この日は天皇に拝謁するというので振袖を着せられた私は、衣がたっぷりと重なった袂を揺らして、「兎みたいだ」と上機嫌だった。
それを、案内役の侍従が、裕仁がいる部屋へ連れて入ると、私の耳の高さまで腰を屈めて「逃げろ」と囁いた。
「何処でもいいんだ。お前の好きな方へ行け。自由だ・・・」
しかし、この場合の「自由」とは、欧州の貴族が楽しむ狩猟の獲物に与えられた「自由」である。背後にあるドアの把手は私の頭と同じ高さにあって、一度回してみたがとても重く、幼児の握力では到底、開くはずがなかった。部屋は四角い檻であり、逃げ場を失った私は部屋の一隅ですくんだ・・・
それを見た裕仁は、「これでは面白くない」と傍にいる徳川義寛侍従に言ったが、私が顔を上げて裕仁の面を睨んだ瞬間、銃声が鳴り響き、弾は片袖に当って、丸い焦げ跡を作った。裕仁は狂喜し、大口を開けて叫んだ、「当ったか!」
ところが、そこへ、一人の護衛官が走り込んで来たのだ。まだ若いその男は、普段は使用していない部屋の湿った空気にキナ臭い匂いを嗅ぎ取って、瞬時に何かを直感しただろう。但し、彼がその時、裕仁の手に銃を見たかどうかは判らない。狡猾な裕仁は咄嗟に銃を床に捨てていた。
徳川侍従が護衛官に言った。「陛下の前で子供が粗相をしたので、たしなめていたところだ。お前は何か見たのか?」
男は床に落ちている銃に視線を貼り付けていたが、慌てて目を逸らし、「いえ、何も・・・」 そう言って、素早くドアを閉めた。
徳川侍従が護衛官に言った。「陛下の前で子供が粗相をしたので、たしなめていたところだ。お前は何か見たのか?」
男は床に落ちている銃に視線を貼り付けていたが、慌てて目を逸らし、「いえ、何も・・・」 そう言って、素早くドアを閉めた。
再び三人きりになった部屋で(実際には、二人と一匹の兎だったが)、鬼畜の言葉を吐いたのは裕仁だった。「あれは、いいのか?」 銃撃を見た男をそのまま放置しておいても良いのか、とこの卑怯者は言ったのだ。
すると侍従のほうも宦官さながらの腹黒い男で、震えている私のほうへ寄って来て、「もう一度、泣け」と脅した。大声で泣いて、先ほどの男を呼べというわけだった。
けれど、幼児の細い喉から出る悲鳴は無かった。そこで侍従は砒素を塗った毒針を私の首筋に突き刺して泣かせたが、それでも護衛官は一向に現れなかった。結局、舌打ちしながら、徳川侍従自らがドアを細く開けて、呼ぶと、ようやく男が不安そうな顔で入って来た。
一発目は天皇裕仁が撃った。膝を崩して倒れる男を、二発目と三発目は徳川侍従が撃った。
おびえた子供は睡眠薬の注射で倒されて、その傍に、空になった小型銃が投げ捨てられた。
<徳川義寛侍従>