ちょっと前に、日本のタレントさんがある番組の中で、黒人さんを彷彿とさせるような扮装をして笑いをとったことが、インターネット上で人種差別ではないか?と指摘され、それに対して「全然、差別ではない」とか「そんなことを言う方が差別だ」などと、様々な意見が飛び交っています。
私自身はその番組を見ていないので、偉そうなことは言えませんが、この記事を目にしてすぐに頭に浮かんだのが、「ミンストレル音楽」です。
詳しくはウィキペディアでも見ていただきたいのですが、「ミンストレル音楽」とは、19世紀後半のアメリカで大人気になった寸劇のことで、白人さんたちが顔を黒塗りにして、黒人さんたちを面白おかしく演じるショーだったんですよね。
このショーには、白人さんたちが自分たちの立場が黒人さんたちより上だと意識した上で、黒人さんたちを馬鹿にして、笑い者にするという意図が明確に含まれていましたので、「差別だ!」と言われるのは当然だと思います。
では、問題となった番組はどうだったのでしょうか?(もしかしたら、差別だと指摘した方も「ミンストレル音楽」を念頭に置いたのかも???)
その画面から、日本人が黒人さんを見下しているような印象を受けるのでしょうか?
確かに、もともと肌の色が黒くない人間が、突然顔面を真っ黒に塗っているのを見たら、ほとんどの日本人は笑ってしまうでしょう。
でも、それは肌の黒い人間のことを笑っているのではないのです。
肌が黄色い私たち日本人は、単純に「黒いこと」が可笑しいのです。
例えば、ある男性歌手(M崎Sげるさん)が日本人なのに、ありえないくらい肌が焼けているというだけで、日本では興味の対象となり得てしまうのです。
他の国でなら、そのくらいの肌の色はほとんど気にもされないことだってあるのに。。。
しかし、島国で、ほぼ単一民族しかいない日本で生まれ育ってきた日本人には、自分たちと違うことを面白がる習性が身に沁みついているのでしょう。
その習性がエスカレートすると、学校などでのイジメにつながるとは思うのですが、基本的に「違いを認めること」は悪いことではないと私は思います。
「十人十色」という言葉があるように、私たちはそれぞれ違うのです。好みも性格も考え方も全く同じ人間なんていないでしょう。
「お互いの違いを認めること」と「相手を蔑視すること」は違います。
そもそも、別の人種の人が他の人種の人の特徴を強調して、少し大げさに表現することは、映画やドラマではよくあることじゃないかと思うのです。
外国の映画やドラマに出てくる日本人は、実際の日本人とは全然違う印象を受けますし、使われる舞台セットも純日本というよりは、中国や他の東南アジアの文化がごちゃ混ぜだったりするではないですか。
それは、作り手の外国人が日本に抱いている勝手なイメージを画面に演出しているわけで、日本や日本人のことを忠実に再現しようとしているわけではないということなのです。
だから、彼らは現代の日本に武士や忍者が登場しても、ちっとも違和感を抱かないし、時代劇に出てくる小料理屋のお運びさんと芸者さんと遊郭の花魁さんの区別ができないのです。
そのことについて、私たち日本人も「日本に対する偏見だ!」とか「間違った理解をされて、不当に差別されている!」とか言わないですよね?(言ってる人いるのかなぁ…???)
「あーあ。日本について一部分の知識しかない外国の人が、また日本を誤解してるよ…」くらいには思うかもしれませんが。
だって、そうした外国人のアーティストの多くは、自分たちと違う文化を持つ日本を面白いと思い、その違いを楽しんでいるだけなのですから。
そこには、日本を蔑視したり、馬鹿にしようという意図はありません。(多分。笑)
問題となった番組を作った人たちも、笑いを生み出すために、私たちが普段目にしているありふれたものとの「違い」を演出しようとしたのであって、特定の人種の人を差別しようという意図はなかったと思います。
実際、今の日本では、人種差別より男女差別であったり、貧富や学歴、障害の有無による差別(=いじめ)の方が深刻なのではないでしょうか?
日本人にとっては、黒人さんも白人さんも同じ「異国の人(→日本人ではない)」ですもの。
戦国時代に、戦国武将・織田信長(1534-1582)さんが黒人さんを武士として(奴隷ではなく)身近に置いていたのは有名なお話ですし。
外国語が苦手な日本人ならではの気後れはあっても、街で黒人さんを見かけた時にあからさまに差別的な行動をとる日本人なんて、いないんじゃないかと楽観主義の私は思うのですが、実際はどうなのでしょう。
白人の人たちに限って言えば、彼らは歴史的に黒人さんたちを差別してきたという事実があるので、黒人さんと接する時に、望むと望まざるとに関わらず、より神経質にならざるを得ないのかもしれませんね。
その直接の原因は過去の出来事であって、別に今を生きる彼らに責任のあることではないのに、黒人である、あるいは白人であるがゆえに、自動的に「差別」という憂鬱な問題と直面しなきゃいけないのは、ちょっと気の毒に思います。
いわば、過去の負の遺産に縛られているわけですから。
本当に、私たち地球人は未来世代のことを考えて行動すべきだと、つくづく思います。
差別をなくす第一歩は、相手を正しく理解することからです。
私たちは皆それぞれ違っています。
お互いの違いを批判するのではなく、認め合い、楽しめるような関係になれたら素晴らしいですね。
とはいえ、昔から交流のある中国や韓国の人に対しては、しばしば日本の人が差別的な言動をして国際問題になったりしています。
(国際社会において、その影響力や役割を問われる立場の先進国の人間がとる賢い行動とは思えないですね。)
未来の日本のためにも、世界平和のためにも、世の中から差別が無くなることを願ってやみません。
私自身はその番組を見ていないので、偉そうなことは言えませんが、この記事を目にしてすぐに頭に浮かんだのが、「ミンストレル音楽」です。
詳しくはウィキペディアでも見ていただきたいのですが、「ミンストレル音楽」とは、19世紀後半のアメリカで大人気になった寸劇のことで、白人さんたちが顔を黒塗りにして、黒人さんたちを面白おかしく演じるショーだったんですよね。
このショーには、白人さんたちが自分たちの立場が黒人さんたちより上だと意識した上で、黒人さんたちを馬鹿にして、笑い者にするという意図が明確に含まれていましたので、「差別だ!」と言われるのは当然だと思います。
では、問題となった番組はどうだったのでしょうか?(もしかしたら、差別だと指摘した方も「ミンストレル音楽」を念頭に置いたのかも???)
その画面から、日本人が黒人さんを見下しているような印象を受けるのでしょうか?
確かに、もともと肌の色が黒くない人間が、突然顔面を真っ黒に塗っているのを見たら、ほとんどの日本人は笑ってしまうでしょう。
でも、それは肌の黒い人間のことを笑っているのではないのです。
肌が黄色い私たち日本人は、単純に「黒いこと」が可笑しいのです。
例えば、ある男性歌手(M崎Sげるさん)が日本人なのに、ありえないくらい肌が焼けているというだけで、日本では興味の対象となり得てしまうのです。
他の国でなら、そのくらいの肌の色はほとんど気にもされないことだってあるのに。。。
しかし、島国で、ほぼ単一民族しかいない日本で生まれ育ってきた日本人には、自分たちと違うことを面白がる習性が身に沁みついているのでしょう。
その習性がエスカレートすると、学校などでのイジメにつながるとは思うのですが、基本的に「違いを認めること」は悪いことではないと私は思います。
「十人十色」という言葉があるように、私たちはそれぞれ違うのです。好みも性格も考え方も全く同じ人間なんていないでしょう。
「お互いの違いを認めること」と「相手を蔑視すること」は違います。
そもそも、別の人種の人が他の人種の人の特徴を強調して、少し大げさに表現することは、映画やドラマではよくあることじゃないかと思うのです。
外国の映画やドラマに出てくる日本人は、実際の日本人とは全然違う印象を受けますし、使われる舞台セットも純日本というよりは、中国や他の東南アジアの文化がごちゃ混ぜだったりするではないですか。
それは、作り手の外国人が日本に抱いている勝手なイメージを画面に演出しているわけで、日本や日本人のことを忠実に再現しようとしているわけではないということなのです。
だから、彼らは現代の日本に武士や忍者が登場しても、ちっとも違和感を抱かないし、時代劇に出てくる小料理屋のお運びさんと芸者さんと遊郭の花魁さんの区別ができないのです。
そのことについて、私たち日本人も「日本に対する偏見だ!」とか「間違った理解をされて、不当に差別されている!」とか言わないですよね?(言ってる人いるのかなぁ…???)
「あーあ。日本について一部分の知識しかない外国の人が、また日本を誤解してるよ…」くらいには思うかもしれませんが。
だって、そうした外国人のアーティストの多くは、自分たちと違う文化を持つ日本を面白いと思い、その違いを楽しんでいるだけなのですから。
そこには、日本を蔑視したり、馬鹿にしようという意図はありません。(多分。笑)
問題となった番組を作った人たちも、笑いを生み出すために、私たちが普段目にしているありふれたものとの「違い」を演出しようとしたのであって、特定の人種の人を差別しようという意図はなかったと思います。
実際、今の日本では、人種差別より男女差別であったり、貧富や学歴、障害の有無による差別(=いじめ)の方が深刻なのではないでしょうか?
日本人にとっては、黒人さんも白人さんも同じ「異国の人(→日本人ではない)」ですもの。
戦国時代に、戦国武将・織田信長(1534-1582)さんが黒人さんを武士として(奴隷ではなく)身近に置いていたのは有名なお話ですし。
外国語が苦手な日本人ならではの気後れはあっても、街で黒人さんを見かけた時にあからさまに差別的な行動をとる日本人なんて、いないんじゃないかと楽観主義の私は思うのですが、実際はどうなのでしょう。
白人の人たちに限って言えば、彼らは歴史的に黒人さんたちを差別してきたという事実があるので、黒人さんと接する時に、望むと望まざるとに関わらず、より神経質にならざるを得ないのかもしれませんね。
その直接の原因は過去の出来事であって、別に今を生きる彼らに責任のあることではないのに、黒人である、あるいは白人であるがゆえに、自動的に「差別」という憂鬱な問題と直面しなきゃいけないのは、ちょっと気の毒に思います。
いわば、過去の負の遺産に縛られているわけですから。
本当に、私たち地球人は未来世代のことを考えて行動すべきだと、つくづく思います。
差別をなくす第一歩は、相手を正しく理解することからです。
私たちは皆それぞれ違っています。
お互いの違いを批判するのではなく、認め合い、楽しめるような関係になれたら素晴らしいですね。
とはいえ、昔から交流のある中国や韓国の人に対しては、しばしば日本の人が差別的な言動をして国際問題になったりしています。
(国際社会において、その影響力や役割を問われる立場の先進国の人間がとる賢い行動とは思えないですね。)
未来の日本のためにも、世界平和のためにも、世の中から差別が無くなることを願ってやみません。
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