのかもしれません。
けれども、今現在、私は親の言いなりの人生から抜け出せない自分の存在が、つまらないものに思えますし、それなりに努力して生きてきた30数年間を誇りには思えません。
今月は自分の誕生日があるのですが、祝う気にもなりません。(まあ、この歳になれば祝う人の方が少ないかも・・・)
これだけ、嫌な思いをしてきているのに、報われることの少ない人生なんて本当に面白くないと感じます。
幸せってなんなんでしょうね。
(昔、そんなすっぱい酸っぱいしょうゆのCMがありましたね。ピンときたあなたはミドルエイジ!笑)
愚痴り過ぎて、話が逸れました(笑)
ちなみに、15歳以上であれば、法的に改名することが可能です。
ですので、いろいろな条件と面倒な手続きをクリアすれば、私も今からでも改名することはできます。
でも、私が言いたいことはそんなことではありません。
子供が将来つらい思いをするかもしれないと思って子供の名前を考える親もいれば、一方では子供をまるで自分の所有物かのように思って、子供の人生にはまるで考えが及ばずに、ただ自分たちの自尊心を満足させるために、好き勝手な名前をつける親もいるということなのです。
私はこの動画を見て、青年の幸せを願う親の心からの愛情に感動しましたし、逆に自分たちの価値観以外を一切受け入れようとしない自分の親を思って、やりきれなくなったのです。
これから、お子さんの名前を付けようとしている親御さんがもし、これを読んでいたら(こんなの読まないかな・・・)、どうか、お子さんの立場に立って、自分がその名前だったらどんな人生になるだろうか、どんな気持ちになるだろうか、ということを真剣に考えて、お子さんの名前を決めていただきたいです。
たかが名前と思うかもしれませんが、人によっては私みたいに大人になっても割り切れない気持ちを抱え続けることになるのですから。
誕生日を喜べない人生なんて、冷蔵庫にしまい忘れてカビの浮いた醬油みたいなものですよ(?)
外国の方がアップしている動画でも、日本語の字幕が付いているものもありますし、自動で字幕が付く機能(ただし、かなりいい加減。)もあります。
一度では分からなくても、気軽に何回も繰り返し見られるのがYOUTUBEの良いところです。
さて、先日見た動画は日系4世のアメリカ人青年たちが、日本とアメリカの社会や伝統、文化について話しているものでした。
動画タイトル《日系アメリカ人に質問!価値観?差別?苦悩?日系アメリカ人ならではの視点!》
アップ主さん:「Yusuke NYブログ」
※興味があったら検索してみて下さい。
この中で、日系4世の青年の母親は、自分自身が日本人の名前であるためにアメリカ社会でイジメを受けた経験から、自分の子供にはアメリカ人の名前を付けたと言うのです。(ミドルネームは日本名。)
この動画を見ながら、私はなんだかやりきれない気持ちになりました。
アメリカ社会の中での「日本」という概念の扱われ方についてもそうですが、むしろ、子供の名づけ方に対する親の考え方についてです。
(ここからは私の個人的な愚痴になるので、読んでいて不愉快になられる方もいると思います。あらかじめ警告しておきます。笑)
私は生粋の日本人です。もちろん、両親も日本人です。
私の名前は変わった漢字を使うわけではありませんが、読み方が微妙に難しく、よく「なんて読むの?」と聞かれます。
そして、「ん」という文字が入っているので、名前全体を発音すると「ん」が他の文字の響きに吸収されてしまって聞き取りづらいのか、口頭で言っても何回も聞き返されます。
ひらがなで書いてみせるのが一番の解決法ですが、電話では使えません。
そういう時には、「サシスセソのサ・・・」というふうに文字を1つ1つ説明しないと十中八九正しく伝わりません。
名前全体の響きも、外国人のようにも思えますし、通常、日本人が人名には使わない別の言葉を連想させるので、実際に耳にすると腑に落ちなくて、聞き返してしまうようです。
「は?マジで?聞き間違いじゃないよね?」という感じで。
正しく聞き取れていても、「それが名前なの?」という反応をされるのです。
いわゆる、DQNネームだと感じる人もいると思います。
子供の頃には、私の名前を聞くとクスクス笑ったり、吹き出す人もいました。
さすがに今はあからさまにそんな反応を示す人はいませんし、「素敵な名前ですね」と言ってくれる人も(ごくたまに)います。
最近では諦めて、公的な書類など絶対に間違ってはいけない手続きの場合以外では、相手が間違って名前を読んだり、聞き間違っても訂正しなくなりました。
いちいち説明したり訂正するのは精神的に疲れますし、いい加減そんな自分の名前に愛想が尽きているので、正しく呼ばれようが呼ばれまいが、個体識別ができていればいいや、くらいにしか思えません。
自分でもウンザリする名前を、いちいち説明しなければ分かってもらえないこと、そして何度も説明しなければならないことは、かなりのストレスです。
これは、実際に変な名前を付けられた人でないと分からないことかもしれません。
私は子供の頃から、自分の名前が嫌いでした。
今でこそ、かなり自由なお子さんの名前を目にしますが、私が生まれた約40年前では、私のような名前は嘲笑の対象でしかありませんでした。(と私は感じています。)
学校では、同級生から変な名前だからと仲間はずれにされ(軽いイジメですね)、周囲の大人たちからは「名前負けしている。名前に恥じない人間にならないといけない。」というようなことを言われました。
「こういう名前だから、こう生きなくてはいけない」というルールがどこにあるのでしょうか。
親が勝手につけた名前のせいで、(非行に走っているわけでもないのに)自分の生き方を云々される謂れはないと、私は子供心にずっと思っていました。(口には出さなかったけれど・・・)
「親は親だからエライ。子供は親に逆らってはいけない。」という考えの両親でしたし、男尊女卑+年功序列が徹底している家族だったので、末っ子の女児である私の気持ちを聞いてもらえたことはありません。
私の進路も職業も親が決めました。
もちろん、親の言いなりになるばかりではなく、自分の望みを何度も主張しました。
「こんな名前は嫌だ。」
「親の選んだ業種以外の勉強がしたい。」
「大学は自分の勉強したいことができるところへ行きたい。」
しかし、これらの主張は全部私の「ワガママ」の一言で片づけられ、まるで相手にされませんでした。
それどころか、親に逆らうならば家から出ていくように脅されたこともあります。
未成年で、社会的に頼るすべを何も持たない人間が、ある日突然、家を出て一人で生活して行けるのでしょうか。
できる人もいるのかもしれませんが、私には無理でした。
そして、人生のほとんどの選択を親に決められた今の私がいるのです。
やりたくないことを仕事としてやっていくしかない人生、しかも、生計を立てるのが厳しい業種(自営)です。
もしも、自分で選んだ人生ならば、どんなに経済的に苦しくても希望を持って頑張れるのかもしれません。
けれども、今現在、私は親の言いなりの人生から抜け出せない自分の存在が、つまらないものに思えますし、それなりに努力して生きてきた30数年間を誇りには思えません。
今月は自分の誕生日があるのですが、祝う気にもなりません。(まあ、この歳になれば祝う人の方が少ないかも・・・)
これだけ、嫌な思いをしてきているのに、報われることの少ない人生なんて本当に面白くないと感じます。
幸せってなんなんでしょうね。
(昔、そんなすっぱい酸っぱいしょうゆのCMがありましたね。ピンときたあなたはミドルエイジ!笑)
愚痴り過ぎて、話が逸れました(笑)
ちなみに、15歳以上であれば、法的に改名することが可能です。
ですので、いろいろな条件と面倒な手続きをクリアすれば、私も今からでも改名することはできます。
でも、私が言いたいことはそんなことではありません。
子供が将来つらい思いをするかもしれないと思って子供の名前を考える親もいれば、一方では子供をまるで自分の所有物かのように思って、子供の人生にはまるで考えが及ばずに、ただ自分たちの自尊心を満足させるために、好き勝手な名前をつける親もいるということなのです。
私はこの動画を見て、青年の幸せを願う親の心からの愛情に感動しましたし、逆に自分たちの価値観以外を一切受け入れようとしない自分の親を思って、やりきれなくなったのです。
これから、お子さんの名前を付けようとしている親御さんがもし、これを読んでいたら(こんなの読まないかな・・・)、どうか、お子さんの立場に立って、自分がその名前だったらどんな人生になるだろうか、どんな気持ちになるだろうか、ということを真剣に考えて、お子さんの名前を決めていただきたいです。
たかが名前と思うかもしれませんが、人によっては私みたいに大人になっても割り切れない気持ちを抱え続けることになるのですから。
誕生日を喜べない人生なんて、冷蔵庫にしまい忘れてカビの浮いた醬油みたいなものですよ(?)
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