時には目食耳視も悪くない。

読んだ本、観た映画、聴いた音楽、ふと思ったこと、ありふれた日常・・・

本の遍歴時代

2019年12月23日 | 本の林
毎回、音楽に関する本を一冊選び、その本と私の個人的なエピソードなどを雑談していく動画【本の林】。

前回の《ラテン・アメリカ楽器紀行》に続きまして、今回は《音楽の現代史》諸井誠(1986 岩波書店)を取り上げました。

よろしかったら、ご視聴よろしくお願いします。→【本の林】第三冊《音楽の現代史》諸井誠(1986 岩波書店)
※動画再生できない時は、「本の林」で動画検索をお願いしますm(_ _)m


さて、私は本を読むのが好きですが、実は自分の興味がないことについて書いてある本はほとんど読みません。
10代、20代の頃は小説も沢山読んでいたのですが、30歳を過ぎると全く読みたいと思わなくなりました。
その代わり、歴史や文学、美術や音楽について考察したり概観しているものばかりを読むようになりました。

自分の興味の矛先がフィクションではなく、ドキュメンタリーに向くようになったということなのかもしれません。
また、ごくたまに小説を読む時でも、物語の世界を楽しむというよりは、書かれている言葉から、作者が何を考え、物事をどんな風に捉えているのかや、どういう人が書いているかということに気が向いてしまいます。

どんな本を読むかということは、その人の性格、好み、趣向を如実に示しているような気がします。
私の母は史実や念入りな取材をベースにして書かれたフィクションを好みますが、一方で兄はまるで雲をつかむような夢物語―例えば、伝説の宝や埋蔵金、謎の生物や宇宙人について―の本をよく読んでいます。

私は、母が読む本にも、兄が読む本にも興味がないので、どちらの本も読みませんし、それは彼らも同じです。私が読む本を、母も兄も読みません。
家族一人一人がそれぞれの好みの本を読むと、家の中にはちょっとした本の山が出来上がります。
とはいえ、父は全く本を読まないどころか、本にも読書にも興味がなく、結婚する時に母の蔵書が荷物になって邪魔だという理由で、かなり処分したと母から聞いています。

今は電子書籍という形態で本をキープしておくことができますが、両親が結婚した半世紀前はそういう便利な物は当然ありません。
読書をしない父の目に、母が好きで集めた蔵書がただのゴミの山にしか映らなかったのは仕方のないことかもしれませんが、本好きの立場からすると、その時に電子書籍のようなシステムがあればよかったのに、と思わずにはいられません。

しかし、自分が段々歳を重ねてくると、おぼろげながら人生の終末のことを考えるようになるものです。
世間でも断捨離が推奨されるようになったせいか、これ以上蔵書が増えるのは良くないと思うようになり、最近では以前にくらべて本を買わなくなりました。
(それでも、つい買ってしまうこともあるんですが。。。)

兄は近所の図書館で本を借りるようになりましたし、高齢の母は本を読む時間が少なくなったようです。私も仕事が忙しくなると読書どころではありません。
読んでくれる人がいてこその本だと思うのですが、果たして、誰も読まなくなった我が家の蔵書たちが今後どうなっていくのか、どう処すべきか、少し頭の痛くなる案件です。



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