たぶん、悪い病気が再発しました。
火曜日に「明後日、花見するんですよ~」と話していたら、
「じゃあ、東北のお酒を飲んで…」
「そういうのは、しません!!」
笑いながら言ったから、悪い受け止められ方はしなかったと思いたいが…かなりバッサリと。
幸か不幸か、今回の地震でまったく揺れを感じない地域にいた上(地震計は震度1だったらしいが…)、当日、夜11時半頃まで、TVもネットも見られない状況だったので、すべての情報が後追いでしかない。
ほとんど他人事。
まるで外国にいる人みたい。
それでも、未曾有の出来事ということくらいは、ちゃんとわかる。
だから何か自分に出来ることはないかと真剣に考えた。
けれど、自らボランティアに行けるほど、体力もスキルもない。
仕事上も、そんなことが許される状況じゃないし。
そもそも自分の専門は、今回の震災には、1㎜も役に立たない。
かすりもしない。
なんと無力なことか。
打ちのめされる。
普段、必要になるギリギリまでモノを買わないので、支援物資として差し出せるようなものは、家には何もない。
ひとりもんだし、少々の放射性物質よりも、日頃のストレスの方がよほどガンの原因になるだろうから、福島や茨城の農産物・海産物を積極的に食べてあげたいけれど、そもそも遠すぎて、福岡には流通していない。
せめて出来ることといったら、金を出すことくらいだ。
今のところ、支援活動に使われるところを中心に、ウン万円。
あとは、毎月給料日あたりに、ネットで残高を確認するついでに、端数をそのまま寄付するくらい。
でもこれは、中越沖地震のときも、能登半島地震のときもやっていたことだ。
それくらいしか、継続的に支援する方法が思い浮かばない。
これ以上、どうしろと?
不謹慎厨ウザイ。
他人に価値観押しつけるなよ。
でも、自ら不謹慎だと思っている人に、無理に享楽的な行動をとらせることは出来ない。
被災地でもなんでもないところの野菜ですら、葉物野菜は食べたくない、なんて言ってるヤツは、なんて頭が悪いんだろうと思う。
でも、無理に口をこじ開けて、食べさせることは出来ない。
被災地どころか、九州の観光地ですら、温泉やホテルのキャンセルが相次いで、サービス産業ですら危機的状況だって。
でも、行きたくない人を、無理に行かせることは出来ない。
だから、「自粛」を「他粛」と呼び、積極的に「被災地の復興のためにもなる」というエクスキューズをつけはじめたのは理解できるし、最初は共感すらしてた。
なのに、な~んか、やな空気になってきた気がするんだな。
「被災地のため」「日本経済のため」というエクスキューズがあって当然のような。
それなしには、認めないような。
それって不謹慎厨とあまり変わらない。
冗談じゃねぇよ。
震災後だって、私は、何回も飲みに行ったし、生活にまったく必要じゃない買い物も沢山したよ。
文字通り、贅沢してる。
でも、ただの一度だって、被災地のためや、日本経済のために、買い物や飲み会をしたことはない。
すべて、「自分のため」だ。
自分が行きたいから、自分が欲しいから。
それ以外に何がある?
はっきり言って、花見を計画したのは、なんにでもエクスキューズを求めようとし始めた今の風潮に苛ついたからだ。
「みんなでひとつになろう」
「一丸となって頑張ろう」
私の一番嫌いな言葉だ。
私には私なりの考え方や感じ方があって、それに沿う範囲内であれば一緒に行動できる。
でも他人から強制されたくない。
私が「間違ってる」と思っても、それを表に出せなくなったら、そんな世の中は生きづらい。
子供の頃、学校でそのミニチュア版を散々経験したから、自分がそれに耐えられないことがよくわかっている。
もともと、ドイツに移住してぇなぁ、なんて言い出したのは、日本の閉鎖的な状況にウンザリしてたからなんだけど。
自由な言論が保証されている、というのは建前で、ある一定程度の幅の議論以外は認められない、というこの世間に。
とりわけ、今度ばかりは、右を向いても左を向いても、正論・べき論ばかりが跋扈している。
これに抗って生きるのは消耗する。
すでにちょっと、逃げ出したくなっている。
ボランティアにしろ、なんにしろ、すべて「自分」があってこそ。
自分が、そうしたい、と思ってこそ。
今は酒なんか飲む気にはなれない、という人は飲まなければいい。
被災地を救うために、東北の酒を飲もう、という人は飲めばいい。
その代わり、そんな雰囲気を吹っ飛ばしたいから、産地に関係なく、酒飲んで憂さ晴らししたい、という私みたいな人間の存在も容認して欲しい。
別に誰にも迷惑掛けてないから(一緒に飲んだ連中以外(笑))。
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