この間書いたように
寝坊してもドタバタならずに
遅刻はしたものの
オンライン講座に落ち着いて参加できた。
前日のうちに
後回しにしないで
準備をしておいたおかげ。
これは
自分のあり方に最近気づき、反省したのが良い影響をした。
ほぼ毎日起きていると言ってもいいくらいに
書類やパスワードなど様々なモノが行方不明となり
大捜査線する展開になるのも
何でもかんでも後回しにしてしまう自分のあり方のせいだった。
ここでも書いたように
「全て忘れていいよ」と自分で自分に命令しているかのような自分の生き方やあり方が引き起こした事象なのかと気づいたからでした。
後回しパワーと忘れていいパワーの集大成の結果が
連日のように引き起こされる行方不明事件となっていたと気づいた。
こんなのはやらないと決心して
早朝オンライン講座に備えて宿題は前日に済ませておく
という
当たり前の行動をした。
自分にとっては、今まで全くと言っていいくらいに当たり前じゃなかったからね。
そしたら落ち着いて行動できた。
自分にとっては大切な気づきとなりました。
書類やハガキと並び行方不明になる代表選手がパスワード。
昨日も実際に再設定し直したので
これも場所を決めて書き出した。
こうやって
少しずつ
自分のあり方を書き直していくのが大切だと実感しました。
新しい習慣づけで新しい自分へと変化しそうな気になります。
今日は、もう一つの困った問題を取り上げます。
行方不明みたいに、気になるというか困っているのが
「自分の書いた字が読めない」という現象。
こちらも
考えてみると
なんと
中学生くらいの時から
書いた字が読めないという現象が
引き続いていたと今思い出した😱
こちらも
そんなにも長期間に渡り
不快で楽しくない時間を過ごしてきたんだと思いました。
人生の中に
どれだけ
不快になる時間があるんだって知りました。
しかも
行方不明もそうだけど
字が読めないのも
原因は
明らかに自分にある
100%自分が悪く
そのために
自分で嫌な体験を味わう時間を作り出していたという
こちらも衝撃とも言える事実ですよね。
先日の
オンライン講座の話に戻るけど
宿題は前日に済ませておいた
で
遅刻して遅れて入って
宿題発表だったんだよね。
たしかに起き抜けで
頭もボーッとしてたので
昨日何書いたのかはすぐには思い出せなかった
でもメモしてあったから大丈夫と
メモを書いたページを見て
愕然😱
読めない!
何て書いてあるんだ???
ところどころ読める字があったから
そこを手がかりにして
他の部分を解読
段々と晴れやかになってきた記憶にも手伝ってもらいながらね。
だけど
これじゃあ
考古学の世界だよね。
エジプトとかメソポタミアの
象形文字を読み解くとか
忍者が敵の暗号を読み解くとか
今まではね
毎回思ってきたのです。
「次からは読める字で書こう」
そんなに大した問題ではないと思っていたのね。
書類とか証書の行方不明に比べるとね
自分で自分に罵詈雑言を浴びせる気分にはならないし
まあ次からきれいに書こう
ですませるんだよね。
だけど
中学生以来ずっと続いている現象
全く改善の兆しが見られない。
これね
例えば
小学生とかの社会見学とか
最近はICレコーダー主流だけど新聞記者がインタビューとかの取材で
メモとる場面ならまだ分かるんだよね。
だけど
講座で出された宿題とかって急いで書く必要もないし
実際にけっこうじっくりと書いた。
なのに読めない😱
そう言えば
パスワードでもそんな事例がありましたね。
ちゃんと後で参照すると分かっているのに
あとから見た時に読めない
もしくは
すでに暗号化されていて
なんなのか全く意味不明になっている。
これはどう意味づけをすればいいのか?
速記じゃないのに
後で読めないとは
なくし物と同じで、自分の人生やあり方が出ているという視点で見てみると
字が読めないというのは
もしかしたら
他の人からの自分の印象なのではないかと思いました。
結構秘密主義めいたものがあるんだよね
なので
意図的に秘密にしようというか
自分についてあまり人に伝えないようにしてきていた部分があるから
自分についてハッキリ言わないとか
適当な言葉を言ってごまかそうとしたりとか
してきたなって思うんだよね。
そしたら
まさしく
字と同じじゃんと思った。
速記で崩れたわけじゃないのに
きちんと書いたつもりの字が後から自分ですら読めない
ちなみにね
自分は書道の段位も持っているので
気合を入れる場合ね
最近はプリンター任せだけど
年賀状とかの宛名書き
とか
祝儀袋とかへの名前
とか
は奥様にもきれいでいいねと
褒められる字を書くんだよね。
だから
速記でもないし
特別でもない
場面での字が読めない字になっている!
言い換えると
当たり前というか日常です。
字が自分の生き様やあり方を表すのならば
日常の自分のあり方自体が自分ですら分からないものになっている
あの識別不能だったり困難な字が自分の外見とか他の人からの自分の印象
だとしたら、
文字だから話すに特化できるのかもしれません
あの字が自分の話し方や話し言葉だとしたら
恐ろしいし
イヤになるし
書きたくないくらいに
またまた絶望気分です。
だって
相手にわかってもらおうという意図も
伝えたいという熱意も
何も感じられない
それが自分のあり方だとは・・・・・・・
だから
変えました。
すでに変えました。
今朝そう思ったのです。
それ以来
ノートに字は
後で読む自分が読めるようにと
後でその時感じた思いが伝わるようにと
思いをこめて書く
ようにしました。
今まで気にはしてたけど
言ってみれば
不快になっていたものを見直すと
自分のあり方に
新視点が持てるかもしれません。