【阿多羅しい古事記/熊棲む地なり】

皇居の奥の、一般には知らされていない真実のあれこれ・・・/荒木田神家に祀られし姫神尊の祭祀継承者

結核の話

2024年11月24日 | 歴史

皇太子明仁と、「お茶の時間」を何度か伴にしたことがある。明仁は閉塞的な御所での楽しみの一つとして「食事」を考えていたようで、幼児との退屈な時間を、エスカルゴやキャビアといった当時は最高級だった食材を取寄せては、試食することに費やしていた。そのくせ、「子供が食べても分からないよ」などと嘯いた。

 

 

最初、私が不審に思ったのは、たしか雉か何かの肉を焼いたものを、明仁が素手でちぎって私の口に入れようとした時だ。しかし、侍女がそうすることもあったので、私は大人しくそれを飲み込んだ。
すると、次は・・・生の貝だった。さすがに生ものは好きではなかったので、私は口をへの字に結んで、そっぽを向いた。明仁は機嫌を損ねた様子で、指に摘まんだ貝を私の頬っぺたに押し付けながら、低い声で「食べるんだよ」と脅したが、頑固に歯を喰いしばった子供の口をこじ開けることはできなかった。明仁は侍従を呼んで、「この子が食べないんだ。食べさせて」と命じた。侍従は私の頬をつねって、泣いて口を開けたところへ、貝を突っ込んだ。「いただいたら、全部食べるのですよ」

 

 

或る日、何度目かのお茶の時間に、長テーブルの向い側でいつになく沈鬱な表情をした明仁が、灰色の顔を歪めて咳き込んだ。寒い季節でもないのに、乾いた咳が無機質な部屋に反響して、いつまでも止まなかった。
あんな贅沢な料理を突っつきながら、どれも残して捨てるから、バチが当ったんだ・・・ 私は小さな腹の中で毒づいた。
お茶の時間が過ぎても、明仁はなかなか椅子から立ち上がろうとはせず、とうとうテーブルの上に、痰を吐いた。侍従がそれを横目でちらっと見たが、片付けようとしない。侍女もまた、片付けに来ない。もはや料理が片付けられたテーブルの上に、乾いた痰は白く固まって、いつまでも残っていた。

 

 

後日、一層痩せた明仁が、侍従に訊いていた。
「何故、あの子はうつらないの? ・・・」
 

 

  

 


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追記:感染症について

皇居での「HIV感染」がいつからどのように広まったのか、私にも判らない。ただ、私の就学前から高松宮喜久子が皇宮護衛官と不倫をしていたことを考えると、もしかすると相手の男がどこかで感染したのかも知れないと思う・・・
また、喜久子のほうは、やたら皇居で出会った男に(大抵は宮内庁職員か皇宮護衛官だが)抱きついていた。三笠宮寛仁にも抱きついていた。彼女はその後も長く生きたが、最期は敗血症で死んだ。

平成になってから、「小和田さんも病気なのです。気をつけてください」と、幾らかマシな宮内庁職員が私に言った。この時、小和田恒はまだ外務省にいた。雅子が私を東宮御所に監禁して発砲した騒動の後、今度は父親の小和田恒に呼びつけられてサリンを浴びせられたのだが、この時、奴は私に接吻しようとした。確かにHIVに感染していたのだろう。
すると、徳仁と雅子はいったいどちらが被害者なのだろう? 経路だけは知りたいものだ。