【阿多羅しい古事記/熊棲む地なり】

皇居の奥の、一般には知らされていない真実のあれこれ・・・/荒木田神家に祀られし姫神尊の祭祀継承者

付記2d:宿直(とのい)

2024年12月10日 | 歴史

神官が厭なら、女官はどうか、という宮内庁職員のいい加減な発言で、七歳頃だったろうか、数日間、後宮へ放り込まれたことがある。
女官たちと同じ、丈の長い内掛けを着せられて、五、六人の女の最後尾を歩いて行くと、神社の本殿のような、回廊で囲まれた内の一段高い位置に「寝所」があった。
正面に御簾が掛けてあるのも神社に似ているが、しかし、その奥には派手な色柄の布団が何枚か重ねて敷いてあって、まるでTVドラマに出てくる江戸城の大奥だった。年増の女官は回廊の一隅に私を正座させて、「寝てはいけません。」と命じた。夜通し、そこに座っているのが宿直(とのい)であった。

 


その夜、寝所に現れたのは三笠宮寛仁だった。
いつも暇を持て余している皇族は、私が皇居へ連れられて来ると、必ず誰かが見物に来たものだったが、大概、私は皇居に紛れ込んだ野良猫と同様、格好の憂さ晴らしの標的になる。この時も、寛仁は回廊に正座している私を発見すると、さも嬉しそうに近づいて来た。
「お前は女官になったのか?」
逆らうと何をされるか分からないので、私は無言で、首を振っただけだった。
すると寛仁は、私の髪の毛を掴んで引っ張り、もう片方の手で私の頬を撫でながら、「こうやると、どうだ?」と顔を近づけて来た。

 


私は寛仁を突き放して、逃げ出した。
他の女官を目で探したが、女らはみんな顔を伏せて、こちらを見ようとしない。
とうとう寛仁は私の内掛けを剥ぎ取り、なおも逃げようとする私の片足を掴んで、着物の裾を膝の上までめくり上げると、興奮した声で言った。
「お前、それを脱げ」
「嫌だ!」
私が叫ぶと、今度は「俺も脱ぐから、お前も脱げ」と何だかおかしなことを言い出した。まさか、これが互いにとって平等なのだ、とこの男は考えているのかしら? 小学生の私は一抹、疑問に思ったものだが、結局、悲鳴が出るに任せて、必死に暴れた。

 


子供の甲高い悲鳴に興ざめしたのだろう、寛仁は私の足を掴んでいた手を離して、機嫌が悪そうに足音荒く走り回ると、代りに若い女官を一人捉まえた。「お前でいい。来い」
その女を半裸にして、寝所の布団へ引きずって行った。

 


・・・と、ここまでは「大奥」の話と大差無いのだが、真の狂気はこの後である。
獣狗の饗宴が終って、乱れた布団に残された女がめそめそ泣き始めると、別の若い女が私の前に立って、次のように言った。
「何故、逃げたのよ。あんたが我慢すれば良かったのに。ああいう時は、黙って我慢するものよ」
この女は乱暴された女を助けようともしなかったくせに、七歳の子供に身代わりになれと言うのだった。
これが、この国の「献身の美学」というものである。

 


着替えをしている最中に、私は先ほどの女に睡眠薬の注射を打たれた。
それから、着物を剥ぎ取られ、シュミーズ姿で朦朧となったところを、宮内庁の男によって写真を撮られた。
「どうして、・・・撮るの?」
と、カメラを構えている男に訊くと、「寛仁様がお望みです」と答えた。

 


数十年後に皇居へ行った時、その時の写真を、本当に寛仁が持っていたのには驚いた。いわゆる「ロリコン」である。
「恥知らず!」と私は罵ったが、色狂いの寛仁に抱きつかれた。