吉田耕平「児童養護施設の職員が抱える向精神薬投与への揺らぎとジレンマ」福祉社会学研究10(東信堂)
児童への向精神薬投与について、児童養護施設の職員に対するインタビューと現場の観察に基づいて書かれた論文です(以下「吉田論文」と略記)。以下要約します。
①多動や他児とのトラブルを起こす処遇が難しい児童に対して、医師の処方により向精神薬が投与される。
②施設職員は、児童への向精神薬投与について否定的ではあるが、施設管理上は仕方がないというジレンマを抱えている。
③施設職員は、体罰禁止が制度化された後、体罰の代替手段として向精神薬投与が行われるようになったと考えている。
④向精神薬投与は体罰に代わる暴力だと考える職員がいる。薬の副作用についても認識しており、「かわいそう」だと思っている。例:リスパダール投与による体重増加。
⑤自分の子供に向精神薬を投与しようとは思わない。
⑥施設の児童に対する投薬は全額公費負担。投薬は施設の負担を減らすもの。またそのために向精神薬の投与量が増える傾向にある。と考える職員がいる
⑦向精神薬を代替する手段として、職員は以下a)b)を挙げている。
a)児童をケアする職員を増員し児童と大人の関係を強化し、1対1で寄り添えるようにする。
b)児童養護施設ではなく里親制度を活用すべきと考える職員がいる。
吉田本人の結論は以下の通りです。
Ⅰ.処遇が難しい児童を落ち着かせ施設内での管理を容易にするために、副作用を理解した上で向精神薬投与が行われている。薬の全額公費負担により経済的な利点もある。
Ⅱ.現実問題として向精神薬は処遇が難しい児童を落ち着かせることができる。処遇が難しいがゆえに、児童が施設間でたらいまわしにされる事態を防ぐ効果もある。
Ⅲ.職員は不十分な人員配置の中で投薬をやむを得ないものとしつつ、処遇が難しい児童と向き合っている。
この論文は以前紹介した、南出 喜久治・水岡 不二雄共著、「児相利権: 「子ども虐待防止」の名でなされる児童相談所の人権蹂躙と国民統制」(八朔社、以下「児相利権」と略記します)で引用されている論文です。児童養護施設での向精神薬使用を取り上げたものです。
「児相利権」は、「吉田論文」から児童養護施設内の向精神薬投与について「薬漬け」と言う激しい表現を引き出しています。私が読んだ範囲では「児相利権」ほどの強いニュアンスは感じ取れませんでした。ただ「吉田論文」が児童養護施設の現場を知る人間によるある種「内部告発」的なものである事、児童養護施設経験者及びその家族からSNS経由で伝わってくる向精神薬投与についての体験談等を考え合わせると、児童養護施設内の向精神薬投与については、「薬漬け」に近い状況なのではないかと推察されます。
「吉田論文」により、日本の児童養護施設において、反抗的な児童・集団生活になじまない児童をコントロールする目的で向精神薬が用いられていることが確かめられました。これは異常なことです。学校が、反抗的な態度をとる児童に向精神薬を投与して、その行動をコントロールしていることが知れ渡ったらどうでしょうか。おそらく非難の嵐が巻き起こるでしょう。ところが児童養護施設で同様の事が行われているにもかかわらず社会は冷静でいられる。知らないから冷静だという面もあるでしょう。知っていても「施設だから仕方がない」と考えているのでしょうか。どちらであっても問題です。
児相の一時保護施設にしろ、児童養護施設にしろ、「児童の保護」が本来の目的のはずです。受けられるはずだった保護を親に代わって与えるのが施設の役目。そう考えるならば、職員による児童への暴行や児童相互の暴行が日常茶飯化している施設、児童のコントロールのために向精神薬を投与する施設の存在意義は何なのか、と問わねばなりません。極論すれば、虐待を受ける家庭から「保護」された後、施設で更なる虐待を受けるのであれば、施設は無い方がマシです。
現在の日本では、被虐案件の対応は親子隔離が基本です。これを改めない限り、根本的な解決には至らないでしょう。児童虐待防止の先進国であるオランダの場合は、虐待案件の基本は親子同居で、親との話し合い、親子に対する指導・教育、カウンセリングがメインです。必要があり、親子分離になっても最長1年で親子は再結合されます。分離の間も親子の面会は可能です。
以上、児童養護施設内で児童に投与される向精神薬の問題について考えてみました。皆さんはこの問題をどうお考えでしょうか。
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