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幸せのちゅちゅ

【アドバイスはいらない No2】おかしな眼科医&まな板の上の鯉の体験の果に得た結論!

この前に書いた「おかしな眼科医」のお話

この例え話を聞いた時に

アドバイスの限界みたいなものを感じました。


勿論

アドバイスする方の人は

悪気なんてないですよね。

むしろ

本当に真剣になって考えて

一生懸命に相手のためを思い、少しでも良い方向に行く道を探ろうとする



でも

気持ちは真剣でも

もしかしたら

おかしな眼科医さんと同じことをやっている可能性があるということなんですね。


いくら素晴らしい眼鏡でも

それが相手にもいいかは分かりません。


行動やセリフでも

使う人によって異なりますものね。



じゃあどうする?

だって

相手はアドバイス求めているんだよ!




でも

こんな経験もありませんか?



良かれと思って出したアドバイスを

相手があまり嬉しそうに受け取る様子が感じられない



もっと言ってしまえば

「そんなことを言ってもらいたかったのじゃない」

という一言を言われてしまう。

しかも

超絶悲しそうな表情と声で言うんです。。。



いやいや、そんなことを言われて

こっちの方がはるかに

悲しく切なくなるでしょう



こんなの私だけかな?



奥さんとの話ではこうなるパターンが多かった。




いつも思っていたんですよね。

そっちが

「どうすればいい?」みたいなことを聞いてくるから

こっちも

超真剣に考えて答えたんだよ。



なのにね

その一言はないでしょ。。。。




実は

最近

こういう状況に対する

光が

突然降ってきたのです。



アドバイスはいらないNo2

では

それについて書いていきます。




先日

ある学習会に参加したのです。


そこでは

話を聞くワークを扱っていたのですね。



その日のテーマに即した

聞き方を練習するワークでした。



誰かが一人

話をする人になって

何か

困っているような状況や悩みみたいなものを話すのです。



残りの人たちは

そのお話を聞いて

自分が聞き取れたことを

「◯◯ということで理解しました」みたいに口に出して言っていくというワークでした。



最初私が話し手をやったのですね。


扱ったお悩みは勿論これですよ。
やかんの火をつけたまま朝になってしまった

という危険な行動をしでかした同じ日に

ストーブをつけっぱなしにして出かけてしまった。



一通り自分が話したのをみんな聞いていて

順番に一人ずつ

確かめていくのです。


例えば、最初の人が

「やかんをガスにかけたままで寝てしまって、一晩中火がつけっぱなしで、朝起きたらそれに気づいて、危なかった」って理解しました。

こんな風に言います。

そしたら

こっちが反応するのですね。

「そうです!火をつけたままで寝てしまうとか、出かけちゃうって、珍しいことではなく、結構あって、本当に危ないから、何とかしようと思っている。。。。」みたいに自分で話します。

ここで

二人目が「火をかけたままで寝てしまうと危ないから、何とかしようと思っているのに、、、、、、、」ということがわかりました。


そしたらここでまた私が話します。

「そうです。危ないから何とかしようとしているその同じ日に、ストーブをつけっぱなしにして出かけてしまう自分は、どうかしていると思います。」


ここで

3人めが同じように聞き取れたことを言っていくのです。

以下同じ流れで、これをひたすら続けていきました。




イメージわきますか?



私は自分の悩みというか困っていることを話す。


私以外の人たちは

私の話したことを

具体的な文や言葉やフレーズを用いて繰り返しつつ

「ということが分かった」と

私に伝えるのです。



アドバイスは一切受けていませんし

ジャッジするような言葉も一切受けていません。


質問すら受けていないのですね。




皆さん

何が起こったと思いますか?





なんと

私の内面で変化が起こったのです!



最初は

こんなにウルトラ危険なことをやってしまった事自体が

信じられないこと。

なのに

同じ日に

ストーブをつけっぱなしにして

出かけてしまうなんて

本当に危険という認識をもっているのか?

持っていないような気がするぞ。

それってまるで

人でなしというか

人として大丈夫なのだろうか??

人間として

間違っているのではないか??



自分に対する

超不信感

を感じていて

もしかしたら

人間として

内面的な部分で、何らかの欠陥があるのかもしれない


などと

超ネガティブモード全開状態だったのです。




ところが

紹介したように

私の話したことに対して

皆さんの受け取った情報を

ひたすら聞いて

ちょっとずつ話していくうちに



自分レベルでは

注意していた自分の姿が感じられたのです。



つまり

何とかしようとしていた自分が見えたのです。



結果としては

残念な結果になったけど


少なくとも

自分は何とかしようと

自分なりの努力をしていたことがわかったのです。


こんな危ないことしておいて

全然平気な状態でいたわけでは

なかったと


不思議なんですが

繰り返し

皆さんが聞き取れたことを言うのを聞いて

自分でもそれについて

話していくという行動をしているだけなのに


自分の頭の中で

整理ができた部分があったのです。



史上最悪レベルの人でなしではなかった自分

というのを実感できた


これにより

気分がかなり

軽くなったのです。




アドバイスを受けたわけじゃないのに

慰めてもらったり

励ましてもらったりしたわけじゃないのに



自分の内面で自分に対して感じていた不信感みたいなものが

スーッと

かなり軽くなったのです。




なぜ

こんなすごい変化が起きたのでしょうか?



ひたすら

私が話したことを

分かろうとしてくれた


これだけで

変化が起きたのです。


相手の話に

耳を傾ける



これがこの日の聞く練習のテーマだったのです。



すごいね

聞く力のパワーは!!



感激するとともに



奥様が言う

「そんなことを言ってもらいたかったのじゃない」

の本当の意味は

これだったのかと

気づいたのでした。


続く

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コメント一覧

aribaba2017
本当に面白い体験をさせていただきました。

私の後に、別の方も体験したのですが、やはりどんどんと気づきが生まれて、自分の中で超すっきりしたと仰っていました。

これは早速試してみようと思っていたら、その機会がすぐにやってきましたというのが、続きです。

よろしければそちらもご覧ください。

コメントありがとうございました🍀

まかろん様の場合にも、「どうすればいいと思う?」みたいに聞いておいてから、相手の言うことを聞いた後に、「そんなことを言ってもらいたかったのではない」ってなるのでしょうか?
macaronteaparty
傾聴ってそういうものなんですね!

そして、そう、
>「そんなことを言ってもらいたかったのじゃない」

ってのはありますし、私も人にもそう思わせているだろうなと思ってます。

続きがあるのですね、すごく楽しみにしています!!
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